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靄晴らし(岡井隆歌集『阿婆世(あばな)』)

 岡井隆の死後に出された最終歌集『阿婆世(あばな)』(2022年、砂子屋書房)は、人が死に対して持つ靄(もや)を少しだけ晴らすような歌集であった。

「あばな」は、岐阜あたりの方言で「さようなら」の意味のようです。 
(p151。岡井の率いた未来短歌会による「あとがきにかえて」より。)

 さて、今この文章を読む何者も、自身の死を経験したことはない。そして多くの人は、おそらく死が怖い筈である、なぜなら人は全く想像のできないもの、理解できないものを本質的に恐怖するからである。

 死を目前とした岡井隆は、このように歌う。

暗い眼に声かけむとすわが咽の涸れし低音に水やりながら 「随時六首」p56

 最後まで読んで散文化すれば、「僕は、目の前にいる暗いまなざしの人に声を掛けようとしている、僕の喉が枯れて低い声しか出ないから僕は水で僕の喉を潤おしながら」となるであろう、論理的には。しかし、歌集前半で体調の深刻さを知っている読者は、一読目、上の句をこう読めてしまう、「誰かが、死にゆく暗いまなざしの僕に声を掛けようとしている」と。もちろん「我が」が含まれる下の句の最後まで読むと最初に書いた読みに無意識に修正されるが、「眼」の持ち主は、人か自分かで揺らぐ。この揺らぎは偶然であろうか。

ぼくといふ無名のものも夕べには確かに門をくぐるのだらう 「門番とぼく」p93

 表面的に読めば「僕という者も夕暮れには確かに門をくぐるのだろう」と解釈できる。しかし、上の句、その「無名の」を読み込むと、歌が深くなる。人は社会で暮らす限りは、便宜上必ず名を持つ。つまり「ぼくといふ無名のもの」なんて人間の存在は考えにくく、ゆえにここで奇妙な空気が醸成され、「夕べ」や「門」までもが抽象化する。もうそれらは、夕べのような人生の終わりであったり、天国や地獄の門であったりする。者ではなく「もの」という表記もより抽象化に資している。
 僕は名を無くした、より無機物に近い存在になって、人生の終わりには門をくぐる。それが天国であったらいい。表現者だけが落ちる地獄があるなら、その門をくぐるのも悪くない。

 不思議な揺らぎを持つ暗い眼の歌や、天国(地獄)の門の歌は、元気な生者が詠めるような歌ではないように思われる。死を前にした、生者と死者の間の者が詠む歌である。

 死は想像ができないから、靄がかかる。だから、怖い。しかし、これらの歌を読むと、少なくとも、少しだけ、死を前にしたときの気持ちは想像できるようになる。そのことは靄をわずかに晴らしてくれる。これは、感覚の機微が散文よりも伝わりやすい韻文の、そして岡井隆の、力であろう。

 歌集全体で一首一首の修辞の話をすれば、歌集編纂に自身での取捨選択をしていないからか、作りの甘い歌も散見されたが、それでも以下のような岡井の、隠す文体はしっかり存在している。情報を盛り込むのではなく、情報を隠すからこそ、色気が出る。「余白派」といってもいいかもしれない。

薔薇の根方に未来図がないーー大切にしまつて置いた筈なのに、なあ 「卒寿心年に憶ふ」p15 ※根方には「ねかた」とルビ

新しき年に向かひて歩むなか翼あかき鳥に逢へればよいが 「消化管出血を疑はれし後 即時」p32

たましひにもし道筋があるとして小道小溝を走らうね 水 「同伴者」p48 ※小道小溝には「こみちこみぞ」とルビ

流れてるのは見えるけどその水は僕のところまで来ることはない 「友どち」p83

 最後に、岡井隆の絶詠とされ、また、この歌集の短歌章の末尾に置かれるこの歌を。この歌の「こんなこと」は、きっと生者の眺める世界ではない。その世界を眺めてみたい。

ああこんなことつてあるか死はこちらむいててほしい阿婆世といへど
「死について(続)」p113 ※阿婆世には「あばな」とルビ


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