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「あぁ、もういいやぁ」という満足感。

何か終わりを迎えると「あぁ、もう死ぬんじゃないかな」「死んでもいいな」と思う。

もう十分生きた、幸せを感じきった、出来事で得る感情を得きった、だからもういいやぁって。

後輩たちと飲んだ後、静かな帰り道。
冷たい風が頬をすべって、じんわりと痛みを残す。

コンビニで買った気持ち程度のホットカフェラテを片手にいつもの帰り道を進んでいく。

窮屈なマスクを取って、カフェラテをすする。
空を見上げて、昨日よりも大きくなった月とキラキラな星に目をこらす。

「冬は空気が澄んでいるから星がよく見えるんだよ」

顔を上げて歩くことも出来なかった地元で、空気が澄んでいるか、星がよく見えるかなんてどうでも良かったけど。

今は空気が澄んでいるかなんて分からないけど、星が綺麗なことはよく分かる。

私は生きていて、学んで、何度も「ゴール」をむかえた。

頑張って生きた。だから満足だ、もういいや、死んでも。

私はそう思ってしまう。

「今車に轢かれても、私は満足して死ねるな」

そんな風に思えるまで、私は終わったことややり切ったことに満足している。今日のところは。

昔は「ゴール」を迎えることが「死んでもいいや」と思える事が怖かった。

終わりたくない、ゴールを見たくない、きっと終わりを迎えたら死んでしまうから。

私には見えていない世界が広すぎた。広すぎた故に何も見えなかった。

目の前の恐怖や苦痛ばかり、でも広すぎる世界を妄想して、期待をすることしか脳がなくて、だから終わりを迎えたくなかった。

私はまだ期待した世界を見ていないし、私はまだやり切ってないし、幸せじゃない。

だから死ぬのが怖かった。
生きるのも嫌になる時期が沢山あったけど、幼ければ幼いほど残酷にも未来に期待をするしかないからこそ、生きたくないけど死ぬのは怖かった。

今はその執着がそこまで無い。
それは幸せなことなのかもしれない。

学んで、経験したから、恐れてきたものも仮説を立てて突き進める。失敗したらしたで良いと思える。「ここでいいや」と思えるほどゴールに向かえる。

「私はもうここまで頑張ったんだし、今日ここで轢かれてもいいや。」

それは満足感の証。

生きなきゃいけないと考えながら生きる私にとって、最大の許容。

「死にたいけどまだ死ねない」から「頑張って生きてきたけどまだ生きよう」と変わるまで、あとどれくらい時間がかかるのだろう。

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