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きれいという基準の誤差

「新型コロナウィルス」という名前を初めて聞いた時、我が家の家族は「別の国の話題」だった。私の家は、創業95年の老舗旅館だ。町はずれの川を越えれば東京都、言い方を変えれば、隣町は東京都なのだ。
「別の国の話題」と思っていた「新型コロナウィルス」患者が日本で確認された。しかも隣町で。もう「別の国の話題」ではない。宿泊予約が次々とキャンセルになる中、通常のキャンセル料を取ることができない。それは、心情的に。それでも宿泊してくれる一人二人のお客様の為に旅館を開ける。国や町の政策より先に、我が旅館では「完全消毒」を徹底した。

ずっとやってきたことの延長線にヒントがあった


私は元々神経質なところがあり、家でも消毒を欠かさない。新型コロナ以前から、自宅の玄関先に消毒液を置き、帰宅すると真っ先に消毒をして洗面所で手を洗う。洗った手を拭くのはタオルではなくペーパータオル。家族全員が帰ってくると、玄関のたたきと全員の靴の裏を消毒する。キッチンもトイレもお風呂も、その日のうちにきれいにしてから眠る。朝起きて一番最初にすることは、家全部のドアノブの消毒。新型コロナウィルス以前の我が家では、マスクは一日に何枚も取り合えることが常識だった。
ここまで徹底してきたのは、かつて「ノロウィルス」によって営業停止になった経験があるからだった。だから、手指用以外は基本塩素系の消毒薬を使っていた。そして、これらは全て自分ひとりがやってきたことだ。実際、我が家では予防接種せずともインフルエンザに罹ったことがない。
私は早速、塩素系消毒をアルコールに変えた。変えたのはそれだけ。しかし、新型コロナウィルスを予防するためには、今までのように自分ひとりが役目を果たすだけでは足りないと感じていた。
新型コロナウィルスまん延防止のためには、自分ひとりがやっていれば済んだ消毒の徹底を家族に強要しなくてはならない。塩素系消毒ではなく、アルコール消毒を用意しなくてはならない。アルコールに過剰反応してしまう末っ子のために、キッチンの浄水器から排水される酸性水の方をボトルに詰め、末っ子にはそれを使わせた。
ホワイトボードに約束事項を書いた。

・玄関に入ったらすぐに消毒をすること
・消毒をしたら、そのまま洗面所へ行ってハンドソープで手を洗うこと
・着ていたものはその場で脱いで部屋着になること
・トイレは蓋を閉めてから流すこと
・食器を全て使い捨て容器にして、使ったらすぐに捨てること
・食べ物飲み物のシェアをしないこと
・家の中でもマスクをしていること

子供と言っても全員成人している、言ってみれば社会人としての責任もある大人の集団。比較的私の思考に近い1番上と2番目の子は、その日から一緒に実行した。3番目と4番目も上のふたりを見て真似し始めた。
洗濯は、一人分ずつをその日のうちに済ませる。6人家族だから全部で6回。いつの間にか、干してさえ置けば4人の子供たちは、自分の洗濯物を自分で片付けるようになり、私の家事は少しだけ楽になった。
食事の支度は私がやり、順番にキッチンへ取りに来て、それぞれが食べる量を使い捨て容器に盛り付けて部屋に持って行く。それぞれの部屋でゴミをビニール袋に入れて、家の外に3つ並べて置いた45リットルの蓋付ゴミ箱にそれぞれが捨てる。
利便具に集合することが無くなった分、家族の会話はLINEのグループで行われた。誰から始めるとかそういうルールではなく、いつの間にかそうなった。今思えば、本当はそれぞれが不安だったのかも知れない。
元々LINEグループに入っていなかった夫を一番上の子が、招待したが夫は入らない。ずっと前からLINEグループに入ることをなぜか拒んでいた。
顔を合わせずにする文字での会話は、いつもならスルーしてしまうような些細な言葉も逃さない。誰かが必ず拾ってくれるから、何となく嬉しかった。不安とか、焦りとか、そういうカンタンな言葉で表せないような感情を抱える毎日に疲弊していた私にとって、家族LINEでの会話が救いになった。
どこからウィルスがし入するかわからないという見えない恐怖は、私を更に神経質にしていった。


家族の命を守らなければ

大袈裟な表現だと今なら笑えるが、当時は必死だった。比較的すんなりと受け入れてくれた子供たちは、何となく私が日頃神経質に消毒を徹底していることを見ていたという。約束を守ることに「苦ではない」と笑ってくれた。

「家族の命、健康を守らなければ」

私が家族に求めたものは、ただそれだけだった。細かいルールはあったが、「何故」を知れば理解してもらえるものだと思い込んでいた。
しかし、無神経に夫はトイレの蓋を開けたままにするだけでなく、トイレのドアも開けたままだ。夫だけは食器も使い捨てを使わない。食器棚から取り出して、使った後はテーブルに放置する。タバコを吸いたいからと言ってマスクはしない。服を脱げば、あちこちに放り投げる。
根本的に「きれい」の価値観が違う。「私がやればいいことだから」と、新型コロナ以前まではそれを見逃していたが、今回ばかりは見逃せない。何度か優し目に伝えてみる。
「あれ、守ってほしい。家族のために」
ホワイトボードを指さして頭を下げる。その手を払い、夫は鼻で笑った。
「大袈裟なんだよ、罹るわけないだろ」
私は黙って夫の使った食器を洗い、除菌スプレーをかけた。そうなると、この夫の態度に日毎反発が強くなる。苛々が募る。私の苛々が余程気に入らなかったのかそれとも小言が嫌なのか、夫は毎夜飲みに出かけ、帰宅は午前様。完全に世の中と逆行している夫の行動が、私の苛々に拍車をかけた。

東京オリンピックが延期となり、我が旅館もかなり大きなダメージを受けた。オリンピック、パラリンピックの物流拠点として準備片付け期間を含めた半年弱を貸切り契約していたために、その期間は開店休業の事態だ。
仕事が上手くいかない上に夫のだらしなさが目に余り、失礼な話だが夫そのものがバイ菌に見えてくる。
「コロナ離婚ってあるんだろうな」
そんなことを考える日が増えた。
ある時、夫が熱を出した。昼を過ぎて、旅館にいる私のスマートフォンが鳴り、「熱があるから帰ってこい」と。私は新型コロナ感染を疑ったが、夫はただの風邪だという。検査を断固拒否された。新型コロナウィルスのニュースが流れてからまだ4ヶ月しか経過していない、未知のウィルスという恐怖の真っ只中だった。

幸いにして我が家は広い。1階にも2階にも、洗面所もトイレも冷蔵庫も電子レンジも備わっている。敷地内の旅館へ行けば大浴場がある。玄関を入ると正面は2階へ行く階段。フロアで生活を完全に分けることが可能だった。
私は、夫を1階の一番奥の部屋に隔離した。4人の子供たちには、全てに於いて家の1階を使わないようにと指示をして。
夫への食事は私が用意して届けた。部屋の扉の前に小さなテーブルを置き、使い捨て容器に盛り付けた食事を乗せた。ノックだけしてその場を立ち去る。初日に大きなゴミ袋をひとつ、食事と一緒に「全部ここに捨ててください」とメモを添えて渡しておいた。こんな偏見を持ってしまうことは本当に良くないことと知りつつも、益々夫がバイ菌のように感じて、部屋の前に立つたびに背中がゾゾっとしてしまう。それから6日ほどが経過して、夫はすっかり元気になった。今思えば、本当にただの風邪だったのだろうと想像できる。
本音を言えば、すぐにでも検査をしてくれればそんな扱いをすることはなかった。夫が日頃からもう少し家族への感染を気にしてくれていたら、こんな気持ちにはならなかったかもしれない。例え夫婦であっても、相手を自分の思うようになんてできるものではないのが実情だ。ましてや、「何故そうしているのか」に対する理解ができないのだから、求める側にも受ける側にもストレスなのだろう。

同年7月になり、末っ子が高校時代の先輩が経営する飲食店に臨時アルバイトへ出かけていくことになった。週に3日程度、新宿まで。
アルバイトを始めてひと月ほど経過したころに、保健所から末っ子へ連絡が入り、濃厚接触者のため翌日10時に指定病院で検査を受けるように言われた。バイト先の客に感染者が出たという。末っ子は、すぐに先輩へ知らせた。先輩にもすでに情報が届いている様子で、とても冷静だったそうだ。
「うちの店での感染じゃないってことになっているから、感染者の客と店の外で会っていたってことにして欲しい。保健所にはそう説明してある」
末っ子は落胆したものの、新型コロナに言われるような症状は皆無。翌日検査に行き、検査結果を自宅で待った。結果は陽性、無症状だ。
今度は、末っ子を1階の一番奥の部屋へ隔離した、夫の時同様に。2回目だけあって、私も子供たちも手慣れたものだ。ただし、夫の時のように末っ子がバイキンに見えることは一度たりともなかったことは、はっきりとしておきたい。
その時、唯一我が家の中で、この未知のウィルスに怯えていたのは夫。彼は、末っ子がホテル療養に入るまで家に帰ってこなかった。

きれいという見えない基準の誤差

新型コロナウィルスという爆弾によって、私は「きれいに対する基準の誤差」は、他の何よりもストレスになることを知った。今でも私は、変わらずに毎晩玄関のたたきと靴底、毎朝ドアノブを消毒している。塩素系ではなくアルコールを使って。朝起きて真っ先にするのは、家の中全部のドアノブの消毒。寝る前に欠かさずすることは、玄関のたたきと靴裏の消毒だ。子供たちは、清潔を保つためにしてきたこの小さなことのひとつひとつを理解してくれた。まだ新型コロナが未知のウィルスと言われていたあの頃程ではないが、それぞれが皆、清潔を保つための行動を習慣にしている。それは、誰に言われたわけでもなく、それぞれが考えてのことだと思う。
使い捨て容器を使うこともなく、食器は元通り食器棚から出しているし、家の中でのマスクはしない。
それでも、夫と同じ洗面台とトイレは誰一人使わなくなった。子供たちと一緒に食卓を囲むことはあっても、夫の食事は彼一人。もちろん準備と片付けは私がやっている。
家が広い故に、関わる時間も、共有する物も最小限にした。あの時一度バイ菌に見えてしまった夫は、この先もずっとバイ菌に見えてしまうのだろう。

2022年早々に、創業97年の旅館を閉館した。
程なくして夫は、自分の部屋を玄関から一番近い部屋に変えた。日付を跨ぐ頃に帰宅して、知らないうちに出かけていく。部屋を玄関に近く変えたその理由はわからないが、家族と共に過ごす時間を作ることは無くなった。それが良いか悪いかはわからないが、たぶん彼にとって、キレイをは持つことは苦痛なのだろうと受け止めている。
菌やウィルスに対して、余計に怯える必要もなければ、極端に神経質になる必要もないのかも知れないが、一緒に暮らす人は「きれいの基準」が極力近いほうがいいと思っている。
私はこれからも玄関のたたきと靴裏、ドアノブを消毒して暮らすのだと思う。その暮らしに夫がいるかいないかは別として。

#清潔のマイルール



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