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僕はnoteは、文章を読むのが好きな人達が繋がる場所だと信じている:0033



最近、noteで好きな界隈がお気持ち表明エリアになっちゃってるのに思うところがあるんで、ちょっとだけ書いて、気持ちを吐き出させてください。



何かしら炎上が起こると、noteってお気持ち記事が多くなるように感じます。なんかもう、バーゲンセールでもやってんの?ってくらいで。争うなら卵パックの取り合いくらいにしてくれ、と思っています。


で、僕は、記事の蓄積だったりして楽しかった思い出の記録を残して、共有できるのがnoteの醍醐味と思っていて。毎日読めるわけではないから、休みの日などにタグ検索して、まとめて読んだりしてたんです。

でも炎上してしまうと、それまで蓄積していた楽しい記事が、お気持ち記事に埋もれたりしてね。そういうのはやっぱり悲しいです。

多分ブログなどではこういう事はなくて、noteのタグ機能など人と人とが繋がりやすいから起こる現象なんでしょう。
noteって、文章を読むのが好きな人達が繋がるための場なんですね。

悲しいけど、ネットは炎上など、悪い感情の方がつながりやすい。

よくも悪くもつながりを求める人たちが使った結果、お気持ち記事が量産される現象が起きてしまうのかと思います。また、今回の炎上は単独でなく、対立構造が生まれ、敵とみなした側同士がお互いの意見を責めるために、noteに記事を書くようになってしまった。


もちろん批判は大事ですが、クリック前のタイトルと本文数行をさらっと読み流してみても、大体がただ自分の感情を吐き出したいだけなんでしょう。コミュニケーションを取ろうとしているのに、読み手に他者に読ませる気がない。街頭で一人ずつ拡声器で演説しているみたいなので、そういうのはちょっと僕は読む気になれません。




こう何度も起こるのは悲しいし、なんらかの住み分けシステムなどを話し合って(せめて見出しだけで批判と分かる記事へミュート機能がほしい。以前にも要望出しました。)改善して欲しいとは思いますが、今のところはある程度、割り切るしかないのかなあとも思います。





ガキの理屈な話



…でもね、こう、お気持ち表明したり、誰かの批判や攻撃する記事を書くアカウントを見てみると、ほぼほぼ単発なんですよね。普段からその界隈について発信してるわけではないの。
こういう時だけわらわら集まって、こういう時だけ書いてく人たちだから、この現象は長くは続かないんです。



それで、年功序列とか推してる時間が長い方がいいとかそういう話をするつもりは全然ないんだけど、ずっと書き続けてる強みってね、やっぱりあると思うんですよ。

だからこういう事が起こると、こんなの今だけだぞ。好きな事を書き続けてる限りは、やっぱり僕たちの勝ちだからな、と心の中で呟いてしのいでいます。

続けてる限り勝ちとかすごいガキみたいな理屈だし、ほんとは僕が月に2〜3書いてる記事よりも、一つのお気持ち記事がスキを集めまくってる事にはね。やっぱ悔しくなってしまうんです。書いてるやつ全員ハゲろと思ってます。笑顔で中指立ててます。
そんなみみっちい、しょーもない人間の言ってるクソガキ理論です。

とはいえ、今回はかなり攻撃的な書き方になってしまってごめんなさい。このままではあまりにおおざっぱな書き方なので、もう少しだけ話させてください。


ここでいう勝ち、って何かと敵対する訳じゃないんです。

書き続けるのってやっぱり労力が要る事だし、孤独です。読まれる場所に元気が無くなると、ふつーに凹みます。

記事を書く事は自分の自己満足だとしても、何かしら自分は頑張ってるよね、って言いたい。書くのやめようと諦める気持ちに勝ちたい、そんな勝ちだと思っています。




今までやってきたことを振り返ると


僕、こんな真剣に物書き始めたの、初めてなんですよね。情報を集めて、確認して、プロット立てて。今まで創作小説ばかりだったから、全部自分の都合のいいようにできていたましたが、より良い記事を書くには色々な作業が増えた。

月におおよそ5程度の更新でしたが、書き続けることがこんなに大変だとは思わなかった。そしていまだに、続けることは一番苦手です。


面白い記事を読んで参考にしだしたのも初めてだし、プロットだって、3ヶ月くらいから試行錯誤でどうにか書き始めたくらいで、最初なんて全然行き当たりばったりです。


自分ひとりの書くものだったら、ここまでやれてなかった。僕はオタクで、今推している人がいて、その人のいる界隈が好きで。でも僕が下手な事書いたら、僕がじゃなくて「〜のファンは、こんな事言ってるぞ」になっちゃうんですよね。今までファン活ってした事なかったから、それがすごく怖い。


出来る限り一個人でしかない僕の言葉で、ファンの代表とか大きな主語で語らないようにしようと取り組む一方で、自分の偏ってるとことか人としてあんまりな事はほどほどにしようとか思うようになりました。

(とはいえ、変人である事はもうど〜しようもないので、あくまでほどほどです。)

こうして書いていると、僕も色々頑張ってきたんですよね。

どうにか続けてこれて、おかげさまで文章力と伝える力は、確実に身につきました。





面白がって笑ってくれたらと願ってはいる


noteを書き始めた時、それを目指そうと思いました。

なんかこの願いって、バランス崩すと「毎回面白いと思え!!」になりそうなので、料理の塩一つまみくらいにしとこうと決めています。

毎回必ずしもそんな面白い話が書けるわけじゃない。
ただ願って目指せば、5%くらいはそんな記事になってくれるかなと思うんですね。
願いもしなければ0%のままだから、そこはブレないようにしている。そしてまず、自分が面白いと思う記事を書く。

箱の為でもファンの集まりの為でも、推してる人の為でもなく、自分の為が前提です。熱中して書いてる限り、自分の力になる。物を書く力を伸ばすために書いてる。楽しいから書いてるんです。





僕は誰に向けて書くことができるだろうか

…僕は界隈に対しての知識が乏しいし、客観的な事を書いてる訳でないし、気をてらった記事が多いから、必ずしも書いてる記事がなんらかの役に立ってるとは思ってはいないです。


でもその代わり、僕は自分の愛する世界を全く知らない人に読んでもらう為、書いています。

エッセイテイストで間口の広い感想記事を書けば、推しや界隈を全く知らない人も読んでくれます。noteって色々な世界が開かれています。

料理について、その日あった事について、未知の科学技術について。大好きなアイドルについて。

無数の人の愛する世界と、語り手がいる。

書いてある事を全く知らなくても、何気なく開いて読んでくれる人もいる。スキをつけた相手が何を書いているか見に行ったりもする。


読んでくれる誰かは必ずいてくれるんですよ。

読まれると嬉しいんですよ、めちゃくちゃ。それまでの孤独も労力もね、全部吹っ飛びます。

それをね、忘れないようにしてます。それで書き続けられます。

今この瞬間に読まれなくてもいいし、こんな状態だからこの界隈からしばらく離れたっていいんです。

でも、もしまたnoteに戻ってきたら、その時この界隈がほっと息のつける場所であって欲しいと思うから、僕が記事を書き続ける必要があるのかな、と思っています。



まとめと伝え続けたいこと

noteは性善説から生まれたシステムというか、だからこそ敵意や闘争に弱いところがある。

でも、僕は書き手同士のコミュニケーションが取りやすいからnoteに書くことにしたんだし、図書館の本棚からジャンル問わず興味のある本を読むみたいに自分の知らない世界を読めるのもすごく気に入っています。

タイトルでも書いた通り、文章を読むのが好きな人達が繋がる場所としてこれからもこのプラットフォームで書き続けていこうと思います。


ことばって誰かを傷つけるために吐き出すってだけのものじゃないと思うんですよ。もちろん、コミュニケーションを取るツールとして、どうあっても分かり合えない限界があります。

そもそも各国400以上の言語があって、方言も含めたら数えきれない。

極めてローカルな日本に生まれ、世界から見たらそこそこ難しいとされる日本語を話して書いてコミュニケーションをはかる。誰かが書いたことばを読むのは、実は天文学的な確率の偶然です。知らない誰かに読まれるだけで、本当は奇跡なんだよね。

つながりとしてはほぼ無力でたよりなくても、ことばの力を愛しています。傷つけるだけでしかない言葉で埋まってしまわないように、記憶を残したい。




今日はなんだかつらい事を書いてしまいましたが、ここまで読んでくれてありがとうございます。

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