見出し画像

人生を変えるきっかけは社交ダンスとアルバイトの経験~元銀行員・未経験から女性起業家としての道⑨~

株式会社moveの植田千尋(UEDA CHIHIRO)です。

銀行で勤めていた私は、
とあるきっかけから女性起業家になる事を決意しその道を進んできました。

現在では、法人2社、1人娘を育児しながら、
パートナーとの新しい関係も築き今に至ります。

そんな私の生い立ちSTORYに関して、
まとめているので、よかったらこちらをご覧ください。

経営においての考え方や価値観、その考え方に至ったきっかけ等も書いているので、参考になれば幸いです。

そんな私自身の生い立ちのSTORYに関して
今回で最終章です。

次回からは、
起業までのSTORY~元銀行員・未経験から女性起業家としての道~
をテーマに書いていこうと思います。


皆さんの人生での転機はどんな時でしたか?

私の最初の転機は、
大学時代の「社交ダンス」
「アパレルの販売員のアルバイト」の経験でした。

◾️大学進学へ

共立女子大学/家政学部/被服学科へ進学しました。
いくつか実際に学校見学に行きましたが、
共立女子大学出身である、「桂由美さん」の作品を見た時に感動して非常に憧れました。

また、洋服が大好きな私が当時感じていた事が、
買い物に行くといいなって思う服はあるけど、
サイズが微妙だったり、色合いがこうだったらもっといいのにとか、形がこうだったらいいのにと感じることが多かったです。

それならいっそのこと自分がデザインして作れるようになったらいいのでは?
という考えから被服学科を選びました。
(今はプロに頼もうと思っています!)

4年生の大学に入ると、デザイン・製作のみならず繊維の勉強や構造等の幅広い勉強もできると思い選びました。

担任の先生に相談したところ推薦枠があると聞き入学を決めました。
センター試験を受けたり、猛勉強するのが一般的だったかもしれませんが、私は推薦で進学を決めました。

大学入学までの間はアルバイトをしました。
アルバイトをしながらお金を貯めて、
そのお金で車の運転免許を取りました。

この時から、働いて好きな事に使えるっていいなと感じていました。

◾️社交ダンスとの出会い

大学ではファッションの勉強や技術を習得して海外へ飛び立つ予定だった私は、
社交ダンスとの出会いによって、方向転換します。

部活のオリエンテーションがあり、様々な部活がプレゼンテーションしていく形式で進みました。
その中で、人生で始めて出会った「社交ダンス(競技ダンス)」に衝撃を受けました。

踊っていた先輩がめちゃくちゃ上手だった事、
衣装を着ながら楽しそうに踊って自分を表現している姿に、めちゃくちゃかっこいいと感じました。

部活見学をしたり、先輩たちとの会食の中で 「社交ダンス部」に入部を決めました。

決め手は、
・当日の4年生の先輩が黄金世代と呼ばれるほど強かった事(全国優勝が当たり前の基準)
・先輩達が本当にみんないい人達ばかりだった
(お世辞抜きに!)
新しい事にチャレンジした時に、どれだけ自分のの実力をつけられるか?を試したかった
(バスケやテニスは経験者が多いだろうなと感じていたのと、やり切ったなって感覚がありました。)

小学6年間はミニバスケット部
中学・高校の6年間は硬式テニス部だった私は、
今までやってきた過去の経験関係なく、新しくスタートする事で、努力でどれだけ実績を出せるか?を目指したいと自分の可能性に期待していました。

そう感じさせてくださった先輩方には本当に感謝しています。

入部したチームは優勝が当たり前の基準。
成果主義で下剋上が可能。
(実際私は3年生の時から4年生を下剋上してレギュラーに入りました。)

そんな環境の中で育った事は、今の経営にも活きています。

合宿は年に2回。
日中は基本1年生のボトムアップの為のプログラム。
上級生の個人の練習は24時からスタート。
朝6時からマラソンがスタート。
これが基本で当たり前の環境でした。

いつもすごいなと感じていた事は、
とにかく先輩方が後輩の為に尽くす。
自分の成果を上げるのは当たり前。
自分の目標達成が当たり前。

その上で、後輩のレベルアップ・成果の事を考え毎日のメニューを決める。

私はそんな先輩方の背中を見て育ちました。
尊敬と共に、私が出来る事は下剋上する事だと感じて努力しました。

先輩達がこんなにも教えてくださる中で、成果を出す事は当たり前。
先輩達以上の成果を出して、自慢出来る後輩になるし、私が成果を出す事で周りに伝えていける事も増えると信じていました。

その想いを胸に、4年生の時に100人近くいる部員の中で技術部長になり、
日々のメニュー決めたり、技術の指導などをしました。

▶︎社交ダンスで学んだ事は非常に沢山あります。
・成果になるまでやり抜く事
・辛い時こそ、笑うこと
・限界は限界じゃない、自分で決めるな
・1人1人の勝ちがチームを勝ちに導くこと

ダンスは個人プレーに見えますが実は団体競技です。
個々が強ければチームが勝つ。
よく例えで言いますが、
新幹線は1つの車両ごとにエンジンがついている。だからあれだけ速い。

部活でも経営でも、
まさに1人1人が強くて輝いていて、全体が成果を出しているチームは私の理想、私の人生観・職業観になっていったのかもしれません。

▶︎私が社交ダンスで結果を出せた要素
・目標設定が明確。日本一!(求めているもの)
・志高く目指す仲間の存在(バディシップ)
・優先順位の最優先がダンスでど集中していた
(優先順位)
・成果になるまで、勝つまでやる!とことんやる!(コミット)
・自分を表現する(表現力)
・色々な技や表現を試してみる(冒険)

◾️大学のアルバイトにて

早く働きたいと思っていた私ですが、
大学に進学してから社交ダンスに魅力され、
どハマりしていました。

社交ダンス、めちゃくちゃお金がかかるんです。
ヒールは1ヶ月で履き潰すけど、1足2万。
ドレスはレンタルで1〜5万、購入すると10〜50万。
練習場所は毎回1回1000円
(当時はほぼ毎日練習していたので、少なく計算しても20日×1000円=2万) etc....

お金も稼がないとって思っていました。

当日、大学では教員免許(家庭科)を取りながら、
社交ダンスで成果を上げながら、
お金がかかる!だから働かないと。

でも、、何のバイトがいいかな?と思った時に、
就職でも役に立つかなと思い、アパレル店にて接客・販売のアルバイトをしました。
(バイヤーになる為に現場の接客は遅かれ早かれやるから、先に経験しておこうという考え方でした)

アパレル店での販売員での仕事は、
非常にやりがいを感じ、天職だと感じました。
しかし1年間働いていたアパレル店にて事件が起こります...

1年間で店長が5人が変わっていったんです。
全員が体調不良...

全ての店舗がそういう訳ではありません、
アパレル業界がそうだとも言うつもりは全くありません。
ただ、私はアルバイトをしながらリアルを見て考えました。

好きな仕事が嫌いになったら?
やりがいだけで仕事ができるのか?
収入よりやりがい?

私の答えは「ノー」でした。

そこから、転職活動をする際に色々な業界を選んで受けました。
もちろん捨てきれなかったアパレル業界も受けました。
インターンシップもブライダル業界の特にドレス部門に入って経験をしました。

アパレル業界は内定確定が大学3年生の2〜3月という早い段階で決まるので、
大学4年生の6月頃から始まる教育実習に間に合わせようという考えもありました。

実際は、アパレル業界での内定を何社かいただいたのですが、ピンとこない。
不思議なほどに、ピンと来なかったんです。

ありがたいことに、とある大手のアパレル企業の最終面接にて、役員の方から、
「君は、アパレル業界に入るつもりが本当はないんじゃない?」と言っていただき、
相談に乗っていただいたことがあります。

面接をした上で、私の長所と改善すべきポイントをアドバイスいただいた経験もあります。
今でも本当に感謝しています。

就職の相談を当時付き合っていた彼氏が既に社会人だったので相談したところ、
「何で金融業界を受けないの?」と質問されました。
「まー、確かに。」と感じて金融業界を受け始めました。

自分の選択によって、人生は大きく変わる。

社交ダンス、アルバイトの経験、就職活動、
そしてこの元彼氏の一言から、
視野に無かった銀行を受け始めて、
入社試験を受け初めてから2週間以内に内定をいただき、就職先を決めました。

完全に自分の選択肢外にあった銀行で働くとは...私の母親もびっくりしていました。

なぜ銀行に行くことを決めたのか?
きっかけは全て、「人」でした。

人生は選択。
今思うと全てが必要な事が起こっているなと感じています。

ここから私の人生をさらに変える、
「人」との出会いから、女性起業家としてのストーリーが始まります。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
引き続き私の幼少期から経営の立ち上げまで、色々な事を書かせていただきます。

株式会社move 植田千尋


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?