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マエシバ

私が生まれてから2歳くらいまで家族で暮らしていた父の実家は、
マエシバという、海の近くの小さな田舎町にあった。
磯の匂いがして、堤防に網が干してあって、いつも野良猫がウロウロしていた。

母が籐製の乳母車に兄と私を乗せて散歩していたのも、この町だった。

2歳以降名古屋の下町に引っ越してからも、
私は時々この田舎町を訪れた。

だから、すぐ近くにあったお寺の夏祭りのことも、
そこで買ってもらったハッカのお菓子のことも、
昭和の香りいっぱいのよろずやのことも、
隣りの「パーマ屋」のことも覚えている。

祖母についてパーマ屋に行ったら、
ついでに私までパーマをかけられたことがあった。

我ながらかなりイケてると思ったのだが、
幼い私の色気づいたヘアスタイルを見た父は激怒し、
私は速攻床屋に連れて行かれて,男の子みたいな刈り上げにされた。

父の実家には昼間でもうす暗い土間があって、かまどがあって、
トイレは庭にあった。もちろん水洗ではなかったし、
夜のトイレなんてコワくてひとりで行けたもんじゃなかった。

ガタピシ音を立てるガラス窓や、土間にあったお風呂場、
ゴザの上に梅が干してあった庭、
曾祖母がちんまりと座っていた仏壇のある部屋、
今でも断片的に思い出せるその家は
そういえば「トトロ」に出て来た田舎の家にちょっと似ていた。

裏庭には、種が多くて酸っぱいだけのみかんの木があった。

私が小学校高学年の頃には、その懐かしい古家は取り壊され、
祖父母がふたりで隠居するのに十分な、こぢんまりした新居が建てられた。

みかんの木はもうなかった。

高校生の頃、祖父母の新しい家に行って
「あんな大きな敷地だったのにどうしてこんな小さな家しか
建てられなかったのだろう」と驚いたけれど
実はもともとそんなに大きな敷地でも家でもなかったのだった。

私が小さかったから、何もかも広く大きく感じられただけ。

入学したての小学校の運動場が、
果てしなく続く広大な土地に見えたのに
大きくなってから遊びに行ってみたら、
すごく小さくなっていて驚いたのと同じ。
サイズが変わったのは自分の方だった。

いつしかあの家は売られ、もうあの町を訪ねることもなくなった。

私はサーフィンを始めてから、一度少し遠回りをして
あの海の近くの田舎町までクルマで行ってみた。

どうやってそこにたどり着いたのかは、もう思い出せない。

道は信じられないくらい狭くて、あの家の前なんて通れなかった。
そういえば子供の頃も、あの家の前をクルマなんて通らなかった。

堤防の近くにクルマを停めて歩き回ってみたけれど、
パーマ屋もよろずやもなくなっていて、唯一そのまま残っていたのは、
小さなお寺だけだった。

今でもハワイの海でサーフィンをしながら
「この海はあの海につながっているんだなあ」と思うことがある。

ハワイの海に比べたらぜんぜん青くなくて、磯臭くて、
ひなびたうら寂しいムードさえ漂っていたけれど、
ああ見えてもあの海は、太平洋だった。

小さな田舎町は、今どんなふうに変わってしまったんだろう。
マンションやアパートが建てられて、
海の見えるオシャレなカフェなんかもあるんだろうか。
それとももしかして、あの海は埋め立てられたりしたのだろうか。
もう想像もつかない。

今夜とりとめもなくダラダラ書いてしまったのは、
一度あの海の近くの町のことを書き留めておきたかったから。

マエシバのことを、覚えておきたいから。

(2010年4月3日)

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