「声のする方へ」第二話
彼がいなくなってから、早一年が経っていた。暖かくなり、桜が満開に咲き誇る頃を見計らい、あたしは彼と地元の大きな桜の木の下にきていた。
あれ以来、彼はずっとあたしのそばにいる。しかし、彼はもう死んでいる。
そう、彼は幽霊になってあたしの前に現れたのだ。
あの日のことは忘れもしない。差し伸べられた手を掴もうとしたとき、あたしの手はなにも掴めず地面に触れた。なにが起こったかわからずに呆然としていると、同級生が近寄ってきて手を貸してくれたが、その同級生の顔の上に彼の顔が見えていた。
どうやら、あたしにしか彼は見えていないようだった。
「懐かしいね」
あたしが桜を見上げながら彼に言うと、彼は小さくうなずいた。
「きれいだねぇ」
彼の方を見ると、彼もこちらを見ていた。そして、少し寂しそうに笑った。
そんな彼の視線があたしの後ろへとずれた。なんだろうかと振り向いてみると、そこには思いがけない人がいた。
「え、瀬名くん?」
「やぁ、岩槻さん」
瀬名くんは片手を挙げながら笑顔でやってくる。
「どうして、ここに?」
瀬名くんとは二年になって初めて同じクラスになり、なにがきっかけだったか、よく話すようになっていた。別の友達も含めて遊ぶこともちらほらあった。
「ほんとに、きれいだねぇ」
瀬名くんはあたしの問いに答えず、隣に立って同じように桜を見上げた。
「そういえば、話したことあったっけ」
「うん。だから、きてみたかったんだよね」
どちらかというと文科系タイプの瀬名くんは物腰も柔らかで、相手を否定するようなことは言わない。同い年なのになにもかも包み込んでくれるようなおおらかさまで感じる。
おおざっぱで体育会系、小さなことは笑い飛ばして、なにかあっても一度受け止めてから自分の意見を言う彼とは正反対のタイプだった。
ふと気が付くと、彼が視界から消えていた。瀬名くんに気づかれないよう辺りを見回すが、どこにもいない。なぜか心に不安が押し寄せる。
「ここで、どうしても言いたかったんだ」
瀬名くんが急にあたしの方に向き直り、真剣な顔つきになる。どきっとする心と、どこか拒否したい気持ちとでせめぎあう。
「俺、岩槻さんのこと好きなんだ。付き合ってほしい」
瞬間的に強い風が吹き、二人の間を桜の花びらがざあっと横切った。髪が乱れ、思わず目を閉じる。
風が落ち着くのを待ってゆっくりと目を開けると、変わらずあたしをまっすぐ見ている瀬名くんと、その少し後ろに彼が立っていた。
「え、っと……」
急な言葉に戸惑ってうまく話せずにいると、瀬名くんがいつものように柔らかく笑った。
「驚いたよね、ごめん」
「あ、うん……でも」
あたしはちらっと彼を見る。彼はあたしをじっと見つめていた。
「あの……気持ちは嬉しいんだけど、でも」
言いかけたあたしの前に、彼がすっとやってきた。大きく首を横に振る。
そんな彼の行動に驚いて言葉が続かずにいると、瀬名くんは一歩あたしに近づいて言った。
「岩槻さんは、忘れられない人がいるんでしょう? ごめんね、ちょっと聞いちゃった」
たぶん、高校で一番仲いい友達からだろう。その子にしか彼のことは話していない。きっと瀬名くんがうまいこと聞きだしたんだ。
「別に、その人のこと忘れなくたっていいよ。そのままの岩槻さんでいいから」
「……でも」
「その人と比べたっていいよ。比べて、俺より彼のすごいところ教えてくれていいし、彼より俺のいいところ見つかったら嬉しいし」
「……」
なにも言えず黙り込んでいると、瀬名くんの隣にいる彼もこくこくとうなずいている。
彼は、あたしが別の人と付き合っても平気なのだろうか。自分のことを忘れて、別の人と恋をしてほしいのだろうか。彼の目の前で、そんな選択をしてもいいのだろうか。
「別に深く考えなくてもいいよ。俺のこと、嫌い?」
即座に首を横に振る。それは確かだ。友達として大事だし、この先も仲良くしていたい。でも付き合うことで、それが崩れてしまうかもしれない。
「でもそれは、人としてだよね。男として、どう? そういう対象としてみたことないかもしれないけど、いわゆる生理的に無理とか、そういうのはない?」
言われて少し考えこむ。彼以外を恋愛対象としてみたことは一度もない。だけど誰かが言っていた、瀬名くんと付き合ったら大事にしてくれそうという言葉に深くうなずいたことはある。
「そういうのは、ない……けど」
男としてみたことがないと、はっきり言っていいものかわからず口ごもる。
だけど瀬名くんは、それを見越したように優しく言った。
「だったら、友達より少し踏み込む理由がほしいな。まずは、恋人って立場を」
ちらりと彼を見る。彼は困ったような悲しそうな顔をしている。なにを思っているのだろう。そればかりが気にかかる。
すっと、あたしの前に手が差し出された。あの日の彼の触れられない手を思い出して身がすくむ。
「大丈夫だよ。岩槻さんが嫌がることは、絶対にしないから」
瀬名くんのことは信頼してる。たぶん、そのまま言葉の通り受け取っても大丈夫だろう。
差し出された瀬名くんの手に、同じようにして彼が手を重ねた。この手を掴んでほしいということだろうか。
恐る恐る彼の顔を見てみると、彼は笑っていた。あたしの好きな、太陽のような大きな笑顔だった。
「……よろしく、お願いします」
あたしは手を取った。彼の手の重なった、瀬名くんの手を。
「ありがとう」
瀬名くんが嬉しそうに笑った。今まで見たことないような、無邪気さが見えた。ぎゅっと握られた手は熱くて、なんだか少し泣きそうになった。
いつの間にか、彼の手は離れていた。
あれから瀬名くんと一緒に地元から帰ってきて、駅でわかれた。
「ほんとは家まで送りたいけど、今日はやめとく。だから家についたら、連絡してね」
初めて瀬名くんからそう言われ、友達ではなくなったんだと実感する。笑顔で手を振る瀬名くんに、あたしは小さく手を振って背を向けた。自宅そばの小さな公園に差し掛かったところで、あたしは彼に尋ねた。
「ねぇ……これで、よかったのかな?」
彼は笑ってうなずいた。
「あたしが別の人と付き合っても、平気なの? 忘れなきゃいけない? 前に進めって言いたいの?」
否定も肯定もせず、彼は困ったようなそぶりをみせる。
「ねぇ、どうして……」
ぽろりと、涙がこぼれた。彼はそれを見て、なんとも言えない顔をした。
「どうして悠くんの声が聞こえないのぉ?」
人のいない夕方の公園で、あたしは泣き崩れた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?