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月星座のファンタジー

ホロスコープにおける月の解釈は、その人が本来持っている性質であるという考えと、月は欠損で得ることのできないものである(マドモアゼル・愛さん提唱)という二つに、どうやら分かれている。

私の月は牡牛座。
牡牛座の特徴の一つとして、五感や物質・金銭に関する部分をつかさどる。太陽が牡牛座であれば、五感が優れており、質のいいものを好む性質があり、物質的なものを大切に満たされる生活をするのがいいようだ。

では、月はどうなのか。

子供のころ、私は物欲のかなり強い子だったように思う。そして、氣に入ったものへの執着も強かった。子供のころといったが、今でもそういう部分は多々ある。自分が使うものは吟味に吟味を重ね氣に入ったものだけを選ぶし、ほしいものが手に入らない(主に金銭的理由)となった時の喪失感はかなり強い。そして、金銭的に追い込まれたように感じると焦りと恐怖に支配され、人に対して攻撃的になることも時にある。

そして私は「うちはお金がないの」「貧乏なの」と言い聞かされて育った。
同級生の友達をうらやんでばかりだった。
父の収入的な面に加え、祖父母も全員早くに亡くなり、お年玉もあまりもらえない、クリスマスや誕生日なども、同世代の子たちから比較すると寂しいものだったのだろうと思う。いつも満たされない。なんでうちだけ…と親に不満を漏らすことが多かった。

では、一緒に育った姉はどうだったか。そう考えると、姉はあまりほしいものに関してやお金について、親を困らせていた記憶がない。姉は物へのこだわりもない。正直、私の観点からするとこだわりがなさ過ぎて大丈夫?と思っていた時期すらある。大体は使えればなんでもいい人である。
もちろん、第一子の長女である姉は、私よりは「自分のもの」を与えてもらっていた部分はある。さすがにランドセルと学校からの指定で注文するものは私も自分のものを与えられたが、服はもちろん水着もスキー用具・ウェアもおさがりであることがほとんどだった。

同じ家で育っても、お金や物質に関する充足感が全然違うのである。

中学生の時に、姉のスキーとスキーウェアのデザインが嫌すぎて親に猛抗議したことがある。結局お下がりを使うしか道はなかったが、ただでさえ寒いのが嫌いでスキーが苦痛だったことも加わり、半泣きになるほど私は物への執着が強かった。氣に入ったもの以外を纏うなど、理不尽としか思っていなかった。

そしてスキーが嫌いだった一番の理由が、ぶ厚い靴下をはいた上にスキー靴で締め付けられる足が不快で仕方がなかったのと、ニットの帽子がかゆくて仕方がなかったからである。
冬が嫌いなのも、もともと厚着をするのがうっとうしいのが一番の理由である。しかも、厚着をして歩いていたら暑くなってじんわりかく汗の不快感がたまらなく耐えられなかったのである。

子供時代から20代頃の私のもう一つの特徴として、五感的な不快を感じることが異常に多かったことがある。

まず、締め付けられる感覚に耐えられなかった。前述のとおり、スキーや冬の厚着への嫌悪感に加え、子供のころはタイツも大嫌いで親を困らせたことが何度かある。高校は確実に受かる最上レベルの学校が9月からタイツ強制というルールがとにかく嫌で、違う学校を受験した(落ちて私立へ入学)。
そして、アトピーで、毛糸のものがかゆくてかゆくて耐えられない子だった。
さらに肌が弱く、ドラッグストアなんかで売っているのシャンプーも化粧品もファンデーションも、ことごとく合わなかった。

肌に触れるものに感じる不快感の連続。

味にもうるさかった。小学校のお弁当の日の前日など、仕事をしていた母が「冷凍食品でいいか」と私に聞いた時、即答でNoを突き付けた。
今でこそ冷凍食品のクオリティも上がったが、当時私は、食べものじゃないとまで感じていた。ほんだしの味噌汁は初めて飲んだ時の衝撃から、いまだに敬遠している。

匂いにも敏感で、現在でも化学香料がことごとく苦手である。柔軟剤など使われた日には、殺す氣かと思うことも正直ある。車の芳香剤も勘弁してほしい。香水や芳香剤の匂いで氣持ち悪くなり床に臥せった経験が何度かある。
デパートの香水売り場を横切るときにも息を止めていた。香料をふんだんに使ったお菓子も苦手で、フレーバー付きのチョコレート菓子は食べられない。
余談としては、香りに関しては苦手な人も割と多くいるので国による規制が必要だと私は考えている。嗅覚が機能していない人も増えているようにも思う。

加えて、大きな音も苦手である。音楽は好きだが、コンサートなどはめったに行かない。疲れるのだ。大音量で音楽をかけられると落ち着かなくなる。鬱を経験してからは、テレビはただの騒音と化した。

では。

「私は五感に優れている」という表現は適切なのだろうか。
敏感ではある、確かに。

が、私の中にある感覚は、とにかく常に五感が満たされていない。そういう感覚なのだと思う。常に不快。触れるもの、味わうもの、鼻に届くもの、耳に入るもの…現代的なものはほぼ不快と言っていいくらいである。

そこで思ったのは、月星座とはもしかしたら、満たされず翻弄されやすいものを象徴しているのかもしれない。「ない」という感覚に陥りやすいもの。

そう考えてふとまた姉のことを思い出す。

姉の月星座は天秤座。ファッションの星ともいえる。
前述したが、子供のころ、私は姉のファッションセンスへの理解がゼロであった。「なんでこんなもの選ぶのか?」と何度思ったかわからない。だが、現在の姉に対してセンスねーなと思うことはあまりない。一般的であるし、年々好みも重なってくる。
だが、姉自身はというと、とにかく自信がない。自分の選ぶものに。

その上、昔からこだわりもない。自分の家を建てる時、私だったら家具から何からこだわりのものを選びに選ぶが、姉は何がいいのかわからないでとまる。
姉が私や母にファッション的な選択について相談するとき、不思議なほど何度も確認することがある。「本当に?本当に大丈夫?大丈夫だよね?」

加えて、姉は自分の頭脳的な能力にも自信がない。
とにかく自分は頭が悪いと思い込んでいる節もある。
天秤座は頭の回転が速く知的ながありがちだが、姉はここに自信がないと言える。

何年か前までは、子供のころ馬鹿にしすぎたかな、と反省したことも実はあった。悪いことしたなと。そのせいで自信がなくなったのかな、と。

けれど、全ては月の幻想だったという解釈もできなくはない。

私は牡牛座の月の幻影によって物質的に満たされない、これもないそれもないお金もないと過剰に焦燥感を感じる現実を見て育ち、姉は天秤座の幻影によって自分センスがない、頭も悪い、と思いこむような現実を見て育ったのもしれない。

月がいる星座の特徴は、執着や自分の中の不足感なのかもしれない。そう考えると欠損という見方は一理ある。

ただし、資質として持ち合わせていないものというよりは、「ない」「たりない」という"感覚"を得るものという意味で。

そんな解釈をしてみました。


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