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甲陽園の地下壕をめぐるピースウォーク

消された歴史
よみがえれ 緑の春 ピースウォーク2020.11.29
主催【西宮•甲陽園の地下壕を記録し保存する会】

幼い頃から慣れ親しんだ朝鮮の文化。
学んできた朝鮮の歴史。
チョゴリを着てチャンゴを奏でる友人。
素敵だなと思った。
道徳の時間に作った朝鮮のおもちゃ
〝チュギチャギ〟で遊び、歌を口ずさんだ。
日曜日には朝鮮のお友達の集う教会で
トックスープをご馳走になった。
その一つひとつが私にとってはごく自然な日常で、
交わる人たち一人ひとりが輝いてみえた。
憧れの存在だった。
中学生になったある日、親しい友だちが
朝鮮にルーツがあることを小声で教えてくれた。
彼女が小声でカミングアウトする意味が、
当時は分からなかった。
これを機に私は、今も残る差別の実態に
アンテナを張り始めた。
楽しい文化や音楽だけいいとこどりして、
歴史を深く知ろうとしなかった無知な自分を
恥ずかしいと思った。
傷ついた過去や差別の現存トラウマに
直面すればするほど、胸が苦しくなってきた。
そういえば私が平木に勤めていた時、
「部落についての学習をどこまで取り扱うか」
という職員会議の場で泣き出した職員がいた。

「寝た子を起こすなという言葉があるじゃないですか!知らない方が幸せなことだってあります。」

と彼女は声を震わせた。
しばらく沈黙が続いた。
部落解放や在日の子どもたちを守る運動をしてきた大先輩が静かに口を開いた。  

「そうよ。真実を伝えていくということは苦しみを確かに伴うの。けれども真実を知らずに大きくなった子ども達が差別に直面した時の苦しみは、もっともっと大きいの。その時、差別と戦っていける強いバネを子ども達に築いていくことが私たちの役目ではないかしら。そう思っているのよ。」

教育の重要性。
当時のこの先輩の言葉は
その後も私の中に点を置き続けた。
この点はなんとも言えない違和感である。
しかし今ではこの違和感を尊ぶことができる。
点は置き続ければ、
いつかは一本の線になってくれるからだ。

私の母校である西宮市立平木小学校では、
朝鮮初級学校の子ども達との交流会がもたれていた。
学校の前を流れる御手洗川を隔てた向こうに
その朝鮮学校はあった。
交流会は道徳教育の一貫で、盛大に行われた。
そのきっかけは平木小学校と朝鮮初級学校の子どもたち同士の偏見や差別を取り除き、理解し合うためだった。差別の実態とはどんなものだったのか。
当時の話を平木小学校の恩師に聞くことができた。

「朝鮮初級学校の高い塀の向こうに給食のパンを投げ入れ、差別発言を繰り返す子どもたちの姿があったんや。差別はな、相手をよく知らないから始まってしまう。ならば、繋がって、その人たちを知ろうとすることしかない。歩み寄れば差別はなくなっていく。先生たちとな、そんな話を来る日も来る日も重ねてな、朝鮮初級学校の門をたたいたんや。〝一緒に交流しましょう。〟って。ほんまにええ人たちでなぁ。先生たち、初級学校の先生ととびきり仲良くなってな、よく飲みにもいったんやで。」

懐かしそうに、嬉しそうに話す恩師の表情に安心を抱いた。同時に、差別の無意味さや虚しさが湧いてくる。

真っ新なはずの幼子に、
一体いつどのようにして
人に優劣をつける人権感覚が
生まれるのだろうか。
いつの時代も、どんな差別も、
最初に闘士の火をつけて
人種に対する歪んだ見方を植え付けるのは
差別したい一部の大人たちなのだ。
伝えていこう。
繋がりを保っていかなければ。
錆ついた心の扉を開くのは
とても危険な作業かもしれない。
けれども、錆びついたままの
扉をメンテナンスせずに
放置する方がもっと危険なのだから。

今日我が子と地下壕の歴史を垣間見た。
地下壕に刻まれた「朝鮮独立」「緑の春」
という文字の向こうに戦争という歴史に翻弄された
人々の想いが見える。

風化させない。
私もこの文字を心に刻む。

      大人の図工塾管理人 米光智恵

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