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21・生きるをしています。

お久しぶりです。
2021年12月26日の本日、21歳になりました。

20歳を過ぎると、後はもう歳を重ねるだけで、正直安心している私がいます。

早く大人になりたいと願った10代の頃は、大人までの道のりは長過ぎたのに、今はとうに過ぎている。

次は早く素敵なおばさんになりたいです。早くお茶の間で、お茶をすすってワイワイ語れる可愛いおばさんになりたい……。

とは言いながら、まだまだ大人は2年目。
幼いですが、1歩ずつ重ねていく年齢に見合う良い大人になれたらとても嬉しいですね。

今年は私自身の精神状態に揺さぶられましたが、たくさんの人に恵まれて、良い人間生活ができたと思います。

20歳の私も、多くの方に支えられて生きていけました。ありがとうございます。

仲間がいること、守りたい、共に歩きたいと願うこと

私にとって、仲間の存在と組織の存在を大きく考えた1年でした。

かれこれヒカリテラス設立から5年が経ち、20歳になり、だんだんと将来や大学卒業後を考えるようになった私は、

ヒカリテラスでの活動量は設立当初と同じくらい活動をしていた気がします。

しかし、単に自分がやりたいからと思うだけではなく、
仲間たちが支えてくれたからこそ、1年間進められたんじゃないかなと思います。

これまで私自身、人に頼ったり、甘えたりすることが得意ではありませんでしたし、なんでも一人で抱えることが多かった気がします。

だからこそ20歳の目標は、組織の中にいる私として、仲間を頼り、チームワークを学ぶことでした。

頼ることとチームワークを学ぶことに重点を置いていましたが、正直それよりも大きなことを得られました。

一番は、「やっぱりヒカリテラスというチームが大好き」それにヒカリテラスにいる1人ひとりが大好きという想い。そこから、組織を作る難しさ

人を頼るために、この人はこんなことが得意で、こんなことが好きだから、この人の良さはここにあるからという風に考えて、できるところをお願いしてきました。

すると、その人の素敵さを再認識できて、私が作った団体であるけど、そこに素敵な仲間がこんなにたくさんいることって素敵で幸せだなぁと感じることができました。

みんなは私に対して、「ちーちゃんの力になりたい」と言ってくれていました。
どうしてこの言葉にもっと早く甘えられなかったんだろう……と、少し後悔しましたが、今日が人生で一番若い日、早く気付けて良かったです。

「ちーちゃんの力になりたい」「支えたい」「ちーちゃんの想いを引き継ぐよ」
そんな私にかけてくれた言葉の数々が、かけがえのない宝物で何十年先をも生きるための力に変わっていきました。

それが私の幸せなんだなぁと感じました。

目指したいことややりたいことを叶えるために進んでいく仲間たちと共に歩いていき、仲間たちを守っていき、私の幸せも守っていきたいと感じました。

2022年もヒカリテラス頑張ります。いつもみんなありがとう。

進むことは、痛みも苦しみも伴う。

良くも悪くも、私は大学に入ってから安定していました。

他の大学生、同じ大学に通っている子たちに比べたら、少しばかり変わっているかもしれないけど、大きなことをするわけでもなく、普通に安定に過ごしていました。

しかし今年は、ヒカリテラスをもう一回大きく動かしていたことにより、色んな出会いと学びだけではなく、色んなトラウマと痛み、苦しみとも出会いました。

昔言われてきた心無い言葉を思い返したり、他の人の苦しみに共感しすぎて自分も同じように苦しんでしまったり、社会の現実、理不尽なことに心が痛んだり。

そんなことで1回1回ダウンしていたら、何もできないんだけど……。笑

私は周りに思われている以上に、精神が安定してるわけではないし、打たれ弱いし、痛みや苦しみに勝てるほど強くもないので、

今年は進めば進むだけ心が疲れた、でもいい意味で処世術を学ぶ機会になりました。

人に頼ることも、弱みを見せて甘えることも処世術の1つですし、

何が自分の心を安らげてくれるのか、何が自分の心をざわつかせるのか、そんな自分の心の取扱説明書を書くことができた気がします。

社会で活動すること、生きることは、自分が痛くて苦しい時にでも動かなくてはならないハードなゲームではないと思います。

それに絶不調の時に動いても、良いパフォーマンスにはならないですし、辛いときにこそ動くことが美徳であるのなら、その美徳を疑った方が良いとも思っています。

だって何よりも大事なのは、今日明日を生きていく私たちの心身ともに健康な体で、
それがなければ夢を追うこともやりたいことを叶えることも自分の経験にできないのだから。

いや……、果たして私は、生きていくというところに意識を向けられているのかは甚だ疑問ではありますが、

健やかに柔らかに生きていたいなとは、本当~にやんわりと思っているのです。

今度は、痛みに耐える無表情よりも、口角のひきつった笑顔よりも、柔らかい笑顔で溢れる21歳にしたいです。

生きること、幸せを感じること。

ふと人生を振り返ると、嫌なことも苦しいことも(そりゃ人生だから)たくさんあったかと思いますが、

素敵な人との出会いにも環境にも、そして色んなチャンスにも恵まれているなと思います。

こうやって、結局は良い人生だって思えることも大人の醍醐味な気もします。

あんまり大人になったなって思える出来事は多くなくって、まだまだお子様気分は抜けませんが、ふと思い返すとやっぱり大人になってきたんだなと思うわけです。

ついでに言うと、自分の持ち物が両親や祖父母に与えられたものよりも、
自分でこれが良いと思って、自分で得たお金を使って買ったものが増えたことにも、大人だなと感じました。笑

それにしても、21歳かぁ、よく生きてこれたなぁ……と毎年同じように思います。

今日まで色んなことがあったけど、こうやって平和に過ごせて、何事もないように年齢を重ねることが幸せなんですね。

たくさんの幸せを知り、たくさんの未来を知り、その未来が気づけば今になり、これまで出会った素敵な方々に私の未来を願っていただき、今日もそうか、幸せなんだ。

……ちゃんと噛みしめる誕生日でありたいです。

人は1人で生まれて、1人で死んでいきます。

でも、生きるという行動には必ず人と出会い、人に影響を受けて、そして与えて、
誰もが社会や家族や文化に生きた証を残していくものだと思っています。

私は何の為に生きるのかなんてわからないですが、
せめて産み落とされたなら、私として生まれて、名付けられて生きてきた証をどこかに残しておきたいと願うのです。

それが仕事であっても、ヒカリテラスであっても、人との関わり合いの中であっても。

社会に影響を与える個人になりたいなんて、そんな大それたことは思わないにしても、

私の存在や言葉や想いがどこかには残っていてほしいと願うのです。

誕生日である12月26日は、私にとって生死とは何か、生きて死んでいく中で私は何をすべきかを考える日です。

お葬式の日、母が私に言ってくれたことを誕生日に思い返します。

「肉体的に死んでしまっても、その人を何度も思い出すことで、心の中で生き続けてくれる。」

私にとって人生とは、私として生きた証を社会や誰かに残す旅だと思っています。

まだまだ21歳。
人生100年時代を言われる昨今、私にはまだ80年ほど旅を続けられる権利があります。

少しずつ歩いて、時々じっくり休んで、ゆるやかに生きていきたいと思います。

皆さん、お誕生日ありがとうございます。

21歳になりました。正直まだ未熟者です。
これからも温かい目で見守っていただけたら幸いです。

それでは~☺



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