《ものおもい日記》0419*「折られた翼」を継ぎ接ぎで直すように
ふと大学1年の時に出逢った考え方を思い出し、頭の中で物思いに耽っていた。
「マララの翼を折らなかっただけだ」
2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフガイさんのお父さんが取材で答えた時のセリフ(多分そうだった)。
このお話を聞いたのは、女性の権利だったり、フェミニズムだったりの講演会だったと記憶しているが、この話を不登校生に当てはめて考えて共感して「泣いたなぁ、講演聞いてるだけなのに」と思い出した。
このマララさんのお父さんが話す「翼を折らない」教育というのは、「あなたにはできない」「無理だよ」と言い聞かせない教育なのかなと思う。
女性の権利の話では、女の子は「女の子なんだから」とやりたいことを制限されるような教育を受けるために、自分のやりたいことをするために飛ぶ羽を持てないでいる、そんなお話をされていた。
私自身「女の子なんだから」と言われて制限されることは多くなかった気がしている。
でも不登校になってから「あなたには無理でしょう?」と言われることが多くなった。
例えば、大学進学。
きっと学校に行かせようと必死だったからこその言葉だったのだろうが「小中高とまともに学校に通えなかったのに、本当に大学は行けるの?」という言葉は、とても堪えた。
継続力がない、人よりも努力ができない、誰よりも怠けた態度でここまで生きてきている、そんなレッテルを自分に貼った。
例えば、就職。
「学校も行けない子、高校も卒業できない子なんて、雇ってくれるところないよ」そんな言葉に将来への不安感が強くなっていった。
当時の私は
雇ってくれない=働けないだったし、
働けない=生きていけないだった。
つまり
学校に行けない=生きていけない
とまで錯覚していた。
大きく大学進学と就職の面で、私は翼を折られた経験をしているのである。
全部親のせいにしてやろう!みたいな文章に見えるが、
こんな言葉を作ったのは、こんな言葉が出てくる人の価値観を作ったのは、昔の人で作った社会の価値観なのだと思う。
だから両親のせいで私が苦しんだと思うのではなく、変わったものを受け入れない社会の価値観のせいで私は苦しんだと思うようにしている。
生きづらい社会、許さんぞ!😡
どこに矛先を向けたらいいかわからない怒りを秘めているけど、
そういう自分のままで居続けるのは、どんな自分でいるのも自由なのだから、結局は自己責任。
社会を許しはしないけど、誰かが折られた翼を魔法で直してくれるわけでもないので、
大人になった私は、少しずつ成功体験を経て継ぎ接ぎで直そうとしている。
(……と、最近気づいた。)
大学進学のタイミングも乗り越えられた。
そこから努力ができない、継続できないという自分で貼ったレッテルを脱却すべく、
何事もコツコツと頑張る、継続して頑張る、そして継続していく中で味を見出す…そんなことを頑張った。
大学に合格してからそんなことを胸に頑張っていたら、気付いたら「コツコツ継続できること」が強みに変わっていった。
就職できない、雇ってくれない、社会で生きていけない、といった将来に対する不安感も、まだまだ拭いきれてないけど、
長期インターンで社会人と関わったり、本を読んだり、実際に社会人とお話したりして、
なぁんだ、思ってる以上に未来は自由なんだ(だからこそ自己責任だけど)と希望を持てたりした。
未来を考えることへの不安感は拭えないけど、今を幸せに生きるために、私を大切にするために必要なことは何かと考えられるようになった。
そうやって荒療治だけど、少しずつ行動して、何か体験して、自分がどう思ったのか問うて、
昔の私に「何とかなったよ」と言えるように生きている。
それが、折れた翼を継ぎ接ぎで直していく生き方だと考えた。
とは言うものの、その折れた翼を継ぎ接ぎするための接着剤を与えたのは、
苦しい時を抜けて、前を向いた時に出会った沢山の人のおかげ。
その人たちが「できるよ」「やってみなよ」と背中を押してくれたことで、きっと私は折れた翼の修繕作業ができている。
折れても直せばいい。
大きくはならないかもしれないけど、新しい翼の部品を継ぎ接ぎして、ぶきっちょだけど自分だけの翼を作ればいい。
今はそんな感じ。
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