千種創一

歌人・詩人。1988年、名古屋生。2005年頃作歌開始。2015年、『砂丘律』。201…

千種創一

歌人・詩人。1988年、名古屋生。2005年頃作歌開始。2015年、『砂丘律』。2016年、日本歌人クラブ新人賞、日本一行詩大賞新人賞受賞。2020年、『千夜曳獏』。2021年、現代詩ユリイカの新人受賞。2022年、詩集『イギ』、ちくま文庫版『砂丘律』。

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『千夜曳獏』試し読み

『千夜曳獏』という本を青磁社から出版することになりました。(青磁社 Amazon ) 多くが書き下ろしです。2020年4月30日に予約を開始しました。また、池上きくこさん(葉ね文庫店主)、魚村晋太郎さん(歌人)、橋爪勇介さん(ウェブ版「美術手帖」編集長)から推薦文を頂戴しております。 獣の獏のように色々な表情を見せる装幀は、濱崎実幸氏の手によるもの。ぜひ手にとってご覧頂きたいのですが、日本はなかなか立ち読みができる状況にないかもしれないので、収録362首から自選12首をこ

    • 短歌研究2024年「300歌人特集」を読む(記録)

       2024年7月7日、日本時間21:50〜24:00、上篠翔と千種創一で「短歌研究」2024年5月・6月合併号「300人特集」を読むスペース(Twitter上の公開通話)を開催しました。より議論が深まればとの思いから、その内容を以下のとおり公開します。(敬称略。文字起こしアプリを使用しての文字起こしにつき、日本語として不明瞭な部分や誤字なども一部散見されることをご容赦下さい。) 【上篠翔5首選】 上篠翔(かみしの・かける) 玲瓏所属。粘菌歌会主宰。2018年、第二回石井僚

      • 睡蓮試論(川野里子歌集『ウォーターリリー』)

         短歌が主に「私」の声を運ぶ一人称の文学とされる中、川野里子歌集『ウォーターリリー』は、睡蓮(=water lily)という題材を媒介として、「私」の声に「他者」の声を混ぜることで、人称の重層化、またそれに伴う歌集世界の重層化にも成功している。 1 題材としての睡蓮 本歌集は、その名のとおり、睡蓮を題材とした歌が多い。その一部を挙げる。  歌集には460首が収録される一方、「ウォーターリリー」、「睡蓮」、もしくは(スイレン科の)「オオオニバス」という文字の含まれる歌だけで

        • 2023年活動まとめ

           2023年は、本当に色々なものを失った。なのに今、生きる気持ちにあふれているのは、失ったもの以上に、新たに得た美しい過去と未来があるからだろう。自分のもとを去ったもの、来たものに思いを巡らすとき、自分が一つの大きな広場として、それらの人々や物事の去来を眺めているような気分になる。来年も書いていく。それが僕の唯一のできることであり、すべきことでもあるから。 【作品】 短歌7首「内海某市」 同人誌まいだーん7 短歌30首「忘れ離れにならないために」 短歌研究2023年3月

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          物語の余白にこそ(中井スピカ『ネクタリン』評)

          中井スピカ歌集『ネクタリン』は、女性視点からの孤独、痴呆症の進む親との関係、海外への旅などの物語を率直に歌う歌集だった。しかし、歌人の本当の長所は、共感を呼びやすい物語や、その物語の核を形成する歌たちにではなく、その物語の余白に置かれた歌たちにこそ現れる(共感や物語の消費を我々はもっと畏れるべきだ。余白は消費され尽くされることはない)。この角度から眺めると、以下の歌に見られるような、そこにいない誰かを描くときの独特の視点が『ネクタリン』の長所であると言える。 「誰」が含まれ

          物語の余白にこそ(中井スピカ『ネクタリン』評)

          レイヤーの複層化の複雑化(175)

          Twitterで流れてきた絵が記憶から消えないのでメモとして。 175さん(@milky_chiffon_ )という方が「忘れないでね、」という文章とともにTwitter(現X)投稿されたこの絵に胸を打たれた。その理由を考えたとき、レイヤーという論点が浮かんだ。この絵では、①シールの層、鉛筆画の層、写真の層といった画面のレイヤーの複層構造に加えて、②現在と過去を往来する小中学校の頃のシール、目の大きな小中学生風の鉛筆画、いつ撮影されたかわからない街並みという風に思い出もまた

          レイヤーの複層化の複雑化(175)

          詩集『イギ』試し読み

          『イギ』という詩集を青磁社から出版しました。(青磁社 Amazon )「ユリイカ」や「現代詩手帖」に寄稿したものもありつつ、多くが書き下ろしです。 外からは廃墟、開けば砂漠の青空を思わせるような初版限定の装幀は、濱崎実幸氏の手によるもの。ぜひ手にとってご覧頂ければ幸いです。頁をめくるたびに紙の匂いが香り立ちます。 試し読みとして『イギ』から「レンズ豆のスープ」と「残つてゐた七枚」を公開します。 <レンズ豆のスープ> <残つてゐた七枚> 予約・注文方法は次のとおりです。

          詩集『イギ』試し読み

          詩集『イギ』刊行から1年にあたって

          短歌から離れていた時期、ぐちゃぐちゃの僕の精神を支えてくれていたのが、詩を書くという行為だった。「ユリイカの新人」も受賞し、生きる目的を取り戻すきっかけとなった。やはり書くことが神さまからの使命であり、呪いであると思えた。その結果として編まれた詩集が『イギ』だ。詩には感謝しかない。 剣道では、相手の喉に切先を向けた「中段の構え」が、攻防のバランスの観点から一般的だ。一方、切先を天に向けた攻撃特化の「上段の構え」もあり、一度は試すべしと上級者に薦める人もいる。その理由は、上段

          詩集『イギ』刊行から1年にあたって

          定型の辺境を(野村日魚子歌集『百年後 嵐のように恋がしたいとあなたは言い 実際嵐になった すべてがこわれわたしたちはそれを見た』)

           野村日魚子歌集『百年後 嵐のように恋がしたいとあなたは言い 実際嵐になった すべてがこわれわたしたちはそれを見た』(2022年、ナナロク社)は、近代短歌でありがちな個々の私生活の視点ではなく、神話のような視点から、生きること死ぬことについて描くエネルギッシュな歌集だ。その荒々しいエネルギーは、破調の歌の多さにも表れている。本稿では、主に同歌集の韻律について論じる。(引用歌は全て同歌集より。) 1 破調の歌の読解 「私」もしくは神視点が、震えている犬を眺めている、と読んだ。

          定型の辺境を(野村日魚子歌集『百年後 嵐のように恋がしたいとあなたは言い 実際嵐になった すべてがこわれわたしたちはそれを見た』)

          トークイベント「これから短歌の話をしよう 荻原裕幸×千種創一」(記録)

           2022年12月29日(木)、名古屋「ささしまスタジオ」で、荻原裕幸と千種創一のトークイベント「これから短歌の話をしよう」が開催され、約50名が参加しました。ここから議論が広がればとの思いから、以下その概要を公開します。 1 はじめに千:このイベントは、荻原裕幸の歌集『永遠よりも少し短い日常』(書肆侃侃房)、千種創一の詩集『イギ』(青磁社)・歌集『砂丘律』文庫版(筑摩書房)の刊行を記念したもの。雨のぱらつく寒い中、足をお運び頂き、感謝。 荻:かつて名古屋は、今以上に短歌の

          トークイベント「これから短歌の話をしよう 荻原裕幸×千種創一」(記録)

          2022年活動まとめ

           2022年は、歌集が文庫化される光栄、詩集を上梓する光栄にめぐまれた。寄稿先も広がった。書くことに生かされた一年だった。来年も神様から与えられた才能を使って書いていきたい。 【出版】 詩集『イギ』(青磁社、11月) 歌集『砂丘律』文庫版(筑摩書房、11月) 【寄稿】 短歌30首「Last but not least」 短歌研究2022年1月号収録 詩「ハンバーガー屋と礼拝所の交差点を曲がりながら」 ユリイカ2022年1月号収録 随筆「骨と赤ワイン」 角川短歌3月

          2022年活動まとめ

          靄晴らし(岡井隆歌集『阿婆世(あばな)』)

           岡井隆の死後に出された最終歌集『阿婆世(あばな)』(2022年、砂子屋書房)は、人が死に対して持つ靄(もや)を少しだけ晴らすような歌集であった。  さて、今この文章を読む何者も、自身の死を経験したことはない。そして多くの人は、おそらく死が怖い筈である、なぜなら人は全く想像のできないもの、理解できないものを本質的に恐怖するからである。  死を目前とした岡井隆は、このように歌う。  最後まで読んで散文化すれば、「僕は、目の前にいる暗いまなざしの人に声を掛けようとしている、

          靄晴らし(岡井隆歌集『阿婆世(あばな)』)

          遠景としての家族(井戸川射子詩集『遠景』)

          井戸川射子の詩集『遠景』(2022年、思潮社)は、タイトルのとおり、遠くから何かを眺めているような詩集であった。 何を眺めるのか。この詩集で読者が眺めるもののひとつに、私の父や母、幼い私や私の子などがある。 一般的に文学作品において、家族を描写するとき、過度に美化したり、もしくは醜悪に書くことが多いように思うが、井戸川の場合は、おおむね中立的に、それこそ遠くから不特定の親子連れを眺めるかのように描写をする。その描写は読者の目線からの認識により近く、その意味でリアリティーのあ

          遠景としての家族(井戸川射子詩集『遠景』)

          20年代を歩くために(松村正直『踊り場からの眺め 短歌時評集2011-2021』)

          松村正直が様々な場に発表してきた時評を集めた『踊り場からの眺め 短歌時評集2011-2021』(2021年、六花書林)は、2010年代を振り返る評論集として重要である。 同評論集は、震災詠、評価軸の多様化、口語短歌、作中主体、論客としての永井祐や斉藤斎藤の発言といった10年代の多くの論点について触れている。松村の中立的・相対主義的な書きぶりが特長である。 特集「定型と╱の自由」を組んだ「現代詩手帖」2021年10月号の座談会において、山田航も10年代をまとめている。また、

          20年代を歩くために(松村正直『踊り場からの眺め 短歌時評集2011-2021』)

          美術の歌(その1)

          李禹煥(リー・ウーファン)は、「もの派」を牽引したアーティスト。もの派とは「石や木、紙、綿、鉄板といった素材をほぼ未加工のまま提示し、ものの存在自体、あるいはものと周囲との関係に意識を向ける」日本美術の動向(筧菜奈子『めくるめく現代アート』2016年、p110)。 普通、短歌でそんな存在感を持つ作家を引用すれば、一首の雰囲気がその作家に飲まれてしまう、つまりその作家の作品や雰囲気をただ散文化に劣化コピーしただけになってしまう。 しかし、大辻の上掲の歌は、「細い」より細い印

          美術の歌(その1)

          成長する水晶(西巻真歌集『ダスビダーニャ』)

          西巻真歌集『ダスビダーニャ』(2021年、明眸社)は、生活の苦さの中に水晶のような美しい歌の混ざる歌集だった。 上記のように、歌集全体に生活の見えてしまう苦々しい歌も多く、こちらも苦しくなる。秀歌ばかりとは言えない。それでもその苦さの中に、時おり水晶のように澄んだ歌たちが混ざる。 夭折(ようせつ)は若くして「早く」死ぬこと。初雪は、その冬に初めて降る雪のことで、「早さ」に通じるものがある。夭折と初雪の「早さ」という共通点を力点としつつ、読点が、上の句に不思議な構造を生んで

          成長する水晶(西巻真歌集『ダスビダーニャ』)