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日本にふたつしかない五稜郭 - 長野県・龍岡城


歴史好きなわたしですが、東京と長野との二拠点生活をはじめてから、身近に歴史スポットがたくさんあって、最近は時間を見つけては少しずつ巡るのが楽しみのひとつになっています。

そんな歴史スポットの中でも、歴史を語る上でかかせないのが城。かつて日本には二万五千以上もの城が存在したと言われています。

城は大名や藩主の拠点であり、戦が起これば城を取り合う=その土地(領地)を取り合う。それによって勢力図は変わり歴史の流れも変わる。そして城を中心に城下町が広がり、町は発展していく。城の役割やパワーはとても大きなものだったのです。

城といっても色んな種類の城がありますが、中でも珍しいのが星形の五稜郭。五稜郭といえば、ほとんどの人が戊辰戦争で新撰組の土方歳三が戦った北海道函館市のものを想像すると思いますが、実は日本にもうひとつ、長野県佐久市にも五稜郭があります。


龍岡城五稜郭

龍岡城は、幕末と呼ばれる時代、1864年に徳川幕府の若年寄(幕府に仕える武士たちを統括する偉い人)だった松平乗謨がフランスにある城をモデルに築城をはじめたものの、完全に完成する前に明治維新を迎え、廃城したそうです。

ちなみに現在敷地内は小学校として使われています。わたしは日曜日に行きましたが、平日は子供たちが学校として日々ここで学んだり、駆け回ったりして過ごしているんだなぁと思うと、なんだか羨ましく感じます。

案内板を辿って進むと「五稜郭であいの館」という施設があり、そこに車を止めて足を進めていくと龍岡城五稜郭に到着。

入り口には龍岡城五稜郭の大手門があります。大手門とは城の顔となる正面玄関のこと。

大手門にかかる橋の横には、説明書きも。見取り図もあり、星形であることがわかります。

大手門のすぐそばには、龍岡城を築城し、のちに明治時代には政治家として、さらには日本赤十字社の創立者として、日本の近代化に大きく貢献したという大給恒の銅像がありました。

大給 恒(おぎゅう ゆずる)は、三河奥殿藩の第8代藩主。のちに信濃田野口藩(竜岡藩)の藩主。奥殿藩大給松平家10代。江戸幕府の老中、若年寄。明治時代の政治家・伯爵。日本赤十字社の創設者の一人として知られる。旧名は松平 乗謨(まつだいら のりかた)。Wikipediaより


残念ながら完成には至る前に廃城となってしまった龍岡城ですが、郭や堀、石垣はしっかり残されているので、当時の状態を感じることができます。

上からは見られなかったので星形は確認できませんでしたが、堀と石垣の角度を見ると、ただの真四角ではないことが見て取れます。

幕末の動乱期に作られたとてもレアな星形の城。
函館の五稜郭に比べてるとほとんど知られていないようで、わたしも長野に住むまでは知りませんでしたが、紛れもなく星形をしている城跡で、たっぷりと歴史やその時代を感じることができました。


武藤千春


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