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奔放は吉か(手塚美楽歌集『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』)

手塚美楽歌集『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』(2021年、書肆侃侃房)は、奔放であることが吉なのか凶なのかを考えさせられる歌集であった。

1 奔放な韻律

短歌定型の不自然さ(なぜなら僕たちは575で話さない・書かない)を思うとき、手塚の歌集については奔放・自然な韻律に安心した。

ひまつぶしのためにツタヤに行くんだね、一生一緒に遊びたかった p21

ごめんねこんなこと手伝わせてタンポポなんかも触らせたくない p77

いつまでも消えないで背丈
潮風に攫われて見晴らしのいいところ p118

1首目のツタヤの歌は、言外に含むところの多い歌である。「んだね」という語末から判断して、「私」が「相手」に対して、実際にか脳内かで呼びかけている状況だと思われる。ひまつぶしをするということは、相手が今「ひま」であることを示している。「私」はその相手とそのまま一緒に遊びんでいたかったのに、である。きっと相手にとっては一生一緒に遊ぶほど大切な「私」ではないのであろう。そういう自分と他者の価値のすれ違いをすくい取っている。

2首目のタンポポの歌について、上の句「ごめんねこんなこと手伝わせて」は相手に対する台詞、下の句「タンポポなんかも触らせたくない」は内心の把握、と理解した。タンポポなんか「も」、ということは、他にも触らせたくないものが存在する筈で、そこから相手を大切にする思いが看取できる。一方、状況は特定できず、東直子の「そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています」(『春原さんのリコーダー』に収録)のような世界も醸成されている。

3首目の潮風の歌は、散文化すれば「いつまでも消えないで欲しい、背丈の高いあなたよ。僕たちは潮風に攫われるようにして見晴らしのいいところにいる」となるだろうか。

この歌の良さは「背丈」という大雑把な認識にある。例えば「軍服が花束を受け取った」という文の「軍服」が示すように、しばしばその人の特徴を書き出して、略称とすることがある。同様に、この歌の背丈は、おそらく「背丈が高い人」を意味している。通常は軍服なり赤シャツ(夏目漱石『坊ちゃん』に出てくる、あいつ)なり、見た目の特徴を使うところを、この歌は背丈というやや抽象的な語を選んでいる。その抽象語の選択により、「あなた」もまた抽象化し、読者は「あなた」に感情移入しやすくなる。

手塚に限った話ではないが、短歌における近年の韻律の緩和は、助動詞に乏しい口語を使用する上での技術上の要請でもあり、また、短歌定型の格調高さに対するカウンターでもあると思う。

2 社会と奔放に向き合う

前項でカウンターという語を使ったが、歌集中、既存の価値観に挑戦するような社会詠も多かった。そもそも、恋愛と性愛と生殖が結婚を媒介とすることで一体化された概念を指す用語「ロマンチック・ラブ・イデオロギー」(現行の婚姻制度を批判する文脈で使われることが多い)を、歌集のタイトルにしていることからも、手塚が社会詠に少なからぬ関心を持っていることがわかる。

金ローを2人でみようよ、土日にはイオンに行こうよ、せんそうはんたい p80

わたしですか?わたしは身長がふつうで国を守ってくれるなら誰でも p88

いいな黒くて長い髪夜みたい中国人みたいな顔も p89

たらればで物事を語る生まれてから死ぬまでずっと在日日本人? P90

フェミニストたち集まって輪になって手を繋いで好きな人の話 p115

これらの歌は、右派思想・左派思想に触れているが、その奔放とも言える文体は、迎えて読めばシニカル、浅く読めば無責任的である。

例えば、2021年現在、「中国人みたいな顔」と公の場で発言すれば、差別発言として受け取られる。「いいな黒くて長い髪夜みたい中国人みたいな顔も」については、連作の流れ(次頁の歌「たらればで…」では、創作語であろう在日日本人という語で日本人のアイデンティティに対して疑問が呈されている)からして、この「中国人みたいな顔」という表現は否定的に使われていることが推測でき、そして「中国人みたいな顔」という表現を使ってしまえる人々を批判的に描写しているのだと理解できる。しかし、連作の流れを無視して、Google翻訳的に浅く読めば、中国人みたいな顔という表現を無批判に肯定しているようにも読めてしまう。

アメリカのイラク攻撃に賛成です。こころのじゅんびが今、できました /斉藤斎藤『渡辺のわたし』

この斉藤の歌の場合は、一見素直にイラク攻撃に賛成しているように見える。が、下の句のひらがな表記に妙なひっかかりがあり、これにより、実は作中主体は攻撃に賛成していないことが読み取れる。

これに対して、手塚の社会詠の場合は、そうしたひっかかりを生み出すようなわかりやすい修辞が少ないため、本人が意図しない方向に誤読される危険性を帯びており、ポリティカル・コレクトネスが重要視される現在にあって、なかなか危うさを帯びているように感じた。

3 まとめ

手塚の『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』からは、短歌定型や社会的な価値観から自由でありたいとの願いが滲み出ているように感じる。1首を複数行に分けて表記する手法「わかち書き」を多用しているのもそうした願いから来ているのかもしれない。

全体の印象として、重い修辞が少ないがために身軽で、奔放な動きができている。その一方で、修辞の少ない奔放は誤読される可能性も秘めている。これが吉と出るか凶と出るか、である。

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