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あっ、そうだ。大学卒業しました。

こんにちは。無事に大学卒業できました。
あっという間ですね。

生きる体力がほとほと無かった私が、高校を転入して、大好きなお姉さんと一緒にまぶぃーずをはじめて、ヒカリテラスを作って。

気付いたら大学を卒業してしまってました。

法学の世界、政治学の世界、生きづらさの世界、ビジネスの世界……。
大学4年間で本当にたくさんの世界を見て、希望を抱いたり、絶望したり、ラジバンダリ。

たくさんのことを経験してきたのですが、何よりも「大学生活をやり抜いた」ことを誇りに思います。

学びは希望も絶望も持ってくる

私は元々、政治学科を志望していたわけではありませんでした。

と言うのも、前籍校の頃から行きたかった大学ではやりたいことが出来ないと気付き、
運が良いことに今の大学のミニ講義をYouTubeで見たことによって、唐突な進路変更をしたからです。

法って、政治って、社会にとっての骨組みであり、社会を作っていく歴史なんだ。

それを知る学問から生きづらさを見つめて、アプローチできるようになったらいいなぁと志した5年前のことを今でも思い出します。

私が不登校になり、学校が居場所ではなく脅威に変わった時、塾が居場所になってくれました。

それは母が私の教育を受ける権利を学校側に主張してくれたからです。
(いじめ対策推進法はあまり浸透してなかったみたいだけど)

人権は私たちが生まれ持つ不変の権利です。
でも、ちゃんと書いてないと、知らないと、そんなもの無いと思ってしまうんですね。

私は小学生にして、はじめて知りました。

世の中には「私には人権は無いも同然だ」と言う人がたくさんいます。
「自分が全部悪いんだ」とすべて自責にしてしまう人がいます。

そうじゃないんだよ、私たちの人権が社会によって侵されそうな時は怒っていいんだよ。

生きづらい社会を日々歩いていくための盾になる法の知識を伝えていけたらいいな。

やんわりと入学前から思っていましたが、憲法や人権について深く学び、卒業後はよりその気持ちが強くなりました。

実際に大学4年の夏には、憲法13条を使って人権と自殺対策のお話をしました。

誰かのお守りになるような権利のお話を広げていきたい、そう強く感じた瞬間になりましたし、

「人に優しくしましょう」というエセ人権ではなく、正しい理解を伝えられるようになりたいとも感じました。

困った時には、こういう法制度があるよ、こういう権利があるよ、というような
実社会に生かせるようなことも出来たらいいなと思いましたが、

そこまで、 社会も法も万能ではなく、社会の当たり前に形作られた支援が広がり、

当事者の気持ちとちょっとずつズレているものを進める気にならなくなったのも、4年間学んだから分かることのひとつだと思います。

学ぶことによる成果は、希望だけではなく絶望も持ってきました。

色んな社会制度はあるけど、若者は貧困でも何とか生きていけるからって、後回しにされてしまうこと。

自殺は社会の問題だと言うくせに、いくら自殺対策やその効果を見ても、(効果検証されてないから)いまいち「本当にどうにかしよう」と思ってるのか、分からなかったこと。

今おかれている環境が恵まれているのではなく当たり前だと錯覚していること。

学んでいる中で、胸がギューって締め付けられたり、なんだか無性にイライラしたりもあったけど、

目の前にあるものが何か分からないよりも、暗闇なら暗闇だと分かる方が、明日を生きることに役に立つと思います。

無知であるよりも、絶望であるとわかった方が、自分の位置を確認したり、どうすればいいのか考えることができるから。

そう思うと、私が抱いた絶望によるマイナスな気持ちも、全ては学びだったんだと納得できます。

私には居場所があることを知った

大学4年間やり抜いた!とは言ったものの不登校になった期間もありました。

それでも私の心は壊れずに生き抜くことができたのは、大きな進歩でした。

理由を考えてみると、学校もヒカリテラスもインターンも全部思い切りやったからだと思います。(脳筋……?笑)

勉強はやっててすごく楽しくって仕方なかったし、その勉強はヒカリテラスに役立つからめっちゃ燃えたし、インターンは素敵な大人と「働く」こと自体がすごく楽しかったんです。

改めて考えると、私は機会に恵まれすぎていますが。

少なく見積っても、私には3つの居場所がありました。

学校を頑張れなくても、ヒカリテラスやインターンを頑張ったらいいし、
何も頑張れなくても、これまで頑張ってきたしちょっと休んでも大丈夫!と思えました。

大学4年間で友達が増えたかと言えば減りました。(笑)

でも、私を見守ってくれたり、応援してくれる人も、生きづらさに対して議論できる仲間、大切にしたい仲間も確実に増えました。

何でもない、誰でもない自分を過ごせる時間も愛せるようになりました。

少しずつ、自分の生きづらさや自分自身と向き合うことで、張り付いた鎧を剥がしていくと、たくさんの居場所があることに気づきました。

また何者かであることに執着し続けた私にとって、企業で働く経験はすごく鎧を剥がすのに最適でした。

企業で働く時間になれば、自分のこれまでも、おかれている環境も、肩書きも、何も関係がなくなって、
任された仕事に対していかに向き合うかだけになります。

私は元々人の役に立つことで自分の価値を見出しがちでしたが、
何者かである自分でも、何者でもない自分でも、人の役に立つ働きができることで、自己効力感を得る居場所を増やせることを知りました。

その空間がとても心地良かったし、企業で働く経験を高校生から続けてきて、
改めて「働く」ことが私の精神衛生に良いことを知りました。

(これが進学ではなく就職を選ぶ理由にもなりました。)

「幸せになってあげたい」からフラットへ。

私は常々「過去の私に顔向けできるほど幸せになったか」を考えながら、今日まで生きてきたし、

色んな場所で「生きててよかったと思えるようになりたい」と話してきました。

心の端くれで「そう思うことって異常なんだよな」と思いながらも、生きる意味をそこにしか見い出せずにいました。

私が生きててよかったと思うために、生きづらさに対してアプローチできる環境を作ったり、自分の経験を何かに変えたり、たくさん働いたりしてきましたが。

過去の私が生きててよかった!なんて、どう評価づけるのでしょう?

いつまでも過去を忘れられず、怖い記憶ばかり残ってしまうことは幸せなのでしょうか?

今は疑問が募ります。

最近「あ〜今日死んでもいいな」と思える日がありました。
でも「明日が来るのが無性に怖いな」と思う日もありました。

今考えると私は生死に執着しているんですね。そして生死の距離が近いんですね。

それだけでなんとなく生きづらい気もしました。笑

卒論を書いていた時に「生きることが最大幸福」という言葉を何度も読みました。

そして、生きていることが幸せ〜!と思う人はどれくらいいるのかな?本当に幸せなのかな?と考えたりもしました。

結果、幸せな人は生死を考えてないと考えました。

「昔は色々あったけど、今は何とか生きていて、まぁ幸せですね」
みたいなセリフは、よく見聞きするなと思うのですが、

「生きててすっごく幸せです!」
みたいなセリフは、某アイドル総選挙か、卒業コンサートでしか正味聞かないなと。

そして生死を考えることは、自分の命に危険が迫った経験があったり、周りの人の生死に触れたり、日常的に考えることではないように思うのです。

大学4年間、過去の私が「生きててよかった!」と思えるようにと、様々なことを経験してきましたが、その度に生死を考えました。

何より卒論のテーマでも自殺対策を取り扱ったことで生死を考え続けました。

幸せに生きるってなんだろう。

永遠の課題ですが、大学卒業という節目に経った今、私はこう仮定します。

生きることにおいて危機的な不がなく、明日を生きることをフラットに見続けられ、どう生きるか選択できること。

私たちが生きるのは「幸せ100%な非日常」ではなく、「1日1日を重ね続けた日常」です。

今日はこう過ごした、明日はこう過ごしてみよう。
自分の選択肢で進んでいく地道な積み上げゲーが人生なんだと思います。

私は過去の私に顔向けできるようになりたくて、ずっと過去と比較してきました。

それなりに「生きててよかった」も、「今日死んでもいいや」も、経験しました。

でも過去と比較しなくたって、今をどう思うのかを感じることができるようになったと思います。

高校1年から続けたブログを読み返しても、十分過去を振り返る回数は減りました。(多分)

過去の怖い記憶を一生忘れることはないけど、本棚の奥の奥に眠らせてあげられる。

「死んでもいいやー」と思えた私なら忘れてあげられる。

そんな自信があります。
多分、大学4年間をやり抜いたからですね。

生死にぐっと近づいた過去を忘れて、フラットにしてあげる。

大学4年間でたくさん生死を考えて、自分なりに「幸せだな」を経験できるように努力したからこそ、生まれた今後の課題です。

節目は終わりじゃない。

「生死に執着してきた」という話を前章でしましたが、それは節目のタイミングにも言える話でした。

何かが終わるタイミングになると、人生も何もかも終わってしまうのではないか…と不安に駆られるのです。

大学卒業のタイミングこそ、そう考えてもおかしくは無いのに、あまり不安にはなりませんでした。

少しずつ、節目があっても何も変わることはないんだと理解することができたこと。

自分で選んで卒業し、自分で選んだ進路を進むことが決定していて、自分の選択に対して手触り感があったこと。

多分このふたつが要因のように思います。

それに私の周りには変わらないものが多い。
私自身が変わることもなければ、環境の変化も大きくない。

そしてアクシデントやトラブルがあったとしても、これまで何とかやってきた自負があるから大丈夫だと自分自身を信じることもできる。

節目は終わりじゃないんだ、とちゃんと理解できました。

細かい心情の変化ですが、私にとってはとても嬉しい変化でした。

大学卒業を迎えると一気に人生の節目は少なくなります。

日々、どう選択して、どう努力するか、どう甘やかすかの日常に落ち着いていきます。

生死や命からちょうど良い距離感で、フラットに生きていくには、もう少し時間がかかりそうですが、これからはたくさん普遍的な日常が訪れます。

なので、日々の日常の中で、ゆっくりと今を楽しみ、課題をクリアしていきたいなと思います。

これからも、引き続きよろしくお願いしますね💕︎

それでは*˙︶˙*)ノ"

地元のレストランでお祝いしてもらいました
ヒカリテラスカラーのお花をもらいました

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