昭和の○○がエモい!?歌だって負けてない 昭和歌謡の魅力を徹底解説!!
「昭和の○○がエモい!」最近こんな話題をよく耳にします。
今、昭和のカルチャーに興味を持ち思い思いに楽しんでいる10~20歳代の
人たちが増えているようです。
筆者は1970年代に生まれた、いわゆる「第二次ベビーブーム世代」です。
つまり若い人がいう「エモい昭和」をリアルタイムで経験しています。
幼いころより音楽を嗜みドラマー歴20年を超える筆者は当然のごとく昭和の音楽「昭和歌謡」に一方ならぬ思いを抱いています。
今回は昭和の時代をリアルタイムに経験して来たドラムおじさんが“昭和歌謡のエモさ”を存分に語るというブログです。
歌謡曲とは
最近はめっきり聴かなくなった「歌謡曲」という言葉。そもそも歌謡曲とは何なのか、まずはそのルーツについて見てみましょう。
元々明治時代に西洋から入ってきた「芸術歌曲」を“新時代の歌”という意味で「歌謡曲」と呼称したのが始まりのようです。
基本は西洋音楽の影響を受けた楽曲が対象であるため日本発祥で「演説歌」の派生である「演歌」は本来対象外です。しかし、あまり厳格に区分されることはなく演歌も歌謡曲としていました。
時代が進むにつれ西洋音楽の影響を受けた楽曲は、伝統的な音楽理論を打破するような複雑かつトリッキーな構成へ変遷していきます。
1990年代には「J-POP」というジャンルが生まれ本来の「歌謡曲」はこちらへ移行します。
そして、演歌はそのまま「演歌」というジャンルで定着しました。
現在「歌謡曲」という言葉は身を潜めてしまいましたが、様々に変化し今へつながっています。
昭和歌謡全盛の時代とは
高度経済成長がピークを迎えた1960年代。1964年には「東京オリンピック」が開催され日本は活況を呈していました。
そんな時代の流れに乗ってやってきたのが1970~80年代。そこで昭和歌謡は全盛期を迎えます。そのとき日本では何が起きていたのか。
ここからは、昭和歌謡が最も華やいだころの時代背景を見てみましょう。
昭和歌謡 1970年代の時代背景
1970年代は「日本万国博覧会(通称:大阪万博)」の開催で幕が開きます。その後1972年には札幌オリンピックが開催され、正に新時代の幕開けといった雰囲気だったでしょう。
しかしその陰では、高度経済成長のツケとして大気汚染や水質汚染、騒音、振動など公害問題が注目されます。
世間では「大量生産・大量消費」が定着する一方で、新たな負の側面が浮き彫りとなりました。
他にもオイルショックや浅間山荘事件、変動相場制の導入、炭鉱の閉山など歴史的な出来事が多数起こりました。
また高層建築物やマンションの建設、スーパーマーケット登場、電卓の普及などあらゆるものの終わりと始まりの時代でした。
時代の流れが急加速し、変化のうねりが急拡大するそんな1970年代でした。
昭和歌謡 1980年代の時代背景
1980年代はサブカルチャー躍進の時代です。
これまでイケイケどんどんで成長してきた経済も一段落。なりふり構わず
走り続けてきた人々も自身を見つめ直し始めます。
“個”が尊重され、現代価値観の出発点ともなった時代です。若者たちは自由を求め、新たなカルチャーもたくさん生まれました。
1983年には東京ディズニーランドが開園。
アイドルブームやアニメ・特撮ヒーローが黄金期を迎え「オタク」という言葉も登場しました。お笑い芸人によるバラエティー番組が台頭し娯楽の発展が目覚ましい時代でもありました。
一方で「校内暴力」や「暴走族」、「不良」、「いじめ」といった若者たちの素行が社会問題になりました。
さらに1980年代で忘れてはならないのが中期以降に起こった「バブル景気」です。
昭和歌謡全盛期に輝いた“エモい”歌手とは
1970~80年代の時代背景を読み解くと、それまでの価値観が大きく転換するターニングポイントともいうべき時代でした。
自由を求め多様性を重んじ始める中で様々なカルチャーが生まれました。
そこからは才能あふれる人材も現れます。歌謡界においても逸材と呼ばれる人たちが多数世に登場してきました。
ここからは昭和歌謡全盛期に花開いた歌手に焦点をあて筆者的に“エモい”と思う方々を厳選してご紹介します。
昭和歌謡で輝いた男性歌手
まずは男性歌手です。特に「西城秀樹さん」と「沢田研二さん」は、子供のころ踊ったり斜めに被った帽子を投げてみたりとよくマネをしていました。
郷ひろみ
【chihirock☆starのエモ曲】
『よろしく哀愁』
『お嫁サンバ』
『哀愁のカサブランカ』
『2億4千万の瞳-エキゾチックジャパン-』
西城秀樹
【chihirock☆starのエモ曲】
『情熱の嵐』
『傷だらけのローラ』
『YOUNG MAN』
『ギャランドゥ』
沢田研二
【chihirock☆starのエモ曲】
『勝手にしやがれ』
『サムライ』
『カサブランカ・ダンディー』
『TOKIO』
田原俊彦
【chihirock☆starのエモ曲】
『哀愁でいと』
『ハッとして!Good』
『抱きしめてTONIGHT』
『ごめんよ涙』
近藤真彦
【chihirock☆starのエモ曲】
『スニーカーぶる~す』
『ギンギラギンにさりげなく』
『ハイティーン・ブギ』
昭和歌謡で輝いた女性歌手
次に女性歌手です。
「美空ひばりさん」はもはや日本の歌姫として永遠に歌い語り継がれるべきレジェンドです。
「山口百恵さん」はご結婚を機に引退され、それ以降芸能活動は一切されていないという潔さが本当にカッコよく、歌唱力や表現力だけでなく生き様をも憧れてしまいます。
美空ひばり
【chihirock☆starのエモ曲】
『お祭りマンボ』
『真っ赤な太陽』
『愛燦燦』
『川の流れのように』
山口百恵
【chihirock☆starのエモ曲】
『イミテイション・ゴールド』
『秋桜』
『プレイバックpart2』
『いい日旅立ち』
『さようならの向こう側』
松田聖子
【chihirock☆starのエモ曲】
『青いサンゴ礁』
『チェリーブラッサム』
『夏の扉』
『赤いスイトピー』
中森明菜
【chihirock☆starのエモ曲】
『スローモーション』
『少女A』
『飾りじゃないのよ涙は』
『DESIRE-情熱-』
小泉今日子
【chihirock☆starのエモ曲】
『まっ赤な女の子』
『ヤマトマデシコ七変化』
『なんてたってアイドル』
『学園天国』
昭和歌謡で輝いたアイドルグループ
1970~80年代はグループで活動するアイドルも黄金期を迎えていました。
ここからはアイドルグループもピックアップしみましょう。
「少年隊」の人気は“お年頃の女の子は全員スキ!”というくらいの勢いでしたが、その後にデビューした「光GENJI」に至っては人気がありすぎて労働基準法が改正つまり法律をも変えてしまいました!
「ピンク・レディー」は、当時の子供特に女の子たちの間で振付けをマネるのがとにかく流行っていました。
筆者も姉に「私ミーちゃんやるから、ケイちゃんやって」と言われよく駆り出されていました。
「おニャン子クラブ」は現在もプロディーサー兼作詞家としてご活躍されている「秋元康さん」が最初に手掛けたアイドルグループです。
今でいう「AKB48」などのような形態の女性アイドルグループの元祖です。
【男性アイドルグループ】
少年隊
【chihirock☆starのエモ曲】
『仮面舞踏会』
『バラードのように眠れ』
『君だけに』
シブがき隊
【chihirock☆starのエモ曲】
『NAI・NAI 16』
『100%…SOかもね』
『スシ食いねェ!』
光GENJI
【chihirock☆starのエモ曲】
『ガラスの十代』
『STAR LIGHT』
『パラダイス銀河』
【女性アイドルグループ】
キャンディーズ
【chihirock☆starのエモ曲】
『年下の男の子』
『春一番』
『暑中お見舞いも仕上げます』
『微笑がえし』
ピンク・レディー
【chihirock☆starのエモ曲】
『ペッパー警部』
『S・O・S』
『ウォンテッド(指名手配)』
『UFO』
おニャン子クラブ
【chihirock☆starのエモ曲】
『セーラー服を脱がさないで』
『およしになってTEACHER』
『恋はくえすちょん』
昭和は歌番組黄金時代
昭和歌謡全盛期の1970~80年代、それを更に後押しするものがありました。それが歌番組です。当時の歌番組は庶民の娯楽の筆頭でした。
夕食後家族みんなでテレビを囲み、アイドルが出て来ると子供たちは全集中で画面に釘付け。演歌歌手だと父親が歌い始め子供たちは別のことをし出す。それが我が家の日常でした。
ここからは1970~80年代に放送されていた3大歌番組をご紹介します。
ザ・ベストテン
「黒柳徹子さん」と「久米宏さん」の司会で毎週木曜日夜9:00から生放送されていた番組です。「黒柳徹子さん」のタイトルコールから始まるこの番組は、日本の音楽ランキング番組の草分け的存在でした。
途中、「久米宏さん」は交代されましたが、1978~89年まで実に11年間放送されました。
放送期間中の最高視聴率は驚きの41.9%!国民世帯の半分近くが視聴していたという「おばけ番組」でした。
毎週、生放送中のハプニングも番組の売りで、出演歌手が多忙でスタジオに来られないとか移動中の車内から中継するなんてこともありました。
また、何回かスタジオを飛び出し公開生放送をしたことがあります。筆者の住んでいた町にもやって来たことがあり、それはもう大騒ぎになったことを今でも鮮明に憶えています。
ザ・トップテン
1981~86年まで5年間、毎週月曜日の夜8:00から生放送されていました。
司会は「堺正章さん」と「榊原郁恵さん」です。
すでに放送中だった「ザ・ベストテン」に対抗したのか?便乗したのか?
違いは何なのか?と首をかしげずにはいられない番組でしたが、始まってみればしっかりお茶の間に定着する番組となっていました。
ランキング番組については、時代が進むにつれ闇の部分や様々な矛盾が指摘されはじめ衰退の一途をたどることになります。
夜のヒットスタジオ
「夜ヒット」の愛称で親しまれ1968~90年まで実に22年間続いた長寿番組です。筆者の印象に残っているのは「芳村真理さん」と「井上順さん」または「古舘伊知郎」が司会をされていた時代です。
「夜ヒット」は、前述の2大ランキング番組とは一線を画していました。
ランキング番組ではどうしても出演者に偏りが出てしまうのに対し、こちらの番組は外国人バンドや海外で活躍する日本人が出演するなど幅広くキャスティングされるのが特徴でした。
普段、日本のテレビではお目にかかれないようなアーティストを観られるので筆者はどちらかというと「夜ヒット」派でした。
歌い継ぎたい昭和歌謡 名曲ランキングBEST20!
最後に、これからも歌い継ぎたい昭和の名曲ランキングBEST20(2022年版)をお送りします。ぜひ、カラオケなどで熱唱してください。
まとめ
この記事を書きながら改めて昭和歌謡を聴きました。子供のころの思い出と昭和歌謡がリンクして身体中の細胞が疼きだし、ワクワクする感覚がとても心地よかったです。
今も昔も、音楽はその時代を写し出す鏡のような側面があります。もちろん昭和歌謡にも当時の時代背景がにじみ出る“味”があります。それが今の若い人たちには“エモさ”として刺さるのでしょう。
これからも昭和歌謡を楽しみ、そこから学び未来へつながってくれたらいいなと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!
chihirock☆star