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《転職起業記録⑨》大切なことを忘れていた

コロナをきっかけにあらためて自分の仕事人生を見直して「親支援がしたい」と転職を心に決めた40歳目前のわたしが、どのような思考や行動の変化を経て実現するのかを記録するnoteです。

前回までのお話をダイジェストでまとめると(テレビ番組か!)

やりたいことは「親支援=孤独育児をなくす」
その方法は
〇保育園
〇子育て支援センター
〇児童クラブ
など、いくつかの方法を模索して、《支援センターの開設》に向けたプレゼンテーションを市役所の子育て支援課の方とさせてもらいましたが、結局予算取りが難しく玉砕。(詳しくはこの記事で↓)

「親支援したい」といえでも、いざどのような事業をするべきか、色々な可能性を模索している日々なのですが、その後、公的なもの以外も視野にしっかり入れつつ、なんとか実施する方法をひたすら模索している日々でした。以下考察もろもろ進捗を。

例えば保育園の他に、一時保育、または週2~3だけ預けたいとか毎日なんだけど午前中だけ預けたいとかそういうニーズってあるんじゃないか。専業主婦だと幼稚園までノンストップで24時間育児し続けてるわけで、それってやっぱり息が詰まっちゃうし、そういう人が罪悪感なく預けたいなって思えるプログラムとかあればいいんじゃないかとか、
でも専業主婦人口って今後減っていくよね、でも一定数は残ると思うんだよね、その中でも子どもにいい環境与えたいけど自分だけではなかなかどうにもしてあげられないなって思ってる人いるはずとか、

例えば私の場合ずっとアートデザイン関連の位置で仕事してきたから、これなら色々な関わりの中でプログラムを構築することはできそう!
モンテッソーリとかシュタイナーとかそういう確立したメソッドではないけど、英語とか運動能力とかだけじゃなく、アートとか音楽とかそういう情操教育を求める親はいるんじゃないかとか、

田舎の自然の中で育てたいから移住してきたけど、実際なかなか自然とふれさせてあげられる機会を創れていなかったり、どうやってそうしたらいいかもなかなかわからない人とかにも、おもいっきり泥んこで遊ばせてあげる機会を日常のように提供するのってすごく大事なんじゃないか、とかとか、

もうそういうことを山のように浮かんでは消え浮かんでは消え、浮かんではお金の計算し(これ大事w)、採算とれなくては消え、でもその気持ちだけは消えなくて、また他の案が浮かんで、そして掛け合わせてはお金の計算をし・・・・・

という方法論と実施計画と「わたし何したいんだっけ」の確認との行ったり来たりしていた日々でした。

そんな模索の中で出てきた案が

プリスクール的な保育施設

プリスクールって未就学児を対象に英語で保育を行う施設って印象があるんだけど、そこには親が働いていてもいなくてもOKで、例えばだいたい1歳くらいから3歳くらいまでが多く通える学び系施設で、教育熱心な親が、割と良い金額を払って預ける場所。

〇働いている親も、働いていない親も関係なく入れる
〇通っている同じメンバー以外も随時入ってきやすい(単発参加OK)
〇親子プログラムもできる

など、保育園より参加自由度が高く、支援センターより預かり要素が強い。

といったところから、形態としてはちょうどいいかも!って思いつつ、結局これってどうやって運営してるの?っと思って調べたら《認可外保育所》という扱いということがわかり、英語教育はやってるところ多いから、そうじゃない情操教育専門の0~3歳向け気軽に通える(預け)場所があったらいいんじゃないか!とまたまたぐるぐる考えたりしたのです。

教育系って急に降ってきた案なんだけど(笑)結局のところは、

働くと保育園の先生がメンターみたいになってくれてすっごく救われるんだけど、働いていないとそういうメンター的な人に出会うのは難しい!だったら働いていても働いていなくても預けられる場所あったらいい!

結局はそういう想いで、そんなことが可能なのってできないのかなーって思い、色々調べたら

●一時保育事業
●認可外保育所

という2つの方法の中で運営できそうなのがわかり、早速また担当者さんへ電話し、その2つについて教えてもらうことにしました。(保育課の担当者さん、本当に懲りずに丁寧に対応してくださってありがたいT_T )

一時保育を担当している方につないでもらって、早速打合せ。

最も大切なことを失念していることに気が付いた

その担当のTさんは、なんと娘が0歳の時に見てくれた保育園の園長先生で私のことも覚えていてくれて、ああ!!あの時!!!といったことで色々盛り上がったのだけど、一時保育の現状や認可外保育の現状などなど、色々教えてもらいました。

私「就労の有無にかかわらず預けらえることが出来て、その先生との信頼関係を親が構築できたら、きっとすごくその親は救われると思うんです。だから働いていないとかいるとかじゃなくても、頼れる存在に出会うきっかけを作りたいんです」

T先生「ということは、実際預かる現場では常に違う子どもが、違う時間に出入りするっていうことですか?」

私「そうなるかもしれません。同じメンバーだけでなく、違う年齢の子がきたり、親子で来たり、例えば妊婦さんが来たり、そういうこともしていけたらいいなって思うんです。
一時保育はきっとそういうオープンな環境と思いますが、子どもたちはどんな過ごし方をしているんですか?」

T先生「何度も来ている子は大丈夫ですが、初めての子や慣れない子は、基本的にその時間中ずっと泣いてます。

基本的にずっと泣いてます

T先生のその言葉を聞いて、ハッとした。

親のニーズ、親を救いたい、親を支えたい。そのことばっかり考えていて、一番大切な、子どもにとって良い環境とは何か、それをすっかり見ていなかったことに気が付いて、同時に、私はすっかり赤ちゃん時期の生活を忘れていることに気が付いた。アートとか情操教育とかそういう話以前の問題がそこにあったことに。

ほんのちょっとの間でも私がいなくなることでギャン泣きしていたあの頃。

トイレに行く間すら、ママーママ―と泣きじゃくるあの頃。

慣らし保育をお迎え時、ずっと泣いてたんだろうなと思うほど目が腫れていた娘のあの頃。

妹に預けた3時間の間「ずっと泣いてて、泣き疲れて寝たよ」とLINEが来たあの頃。

泣いていることに「ごめん」って何とも言えない罪悪感に包まれたあの頃。

こんなに泣かせてまで預ける私は、何よりも自分を優先するダメな親なんだと自己否定したあの頃。

「こんな小さいのに預けるなんてかわいそう」という世間の声。

それでも預けることで自分の精神を保っていると思いながらも、それでもこれって本当にいいことだったのか?と自問自答して葛藤を繰り返すあの頃。

あの頃の感情が一気によみがえってきて、

基本的にずっと泣いてます

T先生のその言葉のあと、私は返す言葉がなく、ただ涙をこらえるのに必死だった。

親を支援したい

わたしはどんどんその想いが膨らんで。
それでもその当事者の時に「自分を支援してほしい」なんて思う親がいないことも知っていて。
子どもの成長を一緒に見守ってくれて一緒に支えてくれたその第三者の存在がいつの間にか支えになっていることに、後になって気が付くものだということもわかっている。

後から「この人がいたから乗り越えられた」っていう存在の大きさに気が付いて、過ぎ去った最近の死ぬほど大変だったその瞬間すら美化されて、その人への憧れや感謝の想いや愛に包まれながら、いつの間にか親も成長していき、子どもの成長と自分の成長を実感しながら、また次のステージに進んでいく。

私にとって、その存在は紛れもなく保育園の先生だった。

いつだって「ママ、本当に頑張ってるもんね」って声をかけてくれた。

いやいや期で八方ふさがりの時は「今○○ちゃんなりに一生懸命、心が育ってる時だから。成長過程だから心配しなくて大丈夫だよ。ママは本当に大変だと思うけど、園でも一緒にみていくから。安心して仕事してね。」って言ってくれた。

お友達を叩いたり噛んだりしたときも「わかってほしい!って気持ちが前に出ちゃったんだね。言葉で言えるようになるまで〇〇ちゃんも葛藤しながらがんばってるから。大丈夫だよ。大丈夫だよ。ママ、しっかり頑張ってくれてるもん」って支えてくれた。

良いことがあると「○○ちゃんできるようになったね!ママがいつも愛情かけてくれているおかげだよ」と私の手柄のように褒めてくれて、苦しんでいるときは常に「大丈夫、大丈夫、ママ頑張ってるもん」と寄り添ってくれた。

子どものことを全力で信じて愛してくれて、
私のことも、全力で信じて認めてくれた。

 
私はこの先生たちと出会えたおかげで、今がある。

育児の様々な悩みや喜びを感じるそのすべての過程の中で、私はこの先生に救われてきた。だからどれだけ育児が苦しくなっても、もう投げ出したくなっても、そんなことしちゃいけない。って投げ出せなかった。

どの親も「一緒に子どもの育ちを支えるメンター的存在」がいたらいいのにってあらためて今思う。

働いていても、働いていなくても。一緒に子どもの成長に感動し、涙してくれる存在。

必死に子育てしているときはその存在の大きさに気が付けないのだけど、落ち着いたときにその存在の大きさに気が付く。

まるで親みたいな。
子どものときはその有難みが全くわからなくても、自分が親になって急に感謝の気持ちが溢れ出てくる。

私はそんな存在の価値を広げていきたいのかもしれない。

誰もが「支えてほしい」なんてその時は思えなくても結果として「支えられた」ということがあるかないかは、その後の子育て人生に本当に大きく影響するはずだ。

「結果的に支えられていた」そう思える気持ちって、親になって初めて感じる「わたしって愛されていたんだ」というあの感情に近くて、

わたしって愛されていたんだ、
わたしって支えられていたんだ、
わたしって一人じゃなかったんだ、

そういう感情がその後の人生の支えになるんじゃないかと思う。


その後一言も言えずに、涙をこらえながら会議室を出た私は、車の中で自分の不甲斐なさや悔しさや感謝やいろんな気持ちが押し寄せて大泣きするわけですが、やっぱりこうやって言葉にまとめてみることで自分の気持ちが整理されていき、また今日も一歩一歩進んでいくしかないって思うわけです。

赤ちゃん期の生活を思い出せてよかった。
私がすっかり忘れてた大切なことを思い出せてよかった。
それに気が付けないでいた自分の不甲斐なさに気が付けてよかった。

だから今日も、歩んでいくんだ。

だってこの瞬間にも一人で苦しんでる親がいるかもしれない。
この瞬間にも孤独に耐えられずもがいている親がいるかもしれない。
どうしていいか誰に頼っていいかわからないでいる親がいるかもしれない。
 
一人でも多くの親の支えになりたい。
私が支えてもらったように。
今度はわたしが支える番なのだ。

そう自分を奮い立たせながら、また今日もがんばっていこう!


今日も読んでくれてありがとう!

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