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すべては「あの頃」があったから。



同い年の友人M子と会ってきた。
モデル活動もしているM子は、いつ会っても美人で可愛らしくて、とても魅力的。

芸術的センスというか、アートに関する好みみたいなものも合うため、一緒に美術館に行ったり写真を撮り合ったり、のんびりお茶したりする仲。
カラオケとかクラブとか、そうゆうところには遊びには行かない。二人でお酒を飲んだこともないかもしれない。


桜の綺麗な場所で、M子の一眼レフを触らせてもらいながら、遊び半分で好きなだけお互いを撮り合い、ついでに桜を中心に春の植物たちを愛でる。いや、お花見のついでに写真撮ってた、というほうが正しいかもしれない。

「この桜、下まで伸びてるすごいね」とか、「この黄色い花なんて名前だろう?」とか言いながらのんびりと新宿御苑をお散歩する。

なんと素敵な時間だろう。


元々の性質や性格もあるかもしれないけれど、ここ数年、どんどんお花が好きになっていく、という話をした。

「わかるー!」と、M子は共感してくれた。

「私、最近ベランダでパンジーとかヒヤシンス育ててるの」と言うと、M子は「最近盆栽買ったから今部屋の中で桜が咲いてる」と言っていた。
鉢植えをすっ飛ばして盆栽。いつだって私より先をいく女なのだM子は。
そこには女子特有のマウントとか腹の探り合いみたいなものは存在しない。
相変わらず良い子だなぁ、と思った。
舞台の共演がキッカケで出会ったM子。
その、いい意味での変わらなさにホッとする。


しかし出会った頃よりも確実に年をとっている私たち。

花を年々好きになっていくように、以前は特に興味がなかったり、そこまで関心がなかったものなのに、年齢を重ねるごとに何かに気付いたり変わったりしていくことって確実にあるのだ。

反対に、捨ててきたものや諦めてきたものも。

それらの重さから、解放されたからだろうか。

帰り際お茶をしながら「最近、やっと肩の力が抜けてきた」という話になった。

20代の頃は、「やらなきゃ、ちゃんとやらなきゃ。がんばらなくちゃ」ってはりきってばかりいた私。
言うなれば、アレも欲しい、コレも身につけたい、「抱え過ぎ」な状態だった。
弱く見られないように、強くいられるように。身も心も武装していた。

だけど今はやっと、「これが私だし」「やれることはやったし♪」と、開き直れるようになった。


そう、開き直れるようになった!!(大事なことなので繰り返した)


この話に関しても、またもやM子は共感してくれた。

その後に、こう続けた。

「でもさ、そのはりきってた20代を過ごしてきたから、今楽になれてるのかも。20代で積み重ねてきたものがあるからなんだよね」

M子はいつだって軽やかで、朗らか。人のエネルギーを奪うようなことはしないし、否定もしない。


たしかにそうだよなぁ。

私といえばネガティヴの代表選手みたいなもんで、すぐに「なんで私、あんなに20代の頃に真面目にやってたんだろう…。もっと力抜いて楽にやれてたら疲れなかったし、何か変わってただろうに!!」と、過去を悔やんではがり。そんなこと考えても仕方ないってわかっちゃいるのに、まず最初にネガティヴがこんにちはしてくる。
マジでいらない挨拶だけど。


仕事も恋愛も、がむしゃらにやっていた20代の頃。

寝る間も惜しみ、時間を割いて、気を遣い、体を酷使し、とにかく、必死だった。

だけど30代も、それも半ばになってようやく、

いろんなことが楽になってきた。


仕事も恋愛も、「頑張る」というより「愉しむ」にシフトできたし、「本当はやりたくないんだけど…でも○○だからやらなきゃ…」でやっていたことは、「本当も何もやりたくないから」やらない。
もちろんそれでも、どうしてもやらなきゃいけないことの場合は、ストレスの逃し方やかわし方も、身についてきた。


大人になるって、昔は「色んなものを得て大きくなっていく」って思っていたけど、実は「余計なモノがどんどんなくなっていく」、シンプルに近付くことなんじゃないかとも、思ったり。


肩はガチガチに強ばり、頭はカチカチに固くなっていた、あの頃。

でもあの頃があったから今軽くなれた、とM子は言った。

すごく腑に落ちて、これからは軽く軽ーく、楽に、進んでいける気がした。

この状態で、今まではできなかったことを、これからやっていこうと思う。


人は日々変わっていく。気付く。


34歳の私。
フワフワと漂えるようになれた私は、これまで重くて飛べなかった場所にだっていけるはず。

重くて下からの視点ばかりだった私は、上から広いモノを見渡せる。果たしてどんなことに、どんな景色に出会っていくだろう。


あぁ、これからも、人生が本当に楽しみ。


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