ジュニマネ千尋

ハワイでコミュニケーション会社「Media etc.」を経営しています。愛する家族や友…

ジュニマネ千尋

ハワイでコミュニケーション会社「Media etc.」を経営しています。愛する家族や友人たちとの日々に思うこと、サーフィンのこと、愛猫原田のこと、そしてこれまで書いてきた回想記も転載していきます。ウクレレ奏者をしている相方ジュニアのマネジャーをしていたので、「ジュニマネ」です。

記事一覧

原田の思い出

あ、と気づいたらもう2021年の7月も終わろうとしていて 多分、それは今世界中の人たちが感じていることかもしれないけど 2020年の3月以降って、いったい何だったの、とい…

マコちゃん

以前、「ジュニマネ回想記」に何度か書いたことのあるイトコのマコちゃんが、 1年半ほどの闘病の末、とうとう昨年の2月に亡くなってしまった。 あの山間の町にもうマコち…

Juneteenth

アメリカの独立記念日は、7月4日。1776年の7月4日に英国から13州が独立して、アメリカ合衆国が誕生した。毎年各地で大きな花火が上がり、アメリカ中が自由を祝ってお祭り騒…

トレイシーとローラ

私がトレイシーとローラに初めて会ったのは 確か19か20歳くらいの時だった。 トレイシーもローラもまだハワイ大学の学生で、 交換留学生として日本を訪れていた。 トレイ…

マエシバ

私が生まれてから2歳くらいまで家族で暮らしていた父の実家は、 マエシバという、海の近くの小さな田舎町にあった。 磯の匂いがして、堤防に網が干してあって、いつも野良…

消えた兄の思い出

ヘンなところで妙に記憶力の良い子供だった私。 小学校の卒業前に書いた作文のために、 「生まれてから、いちばん最初の記憶」について いろいろ思い出してみたことを今で…

原田のこと

私が初めて原田に会ったのは、 20年前の5月。 「4月に産まれた子猫が1匹だけいるんだけど 引き取り手がなかったら、もうヒューメインソサエティに 連れて行こうと思ってる…

はじめまして

千尋です。 ハワイで小さなPR会社を経営しています。 ウクレレ奏者をしているオット、ハーブ・オオタ・ジュニアと ティーンエイジャーの次女サリちゃんと、 20歳になっ…

原田の思い出

あ、と気づいたらもう2021年の7月も終わろうとしていて 多分、それは今世界中の人たちが感じていることかもしれないけど 2020年の3月以降って、いったい何だったの、という思い。 20歳の愛猫、原田が死んでしまったのは、 2020年の6月だった。 いつかいなくなってしまうことなんて想像できないほど 原田は病気もしないで、健康に長生きしていた。 だけど、20歳になってから足腰が弱ってきて、 ある日階段から転げ落ちて、 その頃から急速に衰えて、 腹水が溜まって

マコちゃん

以前、「ジュニマネ回想記」に何度か書いたことのあるイトコのマコちゃんが、 1年半ほどの闘病の末、とうとう昨年の2月に亡くなってしまった。 あの山間の町にもうマコちゃんはいないのだと思うと、私は心底ガッカリだ。 私がずいぶん長い間「ジュニマネ回想記」に何も書けなくなったのは、 マコちゃんのことと言い、 20年以上生きてくれた猫の原田とのお別れのことと言い、 書き記しておきたいことはたくさんあるのにも関わらず、 頭の中にある言葉が、何故だかうまく紡げなくなってしまっ

Juneteenth

アメリカの独立記念日は、7月4日。1776年の7月4日に英国から13州が独立して、アメリカ合衆国が誕生した。毎年各地で大きな花火が上がり、アメリカ中が自由を祝ってお祭り騒ぎになる日だ。 でも、その日すべてのアメリカ人が自由になれたわけじゃなかった。 それから90年後、1862年の9月22日にエブラハム・リンカーン大統領が奴隷制度を禁止するまでの間、黒人は過酷な仕事を無償で強いられ、反発すればリンチされ、逃げれば捕まり殺され、まともな人間として扱われることはなかった。しかも

トレイシーとローラ

私がトレイシーとローラに初めて会ったのは 確か19か20歳くらいの時だった。 トレイシーもローラもまだハワイ大学の学生で、 交換留学生として日本を訪れていた。 トレイシーは私が働いていた会社のオーナーの家に 短期間だったがホームステイしていたのだった。 トレイシーはやさしいローカルボーイで ローラはハイテンションなローカルガール。 ふたりともチャイニーズ系だった。 その後、私がハワイに行くたびに トレイシーはあれこれ面倒を見てくれたのだが、 その都度ローラも一緒に来て

マエシバ

私が生まれてから2歳くらいまで家族で暮らしていた父の実家は、 マエシバという、海の近くの小さな田舎町にあった。 磯の匂いがして、堤防に網が干してあって、いつも野良猫がウロウロしていた。 母が籐製の乳母車に兄と私を乗せて散歩していたのも、この町だった。 2歳以降名古屋の下町に引っ越してからも、 私は時々この田舎町を訪れた。 だから、すぐ近くにあったお寺の夏祭りのことも、 そこで買ってもらったハッカのお菓子のことも、 昭和の香りいっぱいのよろずやのことも、 隣りの「パーマ屋

消えた兄の思い出

ヘンなところで妙に記憶力の良い子供だった私。 小学校の卒業前に書いた作文のために、 「生まれてから、いちばん最初の記憶」について いろいろ思い出してみたことを今でも覚えている。 それは、籐でできた乳母車の中に居たこと。 兄とふたり一緒に乗せられて、 乳母車の中に敷かれた薄い座布団の上に立って 外の風景を見ていたこと。 たぶん、私が2歳、兄が3歳の頃のこと。 踏切の音や、線路の上を通る時のガタガタ感も なんとなく覚えていた。 それを母に話したら、 確かに乳母車に私と兄

原田のこと

私が初めて原田に会ったのは、 20年前の5月。 「4月に産まれた子猫が1匹だけいるんだけど 引き取り手がなかったら、もうヒューメインソサエティに 連れて行こうと思ってるの」との電話を受けて 「じゃ、見に行く」と、私が向かったのは、 親友ヒロヨの家。 ヒロヨがその頃住んでいたオアフ島の西部、 エヴァにあるビーチフロントの家の納屋に まだ産まれて2週間ほどの子猫はいた。 目だってちゃんと見えているのかどうかわからない 手のひらサイズのミニチュアのくせに 子猫は私に向かって

はじめまして

千尋です。 ハワイで小さなPR会社を経営しています。 ウクレレ奏者をしているオット、ハーブ・オオタ・ジュニアと ティーンエイジャーの次女サリちゃんと、 20歳になった愛猫の原田と一緒に暮らしています。 オトナになった長女サシャは私と同じ会社で働いていて、 ダンスインストラクターをしているオットのブレちゃんと、 2人の息子、5歳のブーちゃんと2歳のベニちゃん、 そしてブレちゃんの祖父母と一緒に暮らしています。 長男ケンはバツイチのミュージシャン。 ケンの愛息