見出し画像

短歌研究2024年「300歌人特集」を読む(記録)

 2024年7月7日、日本時間21:50〜24:00、上篠翔と千種創一で「短歌研究」2024年5月・6月合併号「300人特集」を読むスペース(Twitter上の公開通話)を開催しました。より議論が深まればとの思いから、その内容を以下のとおり公開します。(敬称略。文字起こしアプリを使用しての文字起こしにつき、日本語として不明瞭な部分や誤字なども一部散見されることをご容赦下さい。)

【上篠翔5首選】

しかしながら、とちいさな傘をひろげつつあなたは星の降る都市へゆく
 「逆説」井上法子
だとしてもつづけてほしい誰ひとり幸せにしない夜更けの手品
 「港」魚村晋太郎
カノープス見ることももう諦めて如月は過ぐまたたける間に
 「ナチュレモルト」大辻隆弘
喉にいつもお粥のような白い声 立ちどまったら泣いてしまうよ
 「梅と風刺画」大森静佳
薔薇の小道 いまからこれが終わるのが楽しみで仕方ない 夜の道
 「最近の五首」堂園昌彦

上篠翔(かみしの・かける) 玲瓏所属。粘菌歌会主宰。2018年、第二回石井僚一短歌賞受賞。2021年、『エモーショナルきりん大全』(書肆侃侃房)刊行。2024年、緑珠賞受賞。文藝メディア|フィナンシェにて小説を連載中。


【千種創一5首選】

鯛めしにきみがはしゃいでいるだけの記憶でこれまでもこれからも
 「driven」阿波野巧也
眠りいる目鼻を指でたどりゆく夜更け、城跡、靴を燃やして
 「ハイウェイ」小島なお
膨れたる死魚のめぐりに虹の色はつか滲みて漁港に浮かぶ
 「恐竜出没」志垣澄幸
昨日のことをあなたは遠く執拗に、捻れたような仏堂の花
 「最近の五首」堂園昌彦
あなたとの歩みの中に写真機を出さざれば消えゆく木瓜の花
 「寒春都市」廣野翔一

千種創一(ちぐさ・そういち) 2015年、歌集『砂丘律』(青磁社)上梓。2016年、第22回日本歌人クラブ新人賞、第9回日本一行詩大賞新人賞を受賞。2020年、歌集『千夜曳獏』(青磁社)上梓。同年、現代詩「ユリイカの新人」を受賞。2022年、詩集『イギ』(青磁社)文庫版歌集『砂丘律』(筑摩書房)を上梓。

【冒頭】

千種:

どすか。日本は暑いっすか。


上篠:

ちょっと常軌を逸した暑さかもしれない。


千種:

今夜は何飲んでみえるんですか。


上篠:

僕は今、タコハイ飲んでます。


千種:

僕はですね、今とある国にいるんですが、ここで作られているビールをですね、飲んでいこうと。(ビールの缶を開ける音)


上篠:

スパークリングな音が聞こえました。いいですね。


千種:

天の川の星の数ほど、このビールの中に泡が詰まってますからね。夢と希望と。今夜は七夕ということで。じゃあ、乾杯しましょうか。(乾杯の音)ありがとうございます。この企画に乗っていただいて。読むだけじゃ勿体ないかと思って。すごくないすか、これ、どうでした、ボリューム。


上篠:

いや、なかなか。300首。相変わらず重い。


千種:

重いですよね、うん、すごいボリュームある。これ読むのに何日かかりました?


上篠:

でも2日かな。


千種:

うお。速読タイプですもんね、かみしのさん。


上篠:

うん、これに間に合わせるためにっていうのもありました。


千種:

忙しい中ありがとうございます。僕は2週間ぐらいかかりましたね。ちょっとずつ読んで。


上篠:

いや、それくらいかかりますね、普通に読んでたら。2年前のコロナ禍中の短歌研究300人特集「ディスタンス特集」も読みましたが、基本的には5首なんだけど、やっぱこう、1人1人あるので、文体というか。


千種:

そうそう、そうなの。だから重い。


上篠:

だから、かなり、本当、300人と会話してる感じがするんです。


千種:

うん、ちゃんぽんでお酒飲むみたいな。アルコール度数がどんどん変わるからちょっと酔うみたいなところありますもんね。ってダメだダメだ。開始時間前なのに真面目な話しちゃってる、今。


上篠:

大丈夫です、アイドリング・トークタイムです。


千種:

ええと、今日何してました。


上篠:

今日はさっきまで働いていて。はい。


千種:

おお、それはありがとうございます、忙しい中、お疲れの中。僕はさっきまで「おやすみプンプン」(浅野いにお)を読んでて。7月7日だから。そう、もう時間とかいろんなもの忘れて号泣してました。声上げてベッドで泣いて。


上篠:

「おやすみプンプン」ね、なんか7月7日といえば、みたいなところはありますよね。


千種:

いや、改めて読んで思ったのが、あ、読んでない人もいるかもしれないので、あんま詳細は省きますけど、最後に劇的な事件が起こるじゃないですか。


上篠:

そうですね。


千種:

で、その後に、普通の漫画だったら、その次の話とかで終わりじゃないですか。

でもおやすみプンプンは、その後みたいなものを4話か5話ぐらい使って書いてて。それ丁寧だなってすごい思いました。現実世界では、事件があった後も、関係者の人生って続いていくわけじゃないですか。


上篠:

そこまでしっかり書いてるって。


千種:

そうそうそう。それは「アイアムアヒーロー」(花沢健吾)で冒頭の第1巻ほぼ全て使って、主人公の、ダメ男の日常をちゃんと丁寧に書いたからこそ、後の生活の崩壊が怖いっていうのとちょっと似てて、事件の前をしっかり書くとか、おやすみプンプンみたいに事件の後をしっかり書くって、 すごく、なんて言うんだろうな、物語を大切にしてる感じがして、いいなって思いましたね。


上篠:

ああ、非常にわかりますね。僕、今「ヒカルの碁」(ほったゆみ原作・小畑健漫画)のことを思い出したんですけど。


千種:

憑依する系ですよね。


上篠:

そうなんです。藤原佐為(ふじわらのさい)っていう天才が憑依して。で、ネタバレというか、結局佐為は幽霊なんでいなくなるんですけど、でも、その佐為がいなくなった後に、佐為が主人公に残したもののことを、5巻ぐらいかけて丹念に書くんですよね。


千種:

えー、それは知らんかった。それはいいっすね。


上篠:

その後のこともしっかり書いているみたいな。っていう話をしてるうちに、22:00になりましたね。


千種:

やりましょうか。


上篠:

やりましょうか。一応、聴いている方に向けて説明すると、「短歌研究」っていう短歌総合雑誌があって、その5月・6月合併号ということで、300人の歌が載ってるというちょっと尋常ならざる号があるんですけど、1500首ぐらいありますよね、全部で。


千種:

そうですね、単純に計算して。5首の人と10首の人といて。


上篠:

そうですね。で、その中からお互いにひとまず5首ぐらいを抜き出して喋ろうということですよね。


千種:

はい、よろしくお願いします。1首あたり10分ぐらいで、2時間ぐらいを予定してますので、皆様、よろしくお願いします。途中で眠くなった人は敵当に寝てください。


上篠:

お酒とか飲みつつね、適当にやって。


千種:

はい。僕らもエンジンにね、ガソリン入れてるところなので。


【上篠1首目】

しかしながら、とちいさな傘をひろげつつあなたは星の降る都市へゆく
 「逆説」井上法子

上篠:

七夕だから挨拶の歌っていうわけでは別にないんですけど、連作のタイトルが「逆説」なんですけども、この「しかしながら」っていうのは、そっちの方じゃなくて、手偏の「逆接」の方なんですよね。「しかし」とか「でも」みたいな、逆接の接続詞の方なんですけど、何がいいのかな、今回色々読んでいくにあたって、どういう風に読んだかっていうか、選んだかっていう話なんですけど、紙面の上の方に氏名が書いてあるので、その氏名を隠して全部読んでったんです。


千種:

僕も全く同じことしました。僕もレシートで隠して、その上に書いてある生年とか、結社とかも隠して、あと名前ですよね。そこ、僕も隠して読みました。


上篠:

うん、なんかやっぱ、氏名が最初に入ってくると先入観が生まれちゃうんで、全部隠して読んでって。で、自分の選んだやつを見ると好きな韻律であったりとか、漢字と平仮名のバランスとかがよくわかる。だから、基本的には、全体、まず、ぱっと見て好きだって思ったやつを選んでるっていうような感じなんです。井上さんの歌ですけど、逆接の接続詞から始まってるっていうのが、まず好きで、しかしながら、みたいな、こういう始まり方の歌ですよね。 で、なんていうのかな、逆接の接続詞っていうのは、やっぱり逆接なので、つまり順接ではないっていうところがまずあって。世界の正解みたいなものがあって、でも、そういうものに対して、「でも私は」みたいな、逆接から入るっていうことが、実は小さな傘っていうことと結構イコールで繋がってんじゃないかなという。


千種:

それを、なんか異議を唱える、なんだろう、ためらいとか、声の小ささとか、そういうものが小さな傘と響いてるっていうこと。


上篠:

傘って要するに雨を防ぐためとか、あるいは日光を防ぐためのもの、道具だから。


千種:

傘は防御ですよね、どっちかっていうと。


上篠:

そうですね。傘自体が防ぐものというか、塞ぐものというか、そういうもの。で、それが逆接の言葉に響いてる。でも、それは、非力なもので。星の降る都市っていうのは、具体名ではないから、なんとなく、空気が澄んでいるところみたいなことかなと思いました。


千種:

そういうことか、なるほど。


上篠:

よく星が見える、満天の星空みたいなことなんだけど、その星の圧倒的な美しさみたいなもの、そういう都市に行くんだけど、小さな傘を広げて、その美しさを防いでるみたいな、なんか、そんなようなイメージがあって。


千種:

今、この人は、星が降ってない街にいて、これから、星、美しいものが降る町に行くっていうことですか。


上篠:

そうですね、だから、なんか、大いなる何かがある町っていうようなイメージなんですよね。ここでは、「星の降る」って言ってるんですけど、大きな物語みたいなのがある都市へ行く。あなたはそこで、小さな傘を広げているっていう。その小さな、非力な傘なんだけど、とても強いというような印象ですね。あとは、アトリビュートみたいな話なんですけど、確かに、傘は一方で防ぐものでもあるんだけど、もう一方では、メアリー・ポピンズでもそうなんですけど、空飛ぶ物っていうイメージもある。要するに自由のダブル・イメージみたいなことかもしれないんだけど、逆接の言葉が、一方では、大きな物語に対する自己を保証するような言葉でありつつ、それはそのまま空を飛べるような、飛翔の道具でもあるみたいな。傘に付随したイメージの多層的なものがうまく詠み込まれている気がして、そこが好きだったなっていう感じですね。


千種:

なるほどね。いや、僕もこれ取ろうか迷って、なんだろうな、リアリティー読みじゃないというか。なんて言うか、生活詠じゃないじゃないですか。少なくともこの文字面は。僕、そういうの好きなので、とろうかなと思ったんですけど、その、星の降る都市っていうのが、いや、今かみしのさんの評を聞いて、なるほどって思ったんですけど、いまいち掴みきれなくて、なんか若干、銀河鉄道の夜とか銀河鉄道999の世界かなって思って。その、小さな傘を広げるってことと、星の降る都市。降るから傘を広げるのか。 なんて言うんだろうな、星の降る都市っていうのが綺麗すぎて、今回5首しか取れないっていうことで、他の人に譲ったっていう感じですね。


上篠:

常套句ではありますよね。「星の降る都市」は。


千種:

先日活動休止が発表されたフジファブリックにもそういう歌ありましたよね。上篠さんの次の歌もあれですもんね、「だとしても」って、こう、異議申し立てから始まってますもんね。
ちなみにTwitterの皆様、この配信は事前にそれぞれの5首選をnoteに上げてますので、そちらを見ていただきながらお聞きください。で、はい、すいません。腰の骨を折って。腰の骨は折らないな。話の骨を折ってね、腰の骨を折ったりしたら、


上篠:

腰の骨を折ったりしたら入院ですからね。


千種:

入院ですね、うん、危なかった。で、この歌もなんか、その、レシートで名前とか隠しながら読んで、読みながら、もうその連作2首目ぐらいで絶対これ井上さんだろって思って読んでました。


上篠:

そういうのもちょっと正直あるんですよね。名前隠れてもわかっちゃう。


千種:

そうそう、それってすごく素敵なことじゃないですか。声みたいなもんじゃないですか。文体って。


上篠:

そうですね。


千種:

で、自分の声がある歌手って強いじゃないですか。


上篠:

そうですね。


千種:

例えば、さっき言ったフジファブリックの志村さんの声とか。あとはMr. Childrenの櫻井さんとか。彼らの声、聞けば分かるじゃないですか。別にバンドで歌ってなくて、なんかの企画でソロとかでやってたとしても、これ櫻井さんだってわかる。 フジファブリックの志村さんだって、別に歌うまいわけじゃないけど、よく外してるし、ライブとか聞いても、でも、志村さんの声だってなるし、なんかもっと聞いてたいなって思う声質だったりするじゃないですか。それってまさに文体で。井上さんもすごい、文体をめっちゃ感じますよね。


上篠:

星の降る都市っていう常套句も、ありきたりな美しさの表現っていうことなのかもしれない。でもありきたりな美しさにぼくなんかは動かされたりしてしまう。それも逆説めいている。


千種:

このタイトルの「逆説」っていうのは、どっから来てるんでしょうね。1首目から来てるんですかね。逆説って。説くっていう言偏の「逆説」が連作タイトルになってるじゃないですか。


上篠:

パラドキシカルみたいなことですよね。


千種:

一瞬間違ってみえるけど正しいっていう意味でしたっけ。


上篠:

急がば回れみたいなことですよね。急いでいるなら直線で行った方がいいのに、遠回りすることによって、かえって早く着く。


千種:

連作タイトルは、手偏の「逆接」もちょっと響かせてるんでしょうね。「しかしながら」から始まるっていうのは。


【千種1首目】

鯛めしにきみがはしゃいでいるだけの記憶でこれまでもこれからも
 「driven」阿波野巧也

千種:

鯛めしではしゃぐっていうのがうまいですよね。いや、本当は鯛めしじゃなかったのかもしれないけど、蛸めしかもしれないし、炊き込み筍ご飯かもしれないし。でも、「鯛めし」に言及した上で「はしゃぐ」っていうと、言外に何かぴちぴち跳ねてるイメージ出てくるじゃないですか。 うん、そこの響かせ方がまずうまいっていうのが、その、文体的な話で。


上篠:

はいはいはい。


千種:

で、意味の方なんですけど、文章じゃないですよね。鯛めしに君がはしゃいでいるだけの記憶で、これからもこれまで、これまでもこれからも。その後なんなのかが書かれてない。


上篠:

省略されて。


千種:

それでこう、ひらがなも多い。うん、文字面とかな、君がはしゃぐっていうプラスのことから、結句のあと、多分プラスのことが省略されてるって類推できるんです。で、これまでもこれからも私は幸せだみたいな、なんかこう、ちょっと俗な言い方ですけど、予感がある感じ。うん。が、その、短歌って割と、阿波野君は違うんですけど、短歌って割とこう、悲しかったこととか、辛いこととかを詠みがちな詩型じゃないですか。


上篠:

そうですね、よく言われますね。


千種:

だけど、この歌は結構明るさありますよね。それがいいなと思って。「鯛」、「君」、「はしゃぐ」っていう、なんとなくのその縁語というか、イメージの展開のうまさもあります。これまでもこれからも、の結句のあとに省略されているであろう、「私はその記憶で幸せだろう」っていう、なんだろうな、謎の、根拠のない明るさみたいなものが僕は好きで、これを取りました。


上篠:

僕もこの歌すごくいいなってやっぱ思って。韻律の操作というか、これまでもこれからもっていうところって字足らず感あるじゃないですか。


千種:

そう、字足らず的な印象のある句跨りですよね。


上篠:

ですかね、句跨りですね、句跨りなんだけど、意味の塊で切ると、字足らず感がうまれる。


千種:

確かに。


上篠:

そこの操作がすごくうまくて。その空白に、言葉にできない思いみたいなのが入り込んでくる隙間があるっていう。この作りうまいなっていうのと、阿波野さんの歌は、歌集の歌も好きで。リフレインって結構よく出てくる気がして。


千種:

音楽的ですよね、阿波野さんの歌って。


上篠:

だいなしの雨の花見のだいなしな景色の今も愛なのかなあ
 『ビギナーズラック』阿波野拓也

この歌とかもすごい好きなんですけど、リフレインが「の」とか「な」みたいな助詞でちょっと変化するみたいな、変化しつつ繰り返すみたいな。この方法は好きですね。好きなんですよ。


千種:

阿波野さんの良さであり、手癖であり、みたいな。阿波野さんの文体ですよね。


上篠:

文体だと思いますね。


千種:

文体ってなかなか、身につかないもんですからね。


上篠:

リズムについてはかなり生得的なところはある。


千種:

そう先天的で、なんか「呪術廻戦」(芥見下々)でいう"生得術式"に近い気もします。


上篠:

技術で習得できるものももちろんあると思うんですけど、やっぱそこの余剰はあるよなと思いますよね。


千種:

この連作だと、他には、一首目に


春を季節をとおくはなれてゆびさきは引き起こすコカコーラのタブを
 「driven」阿波野巧也

っていうのが置かれてて、この歌もめっちゃうまいんですよね。


上篠:

そうですね。


千種:

これも句跨りですけどね。一般論として、ですが、なんか一首に句跨りがあることが標準的になることがいいのか悪いのかっていう議論はあるべきな気もしますがね。


上篠:

うん。


千種:

いわゆるちょっとその、テクニックじゃないですか、その例えば、短歌初心者に、じゃ57577で作りましょう、って1首作らせて、最初に自然発生する韻律ではないじゃないですか。結構僕の本も句跨りは多くて、Amazonのレビューとか見てると、57577になってなくてどこで読めばいいかわかりませんでした、星1みたいなレビューがあったりして、ほほう、みたいに思う。うん、だからなんか句跨りがインフレしてるみたいな。


上篠:

それは結構、やっぱオルタナティブって、オルタナティブじゃなきゃオルタナティブじゃなくなっちゃうみたいな。


千種:

じゃあ短歌の韻律は次にどこ行くんだろうね、とかよく考えますね。


上篠:

そうですね、バリバリの定型に戻るという、戻るでもないけど。僕は同じ連作の「あおさぎの ぼくはふいに訪れたぼくをふいに失っていく」っていうのも最終候補に入れてて。リフレインが好きなんですよね。


千種:

あれかな、タイトルのdrivenは2首目の、

こころまで油にまみれ描き終わる図面のギアは駆動する暗く
 「driven」阿波野巧也

から来てるんですかね。


上篠:

なんかここら辺から来てそうな気はしますね。


千種:

さっきの井上さんもそうですけど、なんかこう、連作の1首からそのままなんか語句を持ってきて原作タイトルにするっていう作り方じゃなくて、タイトルも作品の一部みたいにしてる付け方、それ僕大好きなんですよね。なんかちゃんと使える領域全部使ってる感じが。


上篠:

そうですね、僕も自分でするときはそういう感じにするので。


【上篠2首目】

だとしてもつづけてほしい誰ひとり幸せにしない夜更けの手品
 「港」魚村晋太郎

上篠:

さっきおっしゃったように、「だとしても」みたいな、一般的に断絶した文章の冒頭には来ない言葉で始まってるっていうやつ。ひとつの技術として、そういう形式のものが好きっていうのはまず前提としてあるんですけど。この歌に関しては「手品」って言葉いいなって思ったんですよね。手品って英語にすると「magic」だと思うんですけど、決して魔法ではないんですよね。手品はあくまで技術で、その技術を最高まで高めた結果、魔法みたいに見えるっていうのが手品だと思うんです。だから、ここでは手品って書かれてるし実際手品だったのかもしれないんだけど、ほとんど「虚構」みたいなことに近くて。物語であったりとか、創作であったりとか。技術を高めた結果、魔法に見える何物かっていうのを、誰一人幸せにしない、それはもしかしたら技術が拙くて魔法に見えないってことかもしれないし、そもそもそれを披露する他者がいないっていうことなのかもしれないんですけど、とにかく手品が手品であるための要件が存在していないんだけど、それでも続けてほしいみたいな、祈りというか、なんかそれってすごくいいなって思って選んだやつですね、これは。


千種:

僕もこれは取ろうかどうか最後まで迷った歌でしたね。手品っていうのは、極めてたら誰かを幸せにするわけじゃないですか。すごい。なのに「その場の誰1人幸せにしない」っていうのは、多分その場に何人かいると思うんですけど、なんか滑り芸みたいな。下手くそやなこいつと思いつつ、周りの人みんなが、でも、それでも続けてほしいっていう願いだと思うんですけど、そこになんかこう、共感性羞恥って言うんでしたっけ。こっちが恥ずかしいって思いが自分の中で出てきちゃって。だから、その文体がすごく好きなんですよ。だとしても、で始まる。技術の話をしちゃいますけど、その初句から最後までを結句に修飾させる形で、結句を「〜する夢」とか「〜する遊び」とかっていう結句って、初心者やりがちじゃないですか。それって構造が重いし、夢オチみたいになるから大体成功しないんですけど。魚村さんのこの歌の場合は、「だとしても続けてほしい」で、1回切ってて、構造のネガティブな重さは、ちゃんと回避できてると思いますし。逆接から始まる、つまりこの短歌の初句の前にもっと長いストーリーがあること、を匂わせる。この逆接で始まる歌って飛び道具的な文体ではあります。初句とかは好きだったんですけど、共感性羞恥で恥ずかしいっていう、なんかこう、ひーっていうので取れず、最後に落としたっていう感じですね。


上篠:

なるほどなるほど。


千種:

流行ってんすかね、さっきの、しかしながらとか、この、だとしても、とか。いや、実は僕も、自分語りになっちゃいますけど、全く初句被ってるんですよね。この号、僕も載ってて、そこの1首目を

だとしてもあなたを ひどい山火事の夢を見ると夕方に目覚める
 「朧(おぼろ)」千種創一

っていう風に書いてて。こういう初句、流行ってんのかっていう。なんかさっき飛び道具的なところはあるって言いましたけど、これもなんかあんまりみんながやり出すと、インフレ起こして価値なくすよなって思って、こっちくるな来んな来んなって思ってます。


上篠:

昔から普通にありませんっけ、こういうので始まるのって。


千種:

そうか、確かにあるか。いうて僕もどっかから持ってきてますからね。ニューウェーブぐらいの時からありますか。今いい例が思い浮かばないけど。


上篠:

レトリックを色々試していますからね。この歌について繰り返すと、「だとしても」みたいなのが好きってのもあるんですけど、手品って言葉がすごく技法ともあってていいなと思って。 手品って失敗の連続だと思うんですよね。


千種:

うんうんうん。


上篠:

魔法とかに比べたら。失敗し続けているっていうのは前提としてあって、それでもやっぱ続けてほしい。文体・レトリックと、手品っていう名詞が組み合わせとしてすごいいいなって、思ったんですよね。


千種:

この手品っていうのは、なんかの比喩とかじゃなくて、もう本当に目の前でやってる手品のことなんですかね。


上篠:

そこはちょっとわからないですよね。でも、魔法と手品って二項対立させた時に、手品って本物ではないっていうのが本質としてある気がして。突き詰めれば魔法になるんだけど、本質としては偽物であるみたいな。ものが消えるわけではなくて、技術を高めた結果消えてるように見せてるみたいな、見せかけるみたいな、そういうものなので。実際見たのは手品だったのかもしれないんだけど、手品っての虚構であるっていうことを認知した上で、でも、それでも続けてほしい。続けたらマジックになるかもしれない、魔法になるかもしれないみたいな含みはきっとあると思うんですよね。


千種:

今聞いて納得しましたね。自分の中でその手品と魔法が二項対立っていう、明確な意識がなかったので、うん、言われてみればそっか、そういう確かに二項対立もあるなと思って。で、それを踏まえて読むといい歌になりますよね。もっと。


千種:

こういう読みが変わる瞬間がね、今回のスペース企画でしたかったんですよ、僕は。


上篠:

でもやっぱ続けたら魔法になるよみたいなこと言うのは、恥ずかしいじゃないですか。


千種:

そうですね。


上篠:

続けたならっていう、繰り返しが何かになるっていう可能性はここで提示、暗示に留められてるのも、恥じらいの目線みたいなのを感じる気がして。言い切らないことへの、そういう部分も含めて好きな歌だなと思ったんですね。


千種:

今、僕の目の前に、なんかこう「納得ボタン」があったら、納得、納得、納得って押しまくってます。なんか、連作全体に関してはいいですか。


上篠:

同じことを言ってしまうんですけど、ぱっと見た時に好きってなる文体というか、バランスというかがあって、例えば、連作1首目の、

夕風が欅若葉をそそのかす港のやうにざわめきの街
 「港」魚村晋太郎

であったりとか、連作2首目の、

シャッターの下りた花屋に眠る花そのつめたさの地下街をゆく
 「港」魚村晋太郎

とか、なんかここら辺の、なんかぐにょっとした手触りというか、これ、すごい感覚の話になってしまうんですけど、なんかやっぱ好きだな。


千種:

抽象化がめちゃくちゃうまいっすよね、魚村さん。いや、冷たい地下街じゃないんだ、冷たさの地下街なんだ、とかね、そう、ざわめいた街じゃなくて、ざわめきの街なんだっていう。


上篠:

魚村さんの『銀耳』が復刻した時に、僕たち文章を書いたじゃないですか。書かせていただいたんですけど、そこで僕、テクスチャーみたいなこと書いたんです。手触りというか、質感みたいなものを付与することが、魚村さんの歌ってすごくうまいって言うと上から目線になるんですけど、良くて、それはこの連作に関しても思ったなっていうところですね。

【千種2首目】

眠りいる目鼻を指でたどりゆく夜更け、城跡、靴を燃やして
 「ハイウェイ」小島なお

千種:

端的に言って、めっちゃかっこいいなと思って選びました。うん。で、多分、この歌だけを読むと、ちょっと、主体は何人出てくるんだとか、誰の「目鼻」なんだとかあると思うんですけど、「ハイウェイ」っていう詞書き的な連作タイトルがついてることで、多分、自分の横で寝ている人の、夜行バスなのかドライブ中なのかわかんないですけど、その誰かの目鼻のことを言ってるんだろうなって思って、


上篠:

なるほど。


千種:

で、だから、この歌を散文化すると、「眠っている目と鼻とを指でたどりたどっていってる夜更けに城跡が見えて、城跡に着いて、城跡の中で靴を燃やした」ってやつなんですが、なんか、どんどん、なんていうな、ファンタジーみたいになってくのが好きで。「眠っている人の目鼻を指でたどっていく」っていうのは、割と実景で読めるじゃないですか。恋人だったり、現実的にも割とやる。で、その次の「夜更け」ってのもわかると。でも、急に「城跡」が出てくる。飛ぶじゃないですか。あれ。今、なんか眠れる環境、つまり車内なのかバスの中なのかベッドなのかわかんないけど。眠れる環境にいたはずなのに、急に城跡に飛ぶんだ。って城跡で1回飛んで、で、そっからさらにそこで靴燃やすって行為に飛ぶ。


上篠:

はいはいはい。


千種:

この段階、何段階が飛んでく。「夜更け」の後と「城跡」の後で2段階かな。うん、だんだんこう、飛躍してくっていうのがすごくスピード感があって、好きでした。


上篠:

なるほど。


千種:

で、語彙同士のイメージの連関もよくて、直接は言ってないと思うんですけど、「目鼻」ってでこぼこしてるじゃないですか。一方で、「城」って、万里の長城とか、城跡の塀とか思い浮かべていただくとわかると思うんですけど、その、あれもなんか地面からボコってしてるものじゃないですか。石垣がボコってしてたりとか、塀がボコってしてたりして、そこが「目鼻」とのなんとなくの連関ある。で、この「城跡」から靴が燃えるっていう点も、「お城が燃える」ってよくあるじゃないですか。落城時だったり、空襲を受けて燃えたりとか。故郷の名古屋城とかも燃えたんですけど、そんなこと考えると、なんとなく城と燃えるっていう、こう。だから、その語彙の組み合わせとか、歌の中のイメージの文学的な飛躍の組み合わせとかってのがめちゃくちゃうまいし、かっこよくて、この歌取りました。


上篠:

なるほど確かに、「城」と「燃える」は戦とか合戦のイメージで繋がってるところもありますね。なんか僕、この歌、結構難しいなっていう気がして。何が難しかったかっていうと、読点が難しかったんです。「夜更け、城跡、靴」っていう、この3つをどういう関係性で読んだらいいのかなっていうのが、ちょっと一瞬わからない。つまり、「燃やして」っていうのはどこまでかかるのかっていう点なんですけど、夜更けと城跡と靴を燃やしてたのか、夜更けに城跡で靴を燃やしてたのかとか、助詞が省略されてるのでぶれてくる。


千種:

なるほどね。AndなのかThenなのか、つまり同じ時点での並列なのか、時の流れがあるのか、それとも…。って、確かに確定はできないですね。


上篠:

そうなんですよ。だからそこがちょっと、どこまでこの歌を読んでいいのかっていうとっかかりが、個人的にはなくて。


千種:

うんうんうんうん。


上篠:

夜更けと城跡だけだったら、つまりは時間と場所なのでわかりやすいんですけど、「靴を燃やして」ていうのをどう取ろうかなって。とどめ置きたい、っていうことなのかな、と、とりあえずは思ったんですけど。情景というか、「眠っているあなたと」ととりあえず言っときますけど、あなたの目鼻を指でたどりゆく、その肌感みたいなのも、「とどめ置きたい」に入る。靴っていうのは、要するにどこかに行くための道具だと思ったんですね。そういう、どこかに行くための道具を燃やすことによって、もうどこにも行かなくていい、今ここでいい、みたいな、ことなのかなと。


千種:

なるほど、なんか閉じ込めようってする感覚はある気がしますね。


上篠:

ただ、この「城跡」が意外と難しいなっていう、燃やせなくはないので。結構何通りかになんか読める気がして。この下の句というか、下の部分って。


千種:

全部じゃないけど、夜更けも名詞、城跡も名詞。靴を燃やしてっていうのも、 なんて言うんだろうな、順接というか。燃やして、その後なんとかしましたの「て」なのか、「燃やしてください」って意味での燃やしてなのか、ちょっとそこも、、読みながら迷ったところではあるんですよね。なんか、お願いしてるようにも見えなくもない。


上篠:

だから、この読点によって助詞を省略することの、歌全体にかかるバイアスというか、力が大きすぎるような気もして。もちろん省略することによって、イメージ同士が連なるっていうのもあるんですけど。どう読むかっていうところの、なんか足がかりがつかなかったなって思う。文体は好きなんですけど、すごく。


千種:

読みは確かに確定はかなりしにくいですよね。確定というか、狭めることすら難しいですよね。僕、お城好きなんですよ。 うん。城マニアなんですけど、城跡とかも結構行くんですけど。 城跡って言っても色々あって、名古屋城とかって、有料の公園みたいになってるので、夜は普通入りにくい、入れないんですよね。でも、規模のちっちゃい城の跡とかだと、多分夜でも入れるんですよ、神社みたいになってたりとか、そういう、なんていうんだろう、規模の小ささとか、ちょっと木がほったらかされて鬱屈としてる感じとかで僕は読めて、それが、なんかこう、証拠を隠滅しようとするとか、どうか、ここ、その、今横にいるあなた、彼、彼女をここにとどめておきたいっていうところに繋がって。ちょっとdefensiveな感情を読み取れて僕は好きでしたね。でも確かに、この読点の役割がわからんっていうのは、それも確かに分かるって感じです。


上篠:

そうですね。読点の果たす役割が大きすぎるような気がちょっとしました。


千種:

読点で言うとあれですよね。話変わりますけど、榊原絋さんが書いた短歌入門『推し短歌入門』の中で、読点について結構しっかり書かれてて、ええやんって思ってました。


上篠:

まだ読めてない。読まなきゃだな。


千種:

なるほどねって思いました。色々なんかこう、こういう機能がある、こういう機能がある、こういう機能があるって、結構網羅されてて。


上篠:

なるほどなるほど。


千種:

これまで読点について書いてある短歌入門書もあったかもしれないんですけど、榊原さんのはかなり踏み込んで、現代令和の読点の使い方をまとめてるなって思ったんです。はい。ぜひ立ち読み、いや立ち読みと言わずね、買ってぜひ読んでください。


【上篠3首目】

カノープス見ることももう諦めて如月は過ぐまたたける間に
 「ナチュレモルト」大辻隆弘

千種:

いい。。。


上篠:

大辻さんの歌はいいですよね、やっぱり。歌の、単に辞書的なというか、意味の話を最初にすると、カノープスっていうのは全天で2番目に明るい星なんですよね。1番明るいのは、シリウスっていう星なんですけど、そっちは冬に空を見たら1発でわかるんです。明確に1番明るいんで。でも、カノープスっていうのは、2番目に明るいんだけど空高くまで上がらない星なので、日本では見つけることがそもそも難しい星であるっていうのが、前提としてあって。で、2月っていうのは、カノープスを見つけられる可能性が高い月なんです。他の月よりも高くまで上がるので。この歌は、日本では見ることが難しい星を見ようっていう気持ちがあるんだけど、それでも、それも諦めてしまって2月は、あっという間に過ぎ去ってしまうっていう。別に、カノープスがどうとか、2月はどうとかっていうことをわからなくても、星を見ることもできずに季節が過ぎてったみたいな、徒労感というか、諦観っていうのは歌の全体から伝わるかなっていう気がして。特にどこが好きだったかっていうと、下の句の力の抜け方というのか、「瞬ける間に如月は過ぐ」じゃなくて、「如月は過ぐ瞬ける間に」っていう、この入れ替えがかなりいいなって思うんですよね。


千種:

ほうほう、なるほど、詳しく詳しく。


上篠:

過ぐっていう実感がまず来て、それは瞬ける間だったっていう、なんていうのかな。


千種:

言ったあとで、補足してる感じ。


上篠:

日本語の文法とは違う、実感ベースの語順。カノープスっていうのもよくて、カノープス「を」とか助詞も入れられるわけで、でもしていない。一応、日本の言い方だと、布良星(めらぼし)みたいな言い方もあるし、そうした場合「布良星を」とかも言えるんですけど、カノープスって助詞なしでほとんど句切れみたいに放り込むことによって、それ自体で突き放されて。


千種:

主題の提示みたいになりますよね、助詞抜きの初句は。


上篠:

そうですね。で、ちょっとロマン主義的になるんですよね、カノープスって片仮名語にすることによって。カノープス見ようと思ったら、明るいビル群みたいなとこでは見れなくて、ちょっと遠出して山登るとか光のないとこに行かなきゃいけないんだけど、そういうことをしてる暇もなく2月が過ぎてっちゃう徒労感。諦めて、とは言っているんだけど、諦めきれてない気持ちもありつつみたいな、それがこの語順にも現れている気がして。


千種:

はいはいはい。


上篠:

普通の語順で、瞬ける間に如月は過ぐ、と言われると、受け入れちゃってる感じがあるんですけど、文法ベースではなくて、実感ベースの語順になっているっていうところがいいかな。そこが嘆息にもなっている気がするし、っていうことですね。


千種:

あんまりなんかこう、解釈の揺れとか出ない歌ですよね。今まで議論に上がってきた歌に比べるとですけど。


上篠:

すごくわかりやすいし、こういうこと思う人もたくさんいると思うし、最近よく売れてる本であるという噂の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』、 あれって多分こういうことだと、この歌みたいなことだと思うんですけど。あんまりいい言葉ではないと言われてますけど、共感はすごくあると思うんですよね。


千種:

レトリックとかの面で言うと、めちゃくちゃ着実、堅実な歌ですよね。


上篠:

堅実ですね。


千種:

堅実であるが故にあんまり読みにブレが出ないっていう。


上篠:

当たり前みたいなことを言ってるのに、なんでこんないいんだろうっていうところに、技術がある気がします。


千種:

なんだろうな、例えば奥村晃作さんのただごと歌とかって、簡単に見えて、あれめっちゃ作り込まれているっていうか、なんて言うんだろうな、尋常なものの見方をしてるわけじゃないっていうか、尋常な捉え方をしてるわけじゃないっていう感じするじゃないですか。けど、この大辻さんのこの歌とか、あと最近僕が読み返してる吉野裕之さんとかなんかこう、普通のこと言ってるはずなのに、なんかめっちゃ色気ある、みたいなのってすごいですよね。


上篠:

そうなんですよね。


千種:

2月っていいですよねって話していいですか。や、そんなに長い話じゃないんですけど。こう、2月。キサラギとか。2月って、なんか、なんだろう、時間の隙間に入ってる感じなのに、なんかすごく存在感あるっていう。例えば、10月とか、6月。6月。うん。10月とか9月とかも、ちょっと似た立ち位置にある気がするんですけど、2月って存在感あるんですよね。


上篠:

そうですね。如月って、ちょっとパワーワードすぎるんですけど。


千種:

名前が綺麗すぎる。うん。


上篠:

西行のせいなんだと思うんですけど、この歌は、うまい当てはめ方な気がするんですよね。


千種:

それはなんか、過ぐっていう文語文体もある気がしますけどね。


上篠:

そうですね、口語で「如月過ぎる」とか言っちゃうと、やっぱ違うな。


千種:

そうそう、「カノープス見ることももう諦めて如月過ぎる瞬いた間に」とか言うと、うん、あ、ぶってんなってなるんですよね。うん。


上篠:

どこに助詞を入れるか、とか、省略するか、みたいな。ばっちりはまってる歌だ。


千種:

2月な歌で好きな歌を紹介すると、僕がいつも思い出すのは

その日からきみみあたらぬ仏文の 二月の花といえヒヤシンス
 『夕暮』福島泰樹

って歌なんですけど、これもかっけええな思って。いつも2月って聞くたびに頭にこの歌が浮かびますね。


上篠:

いいですね。とても。


千種:

そう、その日から君が見当たらなくなった。「仏文の」で1回切れて、そのヒヤシンスのことを2月の花と呼べっていうことなんです。っていうだけなんですけども、語の組み合わせとか、なんか ヒヤシンスの、こう、水に浮かんで冷たい感じとかがバチっと決まってて、いいなって思う歌です。


上篠:

いや、いいですね。


千種:

福島さんの歌がいいっていうのもそうなんですけど、2月いいですよねっていうトークをしたかったっていう2月の話でした。


【千種3首目】

膨れたる死魚のめぐりに虹の色はつか滲みて漁港に浮かぶ
 「恐竜出没」志垣澄幸

千種:

これもさっきのその大辻さんの歌と同じく実景だと思うんですが、なんかめちゃうまのデッサンを見せられたみたいな良さがあって。


上篠:

スケッチですよね。


千種:

そう、だけど、そのスケッチの仕方が、なんて言うんだろうな、もう職人ですよね、これもさっき言ったみたいに、生年月日とか所属とか名前隠した状態で読んだんですけど、くそ、うまいなこれと思って、もう絶対この5首に入れようと思って取った歌でしたね。散文化すると、「膨れている死んだ魚の周りに虹の色がちょっとにんでてそれが漁港に浮かんでる」なんですけど、まず、なんて言うんだろう、認識がだんだん大きくなっていくじゃないですか。うん、膨れてる死んだ魚がいるんだ、その周りに虹の色があるんだ、うん、で、にじんでるなってなって、漁港に浮かぶっていって、こう、漁港とかカメラがどんどん引きになってく。


上篠:

はい、ズームアウトして。


千種:

そう。ズームアウトしていくっていうのは、もちろん特殊な技法じゃなくて、よくある技法というか、こう、オーソドックスな、定石的な技法ではあるんですけど、やはり教科書的なうまさがあるし、あと、 虹って基本的に希望が溢れてるものじゃないですか。 けど、虹、確かにその死んだ魚、周りにこう、油なのか、そのに、魚から出てる、なんか悪いものかわかんないけど、なんかこう、ふわっと広がると、そこにこう、虹の色が水面に出てるっていう、なんかちょっとこう、吉兆ではないですよね。


上篠:

そうですね。


千種:

悪いものとか死とかのイメージがそこに新たに付与されるっていう驚きもあって。で、それが歌の核になってる。うん、だから、そのカメラワークも教科書的にうまいし、その景を使って新たな驚きの核を読者に渡すっていううまさもある。こう、安定した良さがあって、安心して読めたっていうのと、なんて言うんだろうな、結句の3/4/4/3っていう、なんて言うんだろう、ちょっと民謡っぽいリズムの良さも。普通、今の、今のっていうか、あんま若手って使いたくないんですけど、だったらもっと死んだ魚に言及する時には、韻律もっといじると思うんですよね。もっと気持ち悪い韻律にする気がするんですよ、でも、この歌の場合は、はつか滲みて漁港に浮かぶっていう、民謡とか祭り囃子みたいな、うん、良さがあって、それが本来暗いことを歌ってるのに、なんか歌に明るさを付与しています。


千種:

気持ち悪さって言ったらあれだけど、なんかちょっと神話的なイメージが出てきてるのが面白いなって思って撮りました。


上篠:

なるほど。確かな背骨を感じるというか。死魚のめぐりとは言わないですからね、これはなかなか言えないな。


千種:

で、ここで生年月日見てみると、1934年生まれなんです、すごくないっすか。


上篠:

すごいですね、1934年。


千種:

90歳でこのうまさの歌を作り続けてるのってすごいなと思って。


上篠:

ズームアウトしてくのいいですよね。今言われて完全に気づいたんですけど。 大きなものから小さいものに焦点化していくっていうのもあるじゃないですか、ひとつの手法として。


千種:

うんうん。で、それの方が多分オーソドックスですよね。


上篠:

それはいくつか例が思い浮かんで、与謝野晶子の歌とか佐佐木幸綱の歌とかでもいくつかあるんですけど、逆は案外浮かばない。全体的にオーソドックスなんだけど、それを堅実にやってる人の強さみたいなのはすごい感じる。


千種:

そうそう、そうそう、そうなんですよ。


上篠:

死と虹ってことを考える時に、やっぱ半円の虹っていうのは思い浮かぶ気がするんですよ。


千種:

はいはいはい、地面から生えてる虹ね。


上篠:

その向こうを渡っていくみたいな。男性ブランコのコントにもあったな。でも、この虹はその虹じゃないじゃないですか。つまり、橋としての虹ではなくて、観察された実景の、油の滲みっていう。実景をしっかり見つめていくと、幻想の要素に開かれていくみたいな。幻想ベースではないじゃないですか、この歌は。


千種:

うん。


上篠:

実景ベースなんだけど、それを突き詰めていくと、幻想的な方向に開かれていくみたいな、「恐竜出没」っていう連作タイトルもちょっと面白いし。


千種:

なんかこう、良さを突きつけてきますよね。ほら、いいでしょっていう。和歌っぽいですよね。なんて言うんだろ、自分がいないですもんね、あんまり。うん、その、死んだ魚が浮かんでて、私がどう思ったとかじゃなくて、ただ浮かんでて、そこに虹の輪っかができてて、で、それが漁港に浮かんでますってだけですもんね。カメラとしての私はいるんでしょうけど、あんまり私が全面出てるわけじゃないそうですし、なんかここに自分の心情を投影してるとかそういうわけでもなさそうだし。いやしてるのかもしんないけど、そういう痕跡はない。志垣さんはあれですね、僕、砂子屋書房現代短歌文庫で『志垣澄幸歌集』っていうのが出てて、それで読んだ気がしますね。神保町で300円とかで大学生の時に読んだ気がしますね。鮮明に覚えてる歌があるわけじゃないんですけど、なんか好きだなこの人って思った覚えがある。お、今ウィキペディア見てるんですけど、志垣さん台湾生まれっすよ。すげえな。敗戦後に引き上げて日本に来て、宮崎県に住んでるらしいです。


【七夕と中央アジア】

上篠:

あ、ちょっと3分ほど一旦休憩を挟んでもいいですか。


千種:

了解です。閉じずにこのままいればいいですか。じゃあ僕は適当に場所を繋いでおきます。


上篠:

皆さんもね、トイレ休憩なりお酒飲むなりしてください。


千種:

はい、してください。では、かみしのさん、のちほど。…さて。はい。「やっと2人きりになりましたね」みたいな状況なんですけど、あれですよね、こう、かみしのさんと、かみしのさんが連れてきた友達と、僕、の3人とかで飲んでてみたいな状況で、で、かみしのさんがちょっとトイレ行ってくるとか1本吸ってくるわって言ってシュッていなくなって、こう、かみしのさんの友達と僕が「あらためて初めまして」みたいな状況で座ってるみたいな、何喋りゃええねんっていう状況みたいな感じですけど、今回のですね、趣旨みたいなものをもう1回、途中から来た人もいるのでおさらいしとくと、(…中略…)というわけで今日のスペースに繋がってる次第です。別に七夕にかこつけたわけじゃないんですけど、今夜たまたま七夕だったっていうだけで。七夕って、この前アフガニスタンの人として話してて聞いたんですけど、七夕は中央アジアにもあるらしいです。中央アジアは中国文化圏とは別なので、中国からというわけでもなさそうですし。(物音がして)お、かみしのさん、復帰しましたか。


上篠:

鬼殺しを持って帰ってきたんですけど。


千種:

最高ですね。


上篠:

でもなんかすごい、贅沢ですよね。1500首から抽出して10分、15分かけて読むっていうのは。


千種:

いや、贅沢は必要。贅沢が必要。


上篠:

こういう遅読というのがすごい大事な気がしますけどね、流し読みしてしまうのではなく。


千種:

うん、作者へのリスペクトにも繋がる気がしますからね。いや、こっち、書く側はめっちゃ考えて考えたり、めっちゃ苦しんだりして作ってるじゃないですか。けど、それを なんかこう、3分とかで呼ばれるの、うひゃーっていつも思うんで。料理とかもそうですけど、めっちゃ手間かけて作って、 こう、10分とかで食べられちゃうみたいな。


上篠:

うんうん。


千種:

だからこうやってゆっくり読まれるとね、作り手としては、たぶん一般論ですけど、嬉しいですよね。


上篠:

作ってる側の感情としてもそうだし、読んでる側もそのテキストを持ってる可能性を極限まで取り出そうと試みれるのってこっちの喜びっていうか、面白さでもあるので。本当はなんかもっとこういうのをしていった方がいいと思うんですね。特に短歌って。


千種:

確かにね、短歌は相当濃縮されたテキストなわけですからね。さて、では、後半戦にじゃあ行きましょうしか。

【上篠4首目】

喉にいつもお粥のような白い声 立ちどまったら泣いてしまうよ
 「梅と風刺画」大森静佳

上篠:

やっぱまあ、比喩がめちゃめちゃ上手いって、やっぱ大森さんの歌には思うんですけど、悔しいですよね。雨宮雅子っていう歌人がいるんですけど、

くるしみは共有できず白粥のひかりを炊けどひかりを置けど
 『昼顔の譜』雨宮雅子

っていう歌があって。なんか、それとの響きを感じる。現代短歌文庫の『雨宮雅子歌集』にも収録されていると思います。で、雨宮雅子は、キリスト教徒なんですけど、ここでの「白粥」っていうのは、どっちかっていうと、仏教のスジャータの逸話があると思うんですけど、そちらを想起させる。極限まで追い込まれてた仏陀におかゆを渡した女性が、スジャータって人なんですけど。おかゆって、病人とか、弱ってる人、嚥下ができない人に対してあげる食べ物っていうところで、柔らかさであったりとか、優しさであったりとか、嫋やかささであったりとか、そういうものをイメージさせると思うんですね。そこに「白」っていうのを重ねることによって、より圧倒的なものにする。ここでの白い声っていうのは、何かをこう、言い淀んでるっていうことなのかなって思ったんですよね。何か他者に対して言いたいことがあるんだけど、しっかり強固な形にならないものが、いつも喉に突っかかっているみたいな、なんかそういう、ことの比喩なのかなって思って。下の句の立ちどまったら泣いてしまうよ、っていうことで、5、7、5では、言い淀んでいるんだけど、下の句では発話できてる。でも、他者に対する言葉ではなくて、あくまで自分の内側に向けられてる声みたい。発話の形なんだけど、実は自分の中に結局飲み込んでんだみたいな。 その感覚がすごい良かった。


千種:

「いつも」っていうのがいいです。奥歯に物が挟まったような言い方とか言うじゃないですか。それって、いつもじゃなくて、その時の状態じゃないですか。

でもこの歌みたいに、いつも白い声って言われると、なんかこう、時間が引き延ばされて、 今、この前、この一瞬だけじゃなくて、人生というか、結構長い時間なんかも、もごもごってしてる思いがあるんだっていう風に引き延ばされる。うん。おかゆのよう「に」白い声じゃなくて、おかゆのよう「な」白い声っていうことで、その声に形状、色だけじゃなくて、形状とか質感がすごくこもるじゃない。そうですかね。それもうまいですよね。いや、ほんま妬きますわ、これは。


上篠:

動き続けてなきゃいけない。ジジェクっていう哲学者がいて、インタビューとかの動画に字幕をつけてyoutubeに上げてる人がいるんですけど、その動画のひとつに、「僕はとにかく喋り続けてなきゃいけない。黙ってしまったら、俺の言ってることが全部クソだって君たちにバレるから」みたいなことを言ってる動画があって、だからなんかそれを思い出したんです。立ち止まったら泣いてしまうから、立ち止まらないために、とにかく行動をしてなきゃいけない。活動みたいなことをしていないとダメになってしまうみたいな。本当はお粥を差し出されるような身体なんだけど。


千種:

確かに、確かに。あ、結句の「よ」の使い方もいいですよね。この「よ」って大森さんの独占市場みたいなところあるじゃないですか。や、それは言い過ぎですけど、結構難しくて。絶対に文字合わせの「よ」じゃないじゃないですか、これって。


上篠:

そうですね。


千種:

なんか必然性がある「よ」。結構それって難しいんですよ。


上篠:

なんだろうな。歌集『カミーユ』にしろ、 内側へ内側へどんどん声が反響してくような感覚があって。内なる炎というか、形式上発話してるんだけど、それは自分自身への独り言で。形式によって打ち破れない認知の強さというか、それをなんとかするためには、とにかくなんか活動してなきゃやっていけない。でんぱ組の「僕仕事しなきゃダメです」っていう最上もがの声みたいな。


千種:

でんぱ組はいい。大変いい。


上篠:

そうなんですよ。


千種:

なんかこう、僕はでんぱ組、昔かなり元気なかった時に聞いてましたね。思い出深い。


上篠:

僕はもう明確に千種さんと葉ね文庫で初めて会った時、でんぱ組の話をしたの覚えてる。


千種:

ゴールデン街じゃなくて葉ね文庫で初めましてでしたっけ。


上篠:

そうなんですよ。ちょっとあの時、僕おかしかったんで、なんか急にでんぱ組の話をしてたんですけど。


千種:

いやいや、全然正常ですよ。ド正常。


上篠:

名前を隠して選んだんだけど、やっぱり引き当ててしまうな。好きな歌人を。技術、それから内容っていうのが噛み合ってていいなって思う。


千種:

噛み合ってる感は確かに大森さんあるわな。


上篠:

なんか無理やりじゃないんですよね、全部。


千種:

うんうん。技術で作ってる感じじゃないんですよね。なんかあんま職人的じゃないというか。ちゃんとこう、歌の中に要請があって作ってる感が、ほんとかどうかわかんないですけど、少なくとも要請がある感じはします。


上篠:

感情があるんですよね、感情。


千種:

いや、大森さんとはあれですよね、同時代でよかったなって思いますよね。うん。


上篠:

やっぱ新作を読める。


千種:

そう新作が読めるって、それ、尊いです。


上篠:

尊いですね。


【千種4首目】

昨日のことをあなたは遠く執拗に、捻れたような仏堂の花
 「最近の五首」堂園昌彦

千種:

これも欠落してる文体で、無理に散文化すれば、「昨日のことをあなたは遠く必要に言い立てる。その時に見えていた、もしくはそれと似ているねじれたような仏堂の花」って感じですか。仏堂って多分こう、お寺のことですよね。短歌としては割とオーソドックスな造り。ただ、初句の後に句読点があって、こう、普通だったら上の句と下の句の間に一字空けがあるところが、この歌は句読点でもうちょっと近い距離で連結されてる。から、なんて言うんだろうな。あなたがねじれたように、あなたがなんかねじったように感じる近さが上の句と下の句にあるのが良かった。それと、ちょっと批判めいてるところがある。私からあなたに対するネガティブな感情がある気がするんですよね。「執拗に」って普通ネガティブなこと言うじゃないですか。そうですね。執拗に刺したとか、執拗に責め立てるとか。それがなんて言うんだろうな、こう、お寺のホールにある花がねじれてるっていうこととうまくリンクしてて、それが好きだった。


上篠:

この読点が抜群の読点だっていう気がするんですよね。


千種:

一字空けだったら多分取らないと思うんですよね。この読点がなかったら、それはそれで取らない気がするんですよ。僕は堂園さんの歌好きですが、堂園さんだからこの歌好きみたいな鑑賞は悪だと思うので。この読点はもう本当、抜群の読点ですよね。


上篠:

あと、「遠く執拗に」っていう形容詞見たことないなっていう。


千種:

ないないない。そう、ここも相当捻じれてるんですよ。「遠く」で1回、なんていうか、「執拗に」の前にフェイントかけてるんですよね。


上篠:

構造として、遠くと執拗っていうのは意味の範囲が逆じゃないですか。執拗にってのは、食らいつくようにしつこくっていうことだし。でも、遠くっていうのは、遠く離れて距離がある。なんて言うんでしたっけ、こういうの、暗い光みたいな、こういうレトリック。


千種:

ああ、ありますね、なんて言うんだろうね、その反対のものをこうぶつけることによってできるエネルギーを利用するみたいな話ですよね。


上篠:

それに近いと思うんですけど。この形容詞の連ね方の発明みたいなのが一個あって、で、その感覚、遠く執拗にっていうのはどういうことだろうって一瞬思ったすぐ後に、ねじれるっていう言葉が出てきて、確かにそれはねじれてんですよね。アンビバレンスなもの。やっぱ全体がいいんだよな、なんか。


千種:

いや、僕も事前に堂園さんのこの歌選んでて、かみしのさんから5首出てきた時にかみしのさんも堂園さん選んどるやん思って、堂園さん外そうかと思ったんですけど、これは外せんわと思って残しました。


上篠:

本当に300人いる中で、同じ人が被るっていうのなかなか。


千種:

いや、結構すごいことだと思いますよ。堂園さんの歌、もっとこう、人口に膾炙していいと思うんですけどね。散文的には意味が取りにくいからな。バズる感じじゃないんですよね。


上篠:

バズという感じではないですね。


千種:

そう、だから別の人のバズ短歌によって短歌を知った人が、歌集を読んでいって、3冊目で読むぐらいでめっちゃ良さに気づくみたいな感じじゃないですか、堂園さんは。初心者にとって1冊目とか2冊目で堂園さんって若干ハードル高い気がするんだよな。大衆性か芸術性かっていうよくある二項対立で言ったら割と芸術寄りじゃないですか。


上篠:

そうだと思いますね。


千種:

みんな堂園さんを読んでほしいっていつも思ってました。


上篠:

読んでほしい。本当に読んでほしいと。


千種:

あと早く2冊目の歌集出してほしいですね。


上篠:

そうですね。僕、堂園さんの、第1歌集、と便宜上読んでおきますけど、あれを新宿の安い飲み屋で読んでたんです。


千種:

最高のやつだ。うん。


上篠:

そうしたら、この歌が出てきて。

居酒屋に若者たちは美しく喋るうつむく煙草に触れる
『やがて秋茄子へと到る』堂園昌彦

なんか感情の速度が上がりすぎて、本当にすごい。比喩のうまさとか語順とか色々ある中で、言葉同士のギリギリの何かを探っている感じが常にするという。


千種:

うん、比喩のうまさとかじゃないですよ、認識のうまさとかで読み手の世界認識を更新してくる歌の、そのなんか発見とかを確認した歌の、その快感みたいなものじゃないですもんね、堂園さんの歌は。かといって二物衝突でもないじゃないですか。


上篠:

そうですね。


千種:

二物じゃなくて、なんか五物ぐらい、なんかいろんなもの投げてくるみたいな、一首の一瞬の中で。


上篠:

いけるんだみたいな、なんか。


参加者 3

そうそう、そう、そうそうそう。


千種:

歌って、そのいらない情報をいかに落とすかみたいな、31音、短いですからね、皆さん、こう、いらない情報は除きましょう、何が大切か考えてくださいみたいなのがよくある指導じゃないですか。でも堂園さんって、なんかここまでこ詰め込めるんだみたいな。その情報が詰まってるわけじゃなくて、なんてんすかね、情報なのかな。でもその情報っていうのは、5w1hのいつどこで誰が何をしたとかの情報ではなくて、もうちょっと次元が上のというか、抽象的な情報ていうのが一首に詰まってんですよね。堂園繋がりで、次行きますか。


【上篠5首目】

薔薇の小道 いまからこれが終わるのが楽しみで仕方ない 夜の道
 「最近の五首」堂園昌彦

上篠:

良すぎるな。。。薔薇の小道っていう初句、「小」っていう言葉を入れてんのがめちゃめちゃ良いというか、六音で薔薇の小道だから、「薔薇の道」にすると定型になるんだけど、「小」って音がすごい重要だなっていう気がして。この「小」があることで、散歩の質感が出てくる気がするんですよね。薔薇の道だと対照的すぎるというか。だけど、小道ってすることによって、実際にあるっていう気がする。どういうことなんだろうなって思うんですけど、自分にとって安らぐものって何かっていうと、動かないものなのかなっていう風に思うんですよね。薔薇の小道が、今、目の前にあるんだけど、それは終わって、薔薇の小道があったなって認識になった時に、すごく美しいものに見えるみたいな。


千種:

うん。めちゃわかります。


上篠:

アドベンチャーみたいなものに心がドキドキするんじゃなくて、それが終わってもう動かない過去の風景になった時に、初めてそれは良かったな、と思える。


千種:

なんか僕、結構怖い歌かなと思って。こう、楽しんでるはずなのに、終わるのが楽しみで仕方ないって。なんてんだ、サイコパスではないんだけど、ちょっと狂気が入ってる気がするんですよね。あ、韻律については完全に同意です。どう読めばいいんだろうな。そう、堂園さんの歌って解説しにくいんですよね。それが良さでもあるんですけど。


上篠:

薔薇って強すぎるので、花の中だと。一歩間違えると、いや、別に間違えてもいいんだけど、三島由紀夫とか澁澤龍彦の世界観になってくる花だと思うんです。この「小」が1文字入ってるだけで、ちゃんと風景になる。


千種:

そうですね。


上篠:

過去になった物事の方にどうしても楽しみを覚えてしまうという心の病理。


千種:

これも過去になるであろうと思いながら、今現在の出来事を見てるってことですよね。


上篠:

そうですね。だから時制がすごい。


千種:

時制をねじる。うん。


上篠:

薔薇の小道に入る。まだ小道に入ってないと思うんですけど、この歌の人はもうその時点から終わっている時点に自分が立っていると想起して、と思ってるみたいなの。すごいねじれてる感じ。


千種:

うんうんうんうん


上篠:

なんでそれが楽しみかって言うと、もう触れないというか、自分がこれからそれをどう思うかみたいなのがもう終わっているので、薔薇を今から見て美しいかもしれないし、変な虫食いがあって汚いと思うかもしれないし、みたいな、そういうこれから起こる何かっていうのがもう全部終わってて、手の届かない何かになるっていうことでしか、楽しみと思えない。


千種:

あと、その関連で言うと、この人、物事が終わった後を多分知ってますよね、何回か。散歩が終わることを経験してる感じがしますね。


上篠:

そうですね。


千種:

その終わった時の、なんか寂しさとか、もしくは楽しさっていっていいのかわかんないけど、知ってるから楽しみで仕方ないっていう、なんかちょっと余裕めいたセリフが言えるわけであって。そうですね、そこにこう、主人公の、なんだろうな、経験の厚さとか感じるのがいいのかな。この薔薇の小道と夜の道って同じだと思いましたか。僕はほぼ同じだと思いましたけど、


上篠:

薔薇の小道っていうのが、この夜の道だっていうことかどうかって質問ですよね。同じ、同じだけど、包含関係にあるというか、「夜の道」っていう大きな円の中にある「薔薇の小道」。全くイコールではないかな。


千種:

数学の「集合」みたいなやつね。


上篠:

そうですね、こういう道がいくつもあったっていう。


千種:

はいはい。薔薇の小道もあるし、小川の小道もあるし、土手の小道もあるし、みたいな中の薔薇の小道。


上篠:

そういう固有の名詞の夜を、例えば薔薇っていうのを夜っていう抽象名詞に私は置き換えてきたし、これからも置き換えていくんだろうっていう。実際は、薔薇であったりとか、藤なのか知らないけど、いろんな固有名詞があるんだけど、それは、過去に送られることによって、夜のような漠然としたものに飲み込まれてしまうっていうことを、私はそういうことしかできない人間なんだっていうことを認知していて、これからも先、繰り返していくみたいな。


千種:

そう、超然としてますよね、なんというか、余裕があるというか。


【千種5首目】

あなたとの歩みの中に写真機を出さざれば消えゆく木瓜の花
 「寒春都市」廣野翔一

韻律悪いな。いきなりディスから始めるっていう。いや、僕もビールね、1リットル以上飲んでるので、だんだん呂律が正常とは言い張れなくなってきてるんですけど、あいうえおって、日本人あんまり意識してないですけど、少し器用な音なんです。英語話者にじゃあ、あいうえお言ってと言うと、音が繋がって、ぁぃぅぇぉってなるんですよ。でも、日本人ってあ・い・う・え・お、って言えるじゃないですか。これ、1回喉を閉じてるんですよ、だから、あ・い・う・え・おって言えるんですね。で、それってほとんどの言語で文字に書けないやや特殊な子音、声門閉鎖音っていう子音があるんですけど、それを初句と第二句で使ってて、韻律酷使するやんっていう感じはありつつ、大丈夫です、ディスから始めましたけど、ちゃんと着地させますので。 散文的な意味としては、あなたと道を歩んでいる途中で私は写真機を出さなかった。出さなかったので、そのまま木瓜の花が消えていってしまう」て意味の歌だと思います。良かったポイントとしては、木瓜の花っていうのが良くて、木瓜ってそういう花なんですけど、ちょっとこう、ぼけ、つまり認知症になんかちょっと通じるところがあって、その忘却の響きがあるんですよね。木瓜の花って言った時に。で写真機を出さなかった。その写真機なのかスマホなのか知らないですけど、とりあえず記録に残さなかった ので、消えていってしまう木瓜の花がありましたって言ってるんですけど、これ、それを歌にしてこうやって残してるわけじゃないですか。本当か事実かどうかは別としてなんですけど、ここを歌にしてることで残るわけですよ。 で、これ、電子書籍にもなってるし、この短歌研究って1000部ぐらい出してるんですかね。1000部だとだとして、日本全土には1000冊この歌があるわけですよ。多分残るんですよ。はい。インターネット上なのか、もしくはどっかの地方の図書館なのかわかんないですけど。この歌の、残らなかったものを残そうとする、その健気さが、良かった。あと、写真機って言い方とかね。


上篠:

写真機って、結構珍しいですよね。あんまり言わないですよね。


千種:

僕、結構ですね、普通の会話でも写真機とか映写機とかって言っちゃうんですよね。僕にとっては、そんなに抵抗のある言葉じゃないんですけど、でも、一般的に古い響きがするってことは理解してます。その、最初のあなたとの歩みの中っていういい韻律上の言いにくさっていうのもあって、なんだろうな、忘却への抵抗みたいにも読める。


上篠:

「写真機を出さざれば」みたいな過程は、そんなこと考えなくてもいいじゃないですか。でも、反実仮想というか、そういうことを感じてしまうっていう認知。最初の井上さんの話に戻ると、現実に対する逆接みたいな感覚がないと、創作ってできないと思う。それが、あなたとの歩みっていうものに完璧には入り込めないっていう、その、どこか冷めた目線があるみたいな、なんて言うんですかね、写真機を出さなかった自分っていうのが唐突に入り込んでくるという。


千種:

はいはい、はいはい。いや、その、自我の強さっていうのは、廣野さんの歌の特徴な気がしますね。強烈な自分がいますよね、常に。


上篠:

挿入句的と言ったらいいのかな。なんか、めちゃめちゃメリハリが効いているんだけど、そのメリハリが、なんかパキパキしてるなって思ったんですよね。


【まとめ】

上篠:

千種さんの選んだ5首、別に無理やり全部同じ要素を取り出すってわけじゃないんですけど、なんか、全部「とどめること」についての歌だなって思いましたね、見た時。


千種:

なるほどね、確かに記憶とかね、忘れないこととかとか。


上篠:

写真、記憶。自分の作る歌もそうだけど、選ぶ歌ってどうしてもそういう好みって出てくる。


千種:

出てきますね。確かに。


上篠:

そう。だから、自分の選んだ歌も、ぱっと眺めると、なんかあるなっていうのは思うんですけど。


千種:

はいはいはいはい。うん、そういう、その選に出るのも面白いですよね。


上篠:

”僕ら”と勝手に言ってしまいますけど、かなり重なる部分があると思うんですけど、なんかこう、指向性として。全然こういう短歌選ばないっていう人の話も聞きたいなというか、そういう評を読んだりしたいなと思うんで、結構みんなこういうのやってくれたらいいのにとは思います。


千種:

ですよね。せっかくこの300人特集読んだ人はやってほしいですよね、こういうスペースなり。300人じゃなくてもですけど。じゃあこれで一旦閉めますかね。公式には閉めますかねと言ってこのまま開いとくんですけど、ちょうどあれなんですよ。予告通り2時間喋ったので。あれですよね。日本ってもうもうすぐ日付変わる感じですよね。


上篠:

あと10分で日付変わりますね。


千種:

了解です。で、番外編をこの後やっていきましょうか。


上篠:

じゃあ、一旦ここで。


千種:

お開きということで。今日はありがとうございました。


上篠:

ありがとうございました。(上篠氏による文章の形の批評も併せてご覧下さい。)

(↓ハートの「スキ」を押すとアラビア語一言表現がポップアップします。ミニ・アラビア語講座です。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?