読書:蝉谷めぐ実『おんなの女房』(9/4読了)

女や女房のあるべき姿に囚われていた武家の娘が、見せる変化、選ぶみちに惹かれた。
時は文政、所は江戸。武家に育ち、父からの縁談を一も二もなく承諾した志乃。その夫となったのは、評判の女形にして常に女子の姿で過ごす燕弥だった。

当初の志乃は、芝居のことを何にも知らない。あくまで武家の娘として、教え込まれたお役目や規範に従う心づもり。
この縁談が、芝居のため――好機を得た燕弥が役作りに武家の娘を欲したのだと知っても、武家の女でいれば良いのだと安心する。
収まるべき枠、従うべき規範が、志乃を生かしている。

でも、武家の娘たる部分が次第に薄れていることに気づかされて。そこで役者の女房たろうとして、どうあればよいのか迷ってしまう。そもそもの、女である、ということさえ。
他の役者女房たち、燕弥が演じる姫たちに触れながら、志乃は己と、己を囲む枠を見つめ、在り方を必死に模索していくんです。

やがて燕弥とも関係が培われ、睦まじさを増していく。彼が地の部分、男の一面を時おり覗かせるのが嬉しい。表情も柔らかく、笑うようになって。
でもそれは、女形としてはもう終い。燕弥その人として喜ばしい変化でも、芝居の世界で上り詰めるには致命的。
燕弥の女房か、役者/女形の女房か。ここでも志乃は揺さぶられる。

志乃の芯にあった“武家の娘”が崩れあり方に迷ったように、燕弥もまた築き上げてきた“女形”が綻び戸惑いを覚える。 志乃が女、武家の娘、役者/女形の女房といろいろの枠に囚われたように、燕弥もまた男、役者/女形、夫とさまざまな枠に囲まれている。
ふたりが個人として、夫婦として、どんな在り方を選ぶのか……見守る心持ちでした。

読み終わって、冒頭に“呼込”がある意味、ふたりの物語が時代の下ったいま触れられる体験に、感じ入るものがあったんです。規範や手引きに従ったのでは到達し得ない、燕弥を傍で見、考えてきた志乃だからこその結末だと思えたから。

幕引きになるのが惜しくて、じっくり読み進めた作品でした。


『おんなの女房』で特に印象的だったのは、燕弥と相手役の仲を疑った志乃が、二人の繋がりを目の当たりにする場面。 体の関係であれば納得できた。恋慕であれば諦めることも争うこともできた。 でも、芝居を通じて結びついている役者二人の関係を、志乃は形容できない。割り込むこともできない、という。
その相手役が、志乃を相手に何を語ったのか……自身と燕弥の関係、自分と志乃の違いをどう捉えているのかもまた、胸をずぶぅりと刺すものがあって。強く印象を刻むところでした。


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