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「戦争と平和について800字以内で述べよ。」

戦争と平和について、800字以内で述べよ。

就職活動のために小論文対策が必要で、過去に大学の推薦準備のために書いていた小論文の原稿の中から、4年前の自分が書いた原稿を発掘した。

その設問が上にもある「戦争と平和について」という大きなテーマであった。当時高校3年生だった自分が何を考えていたのかということを知るのは面白い。

私は、昨年までモロッコに9か月間留学していたこともあり、大学のゼミ選択は「現代中東政治ゼミ」を選択した。
そうすると自然と目が向くのが、昨年の秋以降イスラエルとガザ間の国家情勢。昨日のラマダン(断食月)開始後も人々の休戦という希望は打ち砕かれた。ガザ市民は慢性的な空腹のために今年は断食することが難しいと取材で語る姿も見た。

話を戻して、高校生の私は戦争、特に国家間の全面的な戦争など歴史の中のお話だと完全に信じこんでいた。事実、今日読み返した小論文には、こうつづられていた。

現代における戦争とは国家間の全面戦争ではなく、むしろ地域的な紛争やテロを指すと言える。なぜなら、情報技術の発達によって、戦地の様子が報道され、その戦地の悲惨な状況を見た人々が、反戦運動など社会的制裁を与えるようになったからだ。

筆者自身

ここには、戦争が「地域的な紛争やテロを指す」と書かれている。つまり、戦争とは第二次世界大戦のような複数国家が連帯して軍を動かすことではなく、もっと小規模な民族同士の争いのようなものであるとしている。

小論文ではこの文章後にベトナム戦争を例にとり、メディアの台頭が戦場のリアルを人々に伝えたためにアメリカ国民を反戦感情に導いた、とある。
報道で現場の様子を正確に伝えることが平和構築の鍵だと最後に締めくくっているが、振り返るとそのような考えは安易だったのではないか、という感情を抱かざるを得ない。

ロシアによるウクライナ侵攻は今年2月で丸二年が経過し、ガザ情勢も一向に明るい展望が見えない。

このような非常事態にあって思うのが、「ああ、歴史上の戦争を生きた人々の裏側には、戦争に巻き込まれることなく変わりない日常を送った人がいたのか」ということ。

現時点で、戦争にも災害にも巻き込まれずに生きている。しかし、誰かにとっての普通の日常は普通ではなく、自分にその困難が降りかからない限り自分の満ち足りた生活の中に誰かの非常事態を思い浮かべることは難しいということが言える。

最近読んだ新聞の紙面に、東日本大震災の時の語りがあった。その話には、震災でめちゃくちゃになった故郷を離れバスで遠くの町に行くと、人々が何気ない日常を送っている。なぜ自分だけ、「復興」過程の故郷に帰らなければいけないのか、と当時の心境が吐露されていた。

戦争と平和は同時に両立しうる。メディアやSNSが発達した現代は、その両立が自身のスマホやパソコンの画面を通して体感できる。最近、就活のために新聞に目を通すようになり、知識も増えたことで世の中の物事が単なる他人事として分別できなくなった。

私は、この戦争と平和が両立しそれも可視化できる世の中でただガラスを隔てた外側から眺めることで終わらせずに、自分事として考えられる存在でありたい。

今年のラマダン期間中の約一か月間は、私なりにガザの情勢についてSNSを通じて短い文章で発信する挑戦をしたい。とても微小な影響力だけれど、自身の言葉でこのガザ情勢を伝えていきたい。
戦争と平和という大きなテーマに対して、現時点で稚拙ながらも考えを示しておくことは大事でその当時の考えががらりと崩れるような情勢の変化が一挙に訪れてしまうということについてを、改めて考えさせられた今日であった。


以下、当時の小論文の本文全体です。(実際にはある文章を読みそれを踏まえてあなたの意見を述べよ、という設問でした。)

「戦争と平和について800字以内で述べよ。」

 二〇世紀において四度戦争のない平和な世界の実現が期待されることがあった。しがし未だ戦争のない平和な世界は実現していない。筆者は冷戦終結後も戦争による悲劇を目にしたと述べるが、現代における戦争とは国家間の全面戦争ではなく、むしろ地域的な紛争やテロを指すと言える。なぜなら、情報技術の発達によって、戦地の様子が報道され、その戦地の悲惨な状況を見た人々が、反戦運動など社会的制裁を与えるようになったからだ。

 例えば、ベトナム戦争が挙げられる。ベトナム戦争ではアメリカ軍の攻撃の様子がテレビや写真を通してアメリカ国民に伝えられた。その結果、自国軍に対して反戦の声が上がった。反戦の声を契機に政府は戦争を終結させていくが、これはつまり、報道の力が戦争の規模の縮小に加担したという見方もできる。国家間の全面戦争は現代において減少したが一つにこれが要因なのである。

 従って、戦争のない平和な社会を実現するためには、報道によって戦地の状況を国民に正しく伝えることが大切である。戦地の状況は戦場カメラマン、ジャーナリストなどの活動によって私たちに伝わる。しかし、戦地で活動することで、銃撃戦に巻き込まれたり、スパイ容疑をかけられて拉致されたりする危険に遭う。戦地の状況を知る貴重な存在である彼らを守るため、国際法で報道関係者は、いかなる状況でも擁護されなければならないといった法律をつくるべきだ。今まで以上に私たちが戦地に目を向けることで、反戦運動や戦年に反対する意見の情報発信が促進され平和な世界へと近づく。また、対立後の様子も継続して報道することも必要である。復興のための支金援助やDDRなどの平和構築プログラムが推進されるためには、戦争や紛争に直接的に関係していない国からの協力も必要だからである。
(739文字)

筆者の高校3年次の小論文より

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