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フリーランス復帰半年の現在地:来年は1人皿回しを卒業したい

この前夏休みの思い出を書いたのに、気づいたらもう年末になってしまった。ほぼ100%子どもに寄り添った生活から、仕事する自分を取り戻したいと始まった新年度。子どもたちは二人そろって入学入園。みんなで新生活をがんばってきた1年だったなぁ。

現在地:思ったほどはたらけてない

で、私の現在地はと言うと、毎日仕事ができるのは15時までという感じで、もっと仕事をしたい自分と、いやいや、子の気持ちや体力を考えるとこれでいいのだという自分とが格闘する日々です。

というのも、長女が学童を辞めまして。2学期に入ってから低空飛行が続き、メンタルも荒れ、これはどうにもダメだと思って、学童を辞めようということに。長女の体調は落ち着きましたが、私は働く時間を削ることになりました。在宅なのでできなくはないけど、やっぱりいろいろ対応が入るのでね。集中はできません。

私の方はちょうど仕事も乗ってきたところだったので、勢いをくじかれた感じ。でも仕方ないのかな。いや、そんな簡単に割り切れるはずないじゃん、と思いながらやってます。私のはたらき方は、業務委託ではたらく量も時間も全部自分で決められる。でもだからこそ、「ママと一緒にいたい」という子どもの思いに引っ張られ、自分の「もっとはたらきたい」という思いにシフトしきれない葛藤を感じています。

仕事は楽しいこともあり、やり足りないことは夜やることも多く、睡眠時間が短くなることも。その結果なのか、胃腸炎になったり、ものもらいが度々できたりしました。若い時と違って、無理がきかないお年頃。健康管理は何歳だって大切だけど、切迫感が出てきた40代。

いまのやり方の限界

つくづく1日が24時間じゃ足りない。自由時間に対するやりたいことと仕事の量。子どもと過ごす時間。睡眠や運動の時間。それぞれを満足するまでやるには、どうしたって足りない。

それならやり方を変えるしかない。でもやり方を変えるには、一人じゃ無理で、一緒に働く人や家族の理解が必要になる。そこでいつも娘たちの顔が思い浮かび、そんなの無理…ってなるんですよね。来年は娘たちと話し合いながら、私のはたらく時間のことも一緒に決めていけるといいなぁ。娘たちにも、自分がどう過ごすか、自分で決める力を持ってほしい。

いわば、今年は1人で何枚も皿回ししてバランスをとっていたところから、来年は少しずつ子にも手渡すようなそんなイメージ。回したい皿とか自分なりの回し方を自分で遊んでくれるといい。家事の皿だって、私が全部もつ必要はないわけだし。回している姿はちゃんと見守るから。

でもこれ、子ども相手に日々チューニングしながらやっていく、って本当に骨が折れるのだよなぁ。やれるだろうか。

かたや、娘たちも働く母を見て確実に何かを受け取ってる様子。放っておいても心も体もぐんぐん成長してますしね。だから諦めないでやってみようと思います。

心は揺れるもの。だから語れる場所が大事

哲学対話を主宰するのは同じ年頃の子をもつお母さん。それだけで応援したくなる。

とはいえ、やっぱり一人じゃできないんですよね。決意しても日常に流されて、気づけば再び葛藤の日々。どうしたものかと思っているところにタイミングよく、市役所で「そもそもコソダテ!〜ゆっくり考えて対話するカフェ」という哲学対話が開催されるということで行ってきました。

話すテーマは決まっておらず、集まったメンバー全員で話したいことを出し合い、その中からみんなで決めるスタイル。そこで決まったテーマは「子どもを信じるってどういうこと?」。

そこでは、「親の背中を見せる」「信じて見守る」などいろんなキーワードが出て、それはなるほどなんですが、どうやって実践するのか、それはもう、一人ひとりが向き合うしかない。うちはこうしてみたよって話はあっても、実際どうなるかはみんな違う。でも、自分の葛藤を聞いてもらったり、同じように葛藤している、あるいは、葛藤してきた人の話を聞くことはとても大事。安心して思いを吐露できる場所があると、子育ては楽になる

Polarisではたらくきっかけをくれた仲間にも再会できて、お休みしている座談会もまたやろうということに。自分自身が今回のような場を求めていることもあるけれど、自分自身で機会をつくりだしたいとも思う。いろんなところで、対話の場が開かれているといいですね。無理ない範囲で、また座談会、やっていこうかなと思います。


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