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【味読感想:酒まんじゅう】中谷宇吉郎のイグアノドンの唄:0048



 今はもう行ってないのですが、子どものころ、お正月は高尾山に初詣に行っていました。
 お参りに行くのが本筋ですが、やはり子どもでしたので帰りの道でおみやげを見るのが楽しかった。

 山の名物は沢山あるのですが、中でもピリッと凍えた空気の中、店前の四角いせいろからほくほくと白い湯気を立てている酒まんじゅうの出店が開いていると、お詣りに行く前でも立ち止まってじっと見ていました。
今日はそんな心温まる中谷宇吉郎先生の随筆『イグアノドンの唄』を紹介します。


【雪は天からの手紙】


雪の科学者として名高い中谷宇吉郎先生の随筆は、寒い冬に読むと格別です。
 雪の結晶を研究した物理学者で、1930年より北海道帝国大学理学部にて雪の結晶の研究を行なう傍ら、多くの随筆を執筆しました。「雪は天からの手紙」という名言を残した事でも有名です。

物理学者の随筆と聞くと、難しい専門用語や堅苦しい文体かとイメージしてしまいそうですが、中谷先生のお話は実に明快で読みやすいです。
雪の研究に関わる「雪の話」「雪後記」などは、冬にこたつでアイスを食べるような、雪の話であるのに冷ややかな物語でなく、不思議な温かみを感じます。


雪の話は【こたつでアイス】と例えましたが、

イグアナドンの唄はさながら、せいろで湯気がむくむくと立ちのぼるような【酒まんじゅう】だと思うのです。
 


【古代の空想と、現実の化石魚】


「イグアナドンの唄」は、中谷宇吉郎の三人の子ども達について記した随筆です。
 冬の夜の寝物語に、コナン・ドイルのSF小説「失われた世界(ロスト・ワールド)」を読み聞かせ、子ども達と語り合うおはなしです。


ロスト・ワールド自体は、チャレンジャー教授が南米アマゾン河上流の未踏の地を探検するSF小説となっています。
現代では絶滅してしまった恐竜達がそこでは生きている。前人未到の大地をのっしのっしと歩いているのだと、
SF小説ですが、さも本当にあるように中谷先生は語っていきます。 


下の子どもたちはもうすっかり信じて興奮しながら聞くのですが、長女だけは「小説でしょう、小説みたいな本じゃないの」と信じません。


学校や社会に出て物事に理論や裏がある事を知った、いわゆるサンタさんを信じなくなった子というのはなかなか厄介です。
そう思うのは自由だよ、と僕なんか突き放してしまいそうになりますが、中谷先生は違います。
1938年に発見された五千万年前と同じ形質の化石魚を例えに出して、現実に起きた事例を挙げて、長女をロストワールドの夢に引き込むのです。

なぜそこまでして、夢を見せようとするのか。別の随筆の『簪を挿した蛇』には、こう書かれてあります。

「幼い日の夢は奔放であり荒唐でもあるが、そういう夢も余り早く消し止めることは考えものである。海坊主も河童も知らない子供は可哀想である。そしてこれは単に可哀想というだけではなく、あまり早くから海坊主や河童を退治してしまうことは、本統の意味での科学教育を阻害するのではないかとも思われるのである」
「科学知識の普及も結構ではあるが、原子や分子を日常茶飯事の如く口にするだけでは無意味である。それは得るところが何もなくて、反対に物質の神秘に対する脅威の念を薄くするような悪影響だけが残る虞れが十分ある」



自然に対する夢想が、現実に興味を持ち深く知ろうとする科学につながる。
その考えを以って、愛する家族に夢の世界を語った中谷先生は、文体が明快でドライであるにも関わらず、家族への愛がにじみあふれ出ているような気がしてならないのです。

解説にも、
「(中谷宇吉郎は)とりわけ叙情的で感傷的な人間であることを十分に自覚していたからだと思う。」
とあります。
 心の情緒を抑制しつつ、自然をありのまま伝え淡々と事実を連ねる。
そんな言葉だからこそ、受け取った人間が育っていく力があるのだと思います。


 それはまるで、酒種を混ぜた生地を自然に任せて発酵し、生地にツヤと張りが出るように。
しっとり愛情深く甘いこし餡を中に込めて。


シンプルな言葉の内側に、中谷先生の心の暖かさがほくほくと湯気のように立ち昇ります。まんじゅうを持った指先に伝わっていき、一口食べると自然な甘さにほっと安心するのです。



この随筆にも登場した次女の中谷芙二子さんは、霧の彫刻という作品を手掛ける芸術家になりました。
僕も2018年の個展で、美しい霧を発生させるインスタレーションを拝見しましたが、定時に霧を発生させるというのは並大抵のものではなく、装置の作成にも水の粒子をなど科学的な素養が必要です。
その芸術と自然科学の融合は、「イグアナドンの唄」が源流ではないかと、そう思わずにはいられません。

自由研究をしないと死んでしまう性分なので、不思議だな・面白いな、と思ったことに使わせていただきます。よろしくお願いします。