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【爆音】ヘッドホンでKing gnuのプレイリストを聴きながら日記を書く時間【贅沢とは】

いつからか、家庭ができていた。
7年前に初めての一人暮らしを始めたときは、生活の機能を切り貼りしたような状態だったのに。

クローゼットには選びたい放題の洋服があり、大好きな本や専門書が家中の棚という棚に収められ、壁はほとんど見えない。冷蔵庫の背丈は大きくなり、日照時間が短い時期でも洗濯物を乾かせるよう除湿乾燥機も脱衣所でスタンバイしている。

夫用・私用それぞれにデスクがあり、各々の周りには趣味の機材や専門書が所狭しと並んでいる。私は去年27年相棒として一緒に頑張ってきた電子ピアノCLP-911を手放し、N1Xを迎えた。30年近くの間に技術は進歩したようで、弾き心地も見た目の重厚感もまるで違う。少し奮発したけれど、本当に買ってよかった。

デスクにはMIDIキーボードとモニタースピーカー。ピアノの横には一眼レフカメラを携えて、いつでも動画や音源を撮れるようにしている。おかげでデスク周りはシールドでごちゃごちゃしているけれど、この様子もなんだか「住んでる」感じがして好き。

実家にいたころ「家庭の中の一人」というものをそれはそれは強く感じざるを得なかったけれど、一方でたった今家庭を創る側に立っていることが不思議だしこそばゆい。立派に稼いでいる訳でも、とびきりの贅沢している訳ではないのに、身に余るほどの物質に囲まれ、空間を持て余しているような気がしてならない。

少し前までは、できるだけ大きな素敵なこだわりたっぷりの家に住みたいし、突出して質の良いものを口にしたり身に着けられたらどんなにいいだろうと思っていた。不思議なことに最近は全くそういう類の欲が消えた。別の贅沢に価値を感じるようになったのだろうか。

実際のところ、大きな家を持ってしまったら家の中の移動が面倒くさいだろうなとは思う。お風呂が遠くて毎日入らなくなりそうだ。小回りが利いて太陽の光がよく入る家なら最高だ。

簡単に言えば、健康でいられて、好きな人と過ごせたらそれでいいんだろう。よくおばさんが言ってることを私も言うようになった。

「体が資本よ~!」
「体冷やしちゃダメよ!」
「お金は後からついてくるから、まずは健康よ!」

毎日自分に言い聞かせている。本当にこれに尽きるから。

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