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宙ぶらりんでがむしゃらだったあの頃。

今私は、言葉の発信地ヒカリテラスで書いた記事を見直したり、どのような歴史を歩んできたのかを考えている。

死に損ないになった私の話と、ヒカリテラスを設立した時の想い。

今の私も大概、泥臭くって拙くって幼い文章を書いている自覚はあるけど、
当時の私の方が更に、泥臭くって拙くって幼すぎる文章だった。

荒削りで、とにかくがむしゃらで、それが文面から伝わってくるようで、
パソコンの画面の前で、1時間弱泣きじゃくった。


自分には何もなくて、才能も強みも何も持っていなくて。(今も思うけど。)
兎に角、誰よりも努力をしなくてはいけない。一生懸命にならなくてはいけない。なんていきがってた時期だった。

ビジョンもミッションもなく、目の前のこと、もしくは遠い向こうのことばかりを追って、やりたいことに必死だった。

色んな大人に「本気でやりたいの?」って諭されてた。

懐かしいな。あの頃。

何も出来ないと思っていたけど、何でもできると思っていた。
あの頃が、とても恋しく思えた。


当時ヒカリテラスは、高2の頃にお姉さんたちと立ち上げていた「まぶぃーず」という団体の一事業として考えていたものだった。

でも、みんなそれぞれのライフイベントが重なり、「まぶぃーず」という存在を頻繁に引っ張り出すことが困難になっていった。
「まぶぃーず」はそれでよかった。だって自分らしくあることこそ、一番大切にしていた想いだから。

だから、ヒカリテラスは「まぶぃーず」を色濃く踏襲しながら離れることにした。

ずっと、がむしゃらだった。
生きづらさという存在を肌感覚で認識していながらも、生きづらさを何も知らず、知らないものに向けて言葉を発信し続けた。

ヒカリテラスをしながら、生きづらさについてずっと探究し続けた。

目標も、ゴールも、何もない場所を、ヒカリテラスの旗だけを持って走り続けた。

正直、ヒカリテラスのみんなにはたくさん迷惑をかけた。
卒業した子も今も参加してくれてる子も、本当にありがとう。


私はとにかく「生きづらさを抱えた人の隣に居られる言葉を!」という気持ちだけで、3年半を駆け抜けてきたみたい。

どのように生きづらさを定義してきたのか、3年半で色んな変化があった。

定義が変わっていく、新たな発見をする。
その度にヒカリテラスとして何ができるんだろうって考えたり、自分の生きづらさを再考したり、色んな事を考えてきたなと、しみじみした。

何もない、何もできない。
まっさらなところから、色んなモノを想像で補って作ってきた。


宙ぶらりんの団体であり、宙ぶらりんの私だったからこそ、
ヒカリテラスも私自身も、形にこだわらずに済んだし、成長してこれた。

宙ぶらりんだったからこそ、何も見えない不安はあったけど、「ずっとそこにある」安心があって、何もなくても居場所だった。

宙ぶらりんだから、荒削りで泥臭く、進むことができた。


今は、未来のヒカリテラスを守るために宙ぶらりんから着地できる土台を作ることに必死だけど、
そういう歴史があるから、今のヒカリテラスと私が存在していることを忘れないように大事に記憶しておきたい。


きっと宙ぶらりんで何も持たなかったからこそ、
がむしゃらに突き進むことができたのだろう。

知識もなかったし、社会の厳しさも分からなかったし、
少なくとも、私から見える世界は広いようで狭く、特殊な世界だった。

生きづらさを探究し、社会の荒波に揉まれはじめ、
私から見える世界は、ゆっくりと変わり始めている。

そして私の居場所であるヒカリテラスから見える世界も、
その中身も、ゆっくりと、でも音を立てなから変わっていく。


変わっていくことが楽しかったあの頃。
でも今は変わっていくことは、大人になるカウントダウンであり、怖さでもある。


あの頃は良かった。なんて嘆くのは簡単。
確かに、恋しいあの頃ではある。
宙ぶらりんでがむしゃらだったあの頃が、恋しくて涙が止まらなかった。

でも、死に損ないになった私に未来を見せてあげられるのは、
今と未来の私だけなのだから、未来を進んでいかなきゃと思う。

それに私はまだ、約束を果たせていない。

「死なないで良かった。生きててよかった。」
とはまだ思っていない。

「あなたの傷を知恵に変えなさい。」
という言葉はまだ体現できていない。

私はまだ終われない。

私はヒカリテラスという居場所から、
死に損ないになった私との約束を果たしたい。

だから、宙ぶらりんを卒業して、未来をつくりに行く。

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