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トレイシーとローラ

私がトレイシーとローラに初めて会ったのは
確か19か20歳くらいの時だった。

トレイシーもローラもまだハワイ大学の学生で、
交換留学生として日本を訪れていた。

トレイシーは私が働いていた会社のオーナーの家に
短期間だったがホームステイしていたのだった。

トレイシーはやさしいローカルボーイで
ローラはハイテンションなローカルガール。
ふたりともチャイニーズ系だった。

その後、私がハワイに行くたびに
トレイシーはあれこれ面倒を見てくれたのだが、
その都度ローラも一緒に来て、私に急接近した。

私は最初、トレイシーとローラは恋人同士だろうと思ったのだが
それをトレイシーに聞くと、彼はキッパリと否定した。

でもローラの方は明らかにトレイシーに恋していた。
しかもかなり強烈に。

ローラが私とミョーに親しくなってくれたのは
トレイシーと私が良い仲になるのを
ヒジョーに恐れてのことじゃないかと
私はうすうす感じていたけれど
英語を勉強するにあたり、仲の良い女友達ができたことは
私にとっては最高にラッキーなできごとだったと今も思う。

ローラと私は1冊ずつ単語帳を用意した。
私にわからない単語があると、ローラが教えてくれた。
そしてその単語を今度は日本語にして、私がローラに教えた。

学校ではゼッタイに教えてもらえないような
女の子が必要とするあらゆる単語や隠語も
ふたりでたくさん教え合った。

その後ローラは日本の私の家に2週間くらい泊まりに来たし
私もハワイに行く時には、ローラの家に泊まるようになった。

大学を卒業してからローラは、バイト先のホテルに
そのままコンシェルジェとして就職することになった。

トレイシーも長い間バイトしていたホテルのマネージメント会社に
そのまま正社員として就職した。

私は学生ビザでハワイに戻って来て、ローラの家に下宿することになり
私とローラはまるで姉妹のように暮らした。

トレイシーが私を誘いに来る時は、当然ローラも一緒に行動した。
ローラは私に自分がどれだけトレイシーを愛しているかを教えてくれて
私もその頃恋していた男の子の話をローラに聞いてもらった。

でもなぜかトレイシーは、ローラに恋愛感情を持ってくれない。

ローラはトレイシーが私のことを好きなんじゃないかと
密かに胸を焦がしていたと思うが、
別にトレイシーが私に恋しているワケではないと、
私にはなんとなくわかっていた。

働いていたホテルが日本の会社に売却された時、
ローラはそれまでのオーナーの会社に残ったため
ワシントンDCのリージェントホテルに転勤が決まった。

それを機にローラは、トレイシーのことをあきらめて
前に進もうと思ったのだろうか。

そして私にもワシントンDC行きを強く勧めたローラは
私だけがハワイに残り、トレイシーの彼女になってしまうのを
なんとか阻止したかったのかもしれない。

どちらにしても私は、ニューヨークの大学に行くつもりだったので
ローラの「DCにすれば私と一緒に住めるから、お金がかからないし
ニューヨークだってそれほど遠くないのよ」という誘いに乗り、
愛するハワイを後にして、DCに引っ越した。

DCの学校生活についてはまたいつか書く事になると思うが、
結果的に言うと、ローラは1年半もするとハワイに帰ってしまった。

私はそのままDCに3年ほど暮らし、日本に1年住んでから
またハワイに戻った。

ローラは持ち前のテンションの高さと滑舌の良さを活かして
ラジオでしゃべったり、テレビ局で働いたりしており、
トレイシーはというと、あいかわらず同じ会社で働いていた。

私も忙しくて、なかなか以前のようにトレイシーやローラと
一緒に行動することはなくなっていた。

ある夜、ちょっとした取材も兼ねて、私は日本からの男友達と
その頃クヒオ通りにあったゲイバー「フラズ」に出かけた。

店に入る時私が鉢合わせたのは、ボーイフレンドと肩を組んだまま
私の顔を見て固まってしまったトレイシーだった。

嗚呼、ローラが青春を捧げて恋したトレイシー、
もっと早くカミングアウトしてあげれば良かったのに。

ローラも今度こそはトレイシーをあきらめ、
それから何年もの間、トレイシーからの音沙汰がなくなった。

そして、ある日ローラからの電話で知ったのは
トレイシーが癌に冒されたということ。

それから半年くらいだったか、トレイシーが闘病する間、
私もローラも頻繁に病院や実家を訪ね、トレイシーを見舞った。

まるで学生時代に戻ったように、音楽の話や映画の話で盛り上がり
共通の友達の近況を知らせ合い、くだらないジョークに笑った。

トレイシーのゲイ友達もよく病院を訪れた。
トレイシーはもう何も隠す事なく、私に話してくれた。

両親のためにも、決してカミングアウトはできなかったこと。
誰にも知られたくなかったのに、私にばったり会ってしまったこと。
私が仲良くしていたゲイの友人と、ゆっくり話をしてみたかったこと。

私が最後にトレイシーに会ったのは、ホスピスの一室だった。
ゆっくり病室を巡るミュージシャンのボランティアが
ギターを弾いて歌ってくれるハワイアンソングを一緒に聴いた。

ガイコツみたいに痩せたトレイシーは、空洞のような目で
呆然と空を見つめて、何か口の中でつぶやきながら
少し涙をにじませていた。

私は、さわるだけで痛いはずのトレイシーの手を
そ~っとそ~っとつないで、一緒に泣いた。

トレイシーはまだ、40歳になったばかりだった。

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(2010年4月12日 ジュニマネ回想記)

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