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『難しい本をどう読むか』を読んで思ったこと

 読書感想文の投稿です。今回は齋藤孝さんの『難しい本をどう読むか』を取り上げたいと思います。

著者の紹介

 齋藤孝さんは1960年生まれの静岡県出身。明治大学文学部教授で教育学者をされています。『声に出して読みたい日本語』をはじめ、数多くの書籍を出版されている方です。またそのほかにも、多数のテレビ番組にも出演されている方で、おそらく顔馴染みの方々も多いことでしょう。

本の構成

 本は2部構成になっていて、第1部では難しい本を読む上での理論が扱われていて、第2部では実際に難しい本を読むことの実践について扱われています。特に第2部では14の歴史的名著を引用した上で、齋藤さんによる独自の解説がなされています。ヘーゲル『精神現象学』、マルクス『資本論』、ニーチェ『ツァラトゥストラ』、ソシュール『ソシュールの思想』、西田幾多郎『善の研究』、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』、ハイデガー『存在と時間』、メルロー=ポンティ『知覚の現象学』、レヴィナス『全体性と無限』、フーコー『監獄の誕生 監視と処罰』、ロールズ『正義論』、ピケティ『21世紀の資本』、インド哲学『原典訳 ウパニシャッド』『ウパデーシャ・サーハスリー』について解説されています。

注目した部分

 私が本を読み進めていく中で特に注目した箇所が、フーコー『監獄の誕生 監視と処罰』の部分でした。齋藤さん曰く、「一望監視方式(パノプティコン)」というキーワードを理解できるかどうかが『監獄の誕生 監視と処罰』を読み解く上でのカギになるのだとか。メインとなるのは第三部の約100ページであり、これだけ読めば書籍の全体を理解できるのだそうです。それでもいきなり100ページはハードルが高いという人には、中山元さんの『フーコー入門』をはじめとした解説書を用意すると良いそうです。『監獄の誕生 監視と処罰』に触れているのは20ページ強で、しかも実際に権力について解説しているのは14ページだそうで、本書と解説書を照らし合わせて読み進めれば無敵とのことでした。
 私が『監獄の誕生 監視と処罰』の箇所に注目した理由は大きく3つあります。1つは、現代社会や日常生活において通じるものが多いと思ったから。2つ目は、これからテクノロジーがより一層進歩していく中で理解しておくべきことがあるのではないかと思ったから。そして3つ目は、個人と権力の関係をある程度理解することが重要であると思ったからです。

現代における権力とは?

 フーコーは著作において、個人の身体の細部に対して働きかける規律ないしは訓練のことを権力としています。18世紀の古典主義時代を通じて、細部を観察することで人間が怠惰にならないように取り締まって活用することを目指してきたという経緯があるとされているとのことです。さらに近代におけるヒューマニズムは、実は監視とセットで誕生したということが明確にされているのだとか。齋藤さんはそこに意外さと不気味さを感じているそうです。
 では近現代における権力や通じるものとは何であるのか。1つの例として学校の教室が挙げられています。学校の教室で試験の成績順に座席が決められると生徒は強力な管理下に置かれることになり、空間を通じた「規律・訓練」によって徐々に服従的にされていくとされています。齋藤さん曰く、人間を服従させていくときに動作にかける時間、手足や関節の動きまで指示されると、身体の奥深くまで権力が入り込むことになると述べています。そのほかにも、私たちが学校で当たり前のようにやってきた「起立・礼」といった号令も身体に権力が入り込んでくる例として挙げられていました。学校以外に注目してみれば、職場のオフィス内にある監視カメラや、テレワークでパソコンを使用している最中に作業画面が撮影されたり、キーボードの操作ログが可視化されるツールが導入されるといった事例も挙げられていました。いま私たちが生きている現代においても「権力の見えない化」がさらに加速していると述べられていました。
 私が読んだ感想として、他人の目を気にする人々が一定数存在しているのは、学校での教育で叩き込まれた規律や訓練はもちろんのこと、(今では薄れてきている気はするものの)世間体を気にする風潮がある日本社会の風土があるのではないだろうかと思いました。そうした上でも現代社会において、テクノロジーはますます加速していて、それらが合わさって「権力の見えない化」はより一層進んでいるのではないかと思いました。

一望監視方式(パノプティコン)

 「一望監視方式(パノプティコン)」とは、イギリスの哲学者であるベンサムが考案した刑務所の建築様式のことを言います。中央に配置された監視塔をドーナツ状に取り囲む形で獄舎が並んでいて、1人の看守が多くの囚人を効率良く監視できる仕組みになっているそうです。囚人は常に監視の視線を意識し、実際には監視されていなくても監視の視線を内面化して従順になってしまうと言います。要するに自分で自分を監視するようになってしまうということです。ここでも「権力の見えない化」が出来上がっているとのことで、権力者(ここでは看守のこと)にとってはこれほど楽で都合の良いシステムはないと述べられています。フーコーはこうした権力の恐ろしさを危惧していたそうです。とは言うものの、私たちの日常生活で刑務所と関わることは一切なく、リアリティーがありません。齋藤さん曰く、もう少し自分たちの生活に関わりがある具体例を挙げるとするならば、テレワークの業務管理ツールを浮かべて欲しいとしていました。今の現役会社員の多くは、「あまり気分は良くないけれど、こうした方が生産性が上がるなら、良いんじゃないの?」といった感じで受け入れる傾向が強いと述べられていました。
 私が思ったことは、テレワークでの業務管理ももちろんのこと、そのほかにも街の至るところ(特に都心部では顕著)に防犯カメラが設置されていて、私たちの行動が逐一チェックされている状況に関しても同じことが言えるのではないかと思いました。一望監視ではないものの、常に見られているという意識を現代人に植え付けるデバイスの1つであることには違いないと思っています。さらに防犯カメラのみならず、ここ最近では数多くのテクノロジーやデバイスが誕生して、「自発的服従」の意識づけがより一層加速していることは言うまでもないのではないでしょうか。

個人と権力

 先述したとおり、テクノロジーの進歩は私たちの意識づけに影響を及ぼしていると考えています。そうした中で権力に逆らうことはほぼ不可能でしょう。逆らうことは出来ないけれど、どうやって向き合っていくかは1人ひとり考えることが出来るのではないかと思っています。このフーコーの著作は、それらを考えさせるきっかけを与える役割を果たしているのではないかと考えています。私個人としては齋藤さんの書籍というフィルターを通して考えさせられた気がします。

おわりに

 読書に関する投稿はこれが初めてになりますが、自分が読んだ本についての再確認にもなり、有意義なものになったと感じています。
 今回は齋藤孝さんの書籍の一説にフォーカスを当てましたが、フーコー以外にも多くの著者の解説もなされているので、気になった方は実際に本を手に取ってみるのもアリかもしれません。
 こうした感じで、緩やかではありますが、これからも私が読書をして感じたことを載せていこうと思います。


 

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