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「母」という、言葉について思うこと。


「母の日」はとっくに過ぎてしまったから全然タイムリーではないのだけれど…

とある記事を読みながら、

「母」という言葉について、どのように感じるか?
と問われる機会があった。

本来ならば、「母」について、
「母」というイメージについて、
ポジティブな言葉を使ってを答えるべきかもしれなかった。



スミマセン。
私にはそれが、どうしてもできませんでした。
ごめんなさい。




私は「母」という言葉に、ネガティブなイメージを持っている。

それは、
うちの母が俗にいう、
【毒親】の部類に入るということもある。

けれどそれを抜きにしても、
私は、世間一般の(自分の母以外の)「母」という言葉に対しても、少々、いやだいぶ、嫌悪感を示している。


母。

全てを包み込む。
母性。
大きな存在。
海のような。
母なる大地。

など。



そんな、聖女のような、計り知れない大きくも尋いイメージが先行してしまい、「母」もひとりの「人間」であるということが、忘れられてしまっている気がしてならないのだ。

「母」の先に、
いや、
「母」の手前には、
いろんな種類の人間がいるということが、忘れられているのか。それとも忘れようとされているのか。
「母」の元となる「人間」には、目を向けないように。
そんな気がする。

事実、「母」もひとりの「人間」だということを、私がちゃんと受け入れることができたのはつい最近のことだ。


母の対の言葉として「父」がある。

この「父」に関しては、良くも悪くも「等身大」というか、身の丈に合ったイメージ。

だけどそれが「母」になった途端に、その人が持つ個性やポテンシャル以上のものを求められてしまう。そんなイメージがある。


もちろん、「母」がとても神秘的な、命の根源であることは事実。とても大きな存在であることは変わりはないけれど…。



「母」にも色々いる。
料理が苦手だったり、
片付けなくても平気だったり、
バリバリと仕事をこなすキレ者だったり、
仕事行きたくなかったり、
恋愛を現役で楽しんでいたり、
旦那LOVEだったり、
不倫していたり、
ヒステリックだったり、
メンヘラだったり、
子供が嫌いだったり、
過去に辛い思いをしていたり、
人としてダメ人間だったり。


「母」=「なんでもできる万能者」ではない。


いい意味で「母」という言葉の、
ハードルが下がる世の中になったらいいなと。


今日は土曜日。

家の近くの小学校で、運動会らしきものをやっている。
それぞれの「母」は、
どんな人生を送ってきて今、「母」を演じているんだろう。



今日は朝から、そんなことを考えた。




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