ゼロ距離からの出発

昨日5歳の娘の乳歯のうちの1本が抜けた。
初めての生え替わり。

何ヶ月の頃だったかな、下顎の、何にも生えていないピンク色の歯茎に、初めての歯がニョコっと顔を覗かせたのは。

白い色がうっすらと見え始め、歯と認識するにはよくわからず、目を凝らしたり、指で触ってみたりして、硬い感触が手に触れるのを確認して、それがやっと歯だとわかった。

その小さな小さな白い歯は、日に日に成長し、いつの間にかその姿をあらわした。

娘のにっこり笑っている顔に、下顎の前歯2本だけが見えて、覗く白い歯のアンバランスでなんともいえず可愛らしかったこと。今も覚えている。

ただ、その乳歯が生え出した頃、ニョコっと飛び出した歯に、赤ちゃんが終わってしまうようで、少し悲しかったのも覚えている。

オギャーと言って生まれた娘は、ある日、閉じたままの目を開き、目を合わせて笑うようになり、そして寝返りをして、ハイハイを始めた。歯が生えない間は母乳がメインの生活の中で、歯が生えて来たことは、お乳をそのうち卒業することが近いことを意味した。一心同体の我が子が手を離れることを考えるとそれが悲しかった。

離乳食を初めて口に運んだ時の感覚もまた独特なもので。
母の母乳頼りで生きてきた、守られることが使命のその小さな生物が、初めて異物を取り込まされる儀式。それが初めての離乳食のひとくち目。

よくわからないまま、本を見ながら、米を茹で、こし器で裏ごしし、ドロドロに仕上がったその白いご飯を、小指の爪くらいの少量すくって娘の口に運ぶ。緊張する。一体どうなっちゃうの。食べれるのか?食べたことないのに?本当に食べさせていいの?恐る恐る口に運ぶ、彼女の人生で初めてのひとさじ。

娘の口に匙を入れると、しばらくすると
「ちゅるっ」っと音がして、そのぷにぷにで柔らかくてとんがった唇の向こうに吸い込まれていった。

食べられるんだ。すごい。満足に言葉もわからない、守られるだけのその小さな生き物が、異物を取り込み、泣きもせず、悪くないぞよ、と母の不安はよそに堂々とした面持ちの娘。満足げな表情を浮かべた(ように見えた)ことが意外で驚きで、頼もしかった。

食べない子は全然食べなくて、離乳食はお供物だと思うほうがいい、という格言が出回るくらいに、離乳食は子どもによって食いつきに差があると聞く。

でも娘は、そんな心配はよそによく食べた。たくさん食べた。手掴みの時期も派手に顔面に柔らかく煮た米粒をつけながら、周りに食べ物をこぼしながら、ルンルンで食べた。

その後、歯がどんな順番で生えていったのか、覚えていないけど、少しずつ生え揃って行く歯が嬉しかった。

あれから5年が経って来月には6歳の誕生日を迎える娘。

時々歯茎が痛いとか痒いとか言い出したのは、もう2ヶ月も前になるだろうか。

娘の口をくまなく覗いても悪そうなものは発見できず、娘の痛みの箇所と痛みも続かない。何か歯茎に当たったのかな?生え替わり?よくわからないけど歯医者に行くべき?そんなことを考えながら日々を過ごしているうち、夫が明らかな異変を娘の口の中に見つけた。

下顎の前歯のうちの1本が生え揃った乳歯の後ろ側にピッタリ沿って生え始めているではないか。なんということだ、乳歯フェイスの終わりが近づいている。そしてその歯の前にいる乳歯もグラグラし始めていて、もう、私、お役御免が近づいてきました、お母さんってグラグラの乳歯が言っていた。

娘には「すごいじゃん!次の歯が生えてきてたんだよ〜〜」と一緒になって喜んだけど、本心はそうじゃない。いつも、成長を喜ぶより先に、正直にいうと、悲しみがある。娘の手前そんなそぶりは微塵も見せることなかったけど。

5歳は自意識がしっかりとしてきて、外の世界に踏み出すための準備の時期で、親は安全基地の役割があるらしい。子どもが冒険に出て、ちょっと怖いことがあるとすぐに戻ってくる。その時、不安なことがあると受け止めてあげる役目がある。それを安全基地というらしい。その安全基地の役割をしっかり担ってあげることで、子どもは徐々に親という安全基地、ゼロ距離から、次第に距離を伸ばし、自分の足でより遠くの世界まで歩いていけるようになると聞いた。

なるほど、赤ちゃんの時とは違うけど、娘はベッタリと私にまとわりついている。
公園でもプールでも、何かあればすぐに走り寄ってきて私に訴える。これが怖い、あれが嫌だと。説明したり、なだめたりすると、2歳の頃のイヤイヤとは違って、さすが5歳、そうなの?とばかりに安心してまたどこかへ走って行く。素直だ。純粋だ。安全基地。なるほど。

興味のあることを誇らしげに話し、「お母ちゃん知ってる?」と自信満々に聞いてくる。私が知らないような生き物やいろんな話もたくさん話すようになり、その知識が正しいのか、間違っているのか正誤の区別が私にはできないほどに、自分な好きなことへの知識を深めている。そしてそのアウトプットでマウントを取る相手が私だ。私はかしこすぎてはいけなかった。時々バカになってあげたけど、最近はわざわざバカになって手加減する間もないほど、そうなの?っていう率が増えた。5歳児侮れない。これも安全基地のひとつ?

歯はグラグラしたまま、好きなスイカが食べずらいとか、うどんは太くて噛めないとか、色々言っているうちに、食べるコツを覚えたのか、昨日、近所でお祭りがあったけど、食べていたのは、ポップコーンにフランクフルト。結構どっちも歯応えあるぞ、とわたしは思ったけど。美味しそうに頬張り、ぺろっと食べた娘。お腹いっぱいになると、スーパーボール釣りがしたいと、パパと長蛇の列に並びにいった。私はこの後始まる打ち上げ花火のための場所取りで座ってNetflixで銀魂をなんとなく見たり聞いたりしながら、祭りの様子を楽しみながら二人を待った。

3歳の頃、家から聞こえた花火の音でさえ「怖い」と言って泣いた娘。近くに座っていた、3歳くらいの子が花火に泣いて走り回っていた。同じ頃泣いていた娘の姿が重なる。

5歳になった娘は、大きな音や眩しい光の閃光の瞬きに怯えることなく、しきりに「ワーワー、ウォーウォー」と言いながら、時々激しく拍手をして喜んで、夢中で見ていた。

泣かせることもなく、本格的な打ち上げ花火を見せてあげられたことが嬉しかった。お祭りが終わって、会場から出る時、出口の前が信号機だったから、警察や警備員が出入り口をたくさんの人を制限しながら誘導していた。なかなかその会場から出れなくて暑くて大変だったことも、嬉しさが手伝って気分が高揚していて気にならなかった。

無事会場を出て帰り道、夜道をふわふわした気持ちでのんびり夫と自転車で走りながら家路に着いた自転車置き場で、娘が不意に心配そうな顔で言った。

「なんか、口の中になんかある」と言って、開けた口を見ると、小さな白い破片が舌の上に乗っていた。

ついに、抜けてしまった。初めての乳歯が。

小さい小さい白い破片。こんな小さい歯が入っていたのか、とびっくりするほどに小さい。
「これ、歯だよ!」
「え?見せて見せて!!」
つまんで私の手のひらに乗せた歯を見てにっこり笑って安心した顔になる娘。
くるくる回って喜んでいる。マンションの階段をあがりながら、歯をどうやって保管するか、あれこれ騒いでいる。今は歯をとっておく容器があるらしいよ、なんて子どもに返しながら、私は少し寂しかった。

また一歩大きくなった娘。

乳歯が生えてきた時に少し寂しくなったあの時の気持ちとおんなじ。でも誇らしさも混じる気持ち。

娘にとってのゼロ距離、私にとってのゼロ距離。
お互いに少しずつ離れて行く距離。
寂しさと幸せのゼロ距離からの出発だ。

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