後天的な器用、人間的な不器用。
私の精神衛生の悪さがピークに達したときに、必ず吐き捨てるセリフがある。
「もっと頭悪く、人に頼らざるを得ない人間に生まれたかった。」
このセリフだけを聞くと反感を買う可能性が高いが、正直私は頭が良いと思っているわけではない。いや、そうではなくって。
セリフをわかりやすく訳すと、
「人に頼りたいのに、頼る前に自分で丸め込むなどして解決してしまう無駄な要領の良さが生きづらい。」
ということを言いたいのである。
つい先日、思い出したくもないトラウマが頭によぎって吐いた直後に友人の吉報が舞い込んできて、ガサツな笑い声を交えて愚痴っぽく話して。
頼りたいときに頼りたい相手どころか、頼り方もわからない私って本当に生きるのが不器用だなと感じてしまった。
実は、いつもそう。
本当に苦しい時や困っている時こそ塞ぎこんで、自分自身で対処して少しどうにかなった時に、ヘラヘラと笑い話のように話すのがクセ。
昔から頼れなかったからこそ、要領よく器用にならざるを得なかったのである。
勉強にしても、スポーツにしても、バイトや仕事、細かい作業などもそう、挙句には人間関係の距離の取り方までも。
昔から器用だったわけではない。少しだけ物覚えが早いこともあって、ぶっちゃけて言うなら後天的な器用だと私は思っている。
「ちーちゃんは何でもそつなくこなせる。」
「なんでもできる子。」
「ちはるは器用だから。」
褒め言葉であることは重々承知していながら、この言葉をかけられると「頼ってはいけないんだ」という勝手な壁を作ってしまう。
そして、更に器用さに磨きがかかってしまう。人に頼る方法を知らないから、それしかできない。
……人間として、人と関わり合いながら生きていくの向いてない。人間不器用だ。
「死にたいだなんて言ったら、周りの人の心に悪影響及ぼしちゃうから。」
「病気のせいにしたら、病気持ちで頑張ってる人に失礼だから。」
「助けてって言ったら、周りの人が手一杯だった時どっちにしても迷惑や嫌な気分にさせてしまうから。」
周りのことばかりを見ているようで、1番は器用で不器用な自分自身に呆れて、人との距離を取ることで傷つかないように生きているだけ。
そんな私でも、進歩している部分はある。
苦しい時でもヘラヘラと笑いながら生きている私は大嫌いだが、過去形でも「苦しかった」「しんどかった」と言えるようになった。
昔の私なら、意地でも言う気はなかった。「何でもない」「普通だよ」と返していた。
次は自分勝手だと思ったとしても、それで後悔しても、人に頼ることを頑張る。
話を聞いてもらうだけ。オブラートに包みながらの話でも。簡単なお願い事でも。
最後に。
みんなにうそでしょ?と言われるけど、
私は「(人間的)不器用」です。
様々な不器用の形はあるけど、
できることなら、私の不器用の形も愛して。
私自身も、これから関わる誰かも。
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