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生と死の磁場(永田淳『竜骨もて』)

 『竜骨もて』、竜骨には「キール」とルビが振られる。竜骨は、船尾から船首へ伸びる船の核となる太い柱のことである。その名の通り、骨太な歌集だった。(歌の引用元は全て同歌集。歌前後の括弧()内は詞書、括弧「」内は連作名、引用末尾の数字は頁数。書影はTwitterより。)

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1 生と死

 歌集全体に生と死、特に死は具体名も伴った歌が多く、これらが歌集に磁場を形成して、生と死を直接詠んでいるわけではない他の歌にも生と死の磁性を与えている。ごく一部例を挙げる。

我がなしし『秋草抄』も柩へと右腕近く収め退れり
(河野君江第二歌集)
 「ふくよかに快活なりし」32
死をも孕んでしまった肉叢が自らの死に呻くが聞こゆ 「たすきに落つる」67
川端が死を迎えにゆきし地なり 波をはさみて二本目のコロナ 「由比ヶ浜にて」109
性欲を疎みいし日々 抱かざるは遠く退きゆく潮騒に似て 「わが夜の歌」152
(『シリーズ牧水賞の歌人たち 小高賢』の最終校が届いたのは死の前日)
死の二日前に書きくれし手紙には一杯やりましょうとインク青かりき 「歌人のために」184

 これらの歌が、他の歌に磁性を与えている例を挙げたい。

陽に透きて十月桜咲きいたれ遠かりし日の近づきにつつ 「正論が正義と」221

 下の句については、散文化すれば「遠かった日が近づきながら」で、遠かった日が具体的に何の日かは明かされていない。ただ、先に挙げた生や死にまつわる歌たちが生み出す磁場の中では、自分が死ぬ日を指しているような読みもできる。

一本(ひともと)の歌作らんと夜の更けに肥後守にて鉛筆を研ぐ 「遊星に」202

 生と死の磁場にこの歌を置くと、鉛筆を研いでいるだけなのに、まるで歌のために命を研いでいるような気配すらしてくる。

2 機知に富む歌

 生と死の磁場というとただ重いだけの歌集のような印象を与えてしまいそうだが、以下のような既知に富んだ歌もあり、歌集に厚みを与えている。

源氏や平家などと螢を言い合いて貴船の沢をあの日遡りき 「三軒長屋」76

 ゲンジホタル、ヘイケホタルという蛍の種について話しつつも、源平合戦のイメージをかすかに匂わせる作りとなっている。

鑢(やすり)には動詞もあったはず身の内の深き憂鬱を夜にやすりぬ 「鑢る」180

 ヤスリという名詞から動詞の存在を類推するほどヤスリを見つめるところに、まさに憂鬱の深さが現れている。

3 知覚の範囲の広い歌

 また、一般論として、個別具体的な生と死を扱うとどうしても歌集が閉じてしまう、内輪っぽくなってしまうこともあるが、『竜骨もて』には知覚の範囲が広い歌も数多くあり、重厚かつ壮大なイメージを形成している。

濁声に青鷺一羽とびゆけり大き翼のひとかきの量(かさ) 「その身熱を」58
海亀を眠らせつつある月光を腕の和毛に吸い込ませたり 「さらに」124
湖の面に力漲る暁を小さきバスの銀(しろがね)に跳ぶ 「湖北へと」175
島前(どうぜん)と島後(どうご)に分かれ水道は前後を隔つ沖つ白波 「島前と島後」212

4 まとめと3首選

 このとおり、『竜骨もて』では生や死の歌が磁場となり、歌集全体に生と死の磁性を与えつつも、機知に富む歌や知覚の範囲の広い歌により、ただ重いだけでなく重厚さや壮大さを与えている。最後に好きな歌から3首選をして、評を終えたい。

河骨や月を包みいし雲はいま深泥池を西に過ぎれる 「FD3S Ⅳ型」25
どの夏というにあらねどなべて夏たのしかりしよ莎吊に風 「小さな灰」162
一本(ひともと)の歌作らんと夜の更けに肥後守にて鉛筆を研ぐ 「遊星に」202


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