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子どものふりをした子ども(谷川由里子歌集『サワーマッシュ』)

 谷川由里子『サワーマッシュ』(2021年、左右社)は、子どもであることに意識的な子どものような歌集である。

1 子どもっぽさ

 歌集を開くと、まずこういう歌たちに出くわす。

ずっと月みてるとまるで月になる ドゥッカ・ドゥ・ドゥ・ドゥッカ・ドゥ・ドゥ (p4、巻頭歌)

日の長い日曜日にはスカートをひるがえしてマーチングバンド (p5)

バルセロナバルセロナに行くその日までバルセロナに行くまでのこの日々 (p20)

 語の選択・配置に責任感のない歌たちに見える。1首目、「ドゥッカ・・・・」は別の音でもよいだろう。2首目、作中主体がマーチングバンドをするのか、作中主体がマーチングバンドを観に行くのか、それともどこかの誰かがマーチングバンドをしているのか、特定できない。バルセロナに関しては、例えば「ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり」(永井陽子『モーツアルトの電話帳』)では向日葵から南欧が導かれるのがある程度自然であることと比べると、谷川の歌のバルセロナは一首の中での必然性が薄い。

 これらから、語の選択・配置に責任感のない子どもっぽい雰囲気の主体が浮かんでくる。

2 意図的な、子どもっぽさ

 ところがさらに読み込んで行くと、この子どもっぽさはひょっとして意図的なものなのではないかという気もしてくる。

縁日じゃないけど屋台が並んでるそっちへ行くための遠まわり (p72)

「そっち」というハイコンテクストな会話体的な語の選択は、一見、子どもっぽい。しかし、「そっちってどっちだろう、ああ屋台が並んでいる通りの方か」という読みに至るまでの間に、日常の中に祝祭を求める微かな感情が読み手の中で増幅する。これは計算されたものではないだろうか。他にもこんな歌もある。

花と松 誰でもできるイージーな世界よ 椎茸の飾り切り (p102)

 言葉を補いつつ意味を取ろうとすれば、「椎茸の飾り切りの種類である"花”と"松"は誰でもできる簡単(イージー)な料理の世界です」とでもなるだろう。しかし、この歌のように言葉足らずな、子どもっぽい語の提示の仕方をされると、世界が料理の世界だけでなく、子どものように楽観的な作中主体が簡単と感じるこの世界全てにまで対象が広がる。

月 とだけ、伝えたくなる ひとつだけ胸ぜんたいに月が広がる (p118)

 これも言葉足らずな文体である。通常は、誰に伝えるか、その人との関係性、また、どんな状況で見た月なのか、どんな見た目の月なのか、などを一首の中で(できるだけ)客観的に描写し、それらを作中主体と読み手との架け橋とし、感動を共有するのが短歌の定石である。
 一方、谷川のこの歌では、どんな月かわからないが、ある月を見て、「伝えたくなる」また「胸ぜんたいに広がる」ほど感動したことしか描かれておらず、主観に徹しているところから、子どもっぽく見える。しかし、短歌の定石から外れて、感動のみを描くことで、共有まではできなくても、作中主体が月にいたく感動したらしいということのみが純粋に伝わる。戦略的に子どもっぽさを選んでいるとも思える。

3 子どもっぽい歌集構成

 歌集の構成もそう言えるかもしれない。歌集は一般的に、歌人が意を尽くして編み上げ、並べた複数の連作から構成されるのが圧倒的多数であるが、谷川の『サワーマッシュ』には連作は含まれていない。巻頭から巻末までごく緩やかに連関したり連関しなかったりする歌たちが並んでいる。この連作意識の希薄さも子どもっぽいと言える。

 一方で、谷川はこれまで作品発表を連作単位でしてきていることから、『サワーマッシュ』収録時にはそれら既存の連作を意図的に解体しているのは確実である。ゆえに、同歌集の章立てのなさも意図的であると、つまり、意図的な子どもっぽさであると言える。(あえて複数の連作を含まない構成することの効果については、まだ読みきれていないが、人生が日常の連続であることを読み手に思い出させるような効果、連作ごとではなく一冊を通した作中主体の一貫した顔を浮かばせる効果などがあると思う。)

4 まとめと好きな歌

 『サワーマッシュ』には、子どもであることに意識的な歌たちもある一方で、冒頭の歌たちのような、純粋に子どもっぽいとしか言いようがない歌も混在している。奔放な歌集構成も含めて、子どもであることを意識している子どものような歌集である。

 他にも、活き活きとした破調、全体を貫く音楽への愛、地獄への不思議な関心などの論点もあるが、ここでは好きな歌を引いて終わりにしたい。

芍薬をきみにあげたい芍薬は、大きい、鮮やか、花びら、たくさん (p6)

はんこ・カギ 看板が顔を出している夏の道から遠ざかるだけ (p8)

あす、わたしは ゆっくりのぼる 不思議な毛虫を見送るだろう (p66)

雨降りの朝には雨が降っている お久し振りね、傘をひらいて (p78)

三つ編みをほどいてみせる桜ばなむこう百年かけて膨らむ (p138)

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