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障害に配慮したアイスランドの高等教育のお話(2010年のこと)

アイスランド。そう聞いて、何人正確な場所を言えるでしょうか?アイルランドじゃないですよ、アイスランド。
私は2010年ごろ、1年間日本語のTAとしてアイスランドの大学にいました。その時に見た障害者配慮について、まとめます。

アイスランドの障害者事情

みなさん、アイスランドのことを知っていますか?
アイスランドの人口は30万人しかいないから、障害を持った人が多く生まれるという話を聞いたことがあります。これが本当かどうかわかりませんが、障害を持った人が多いというのは本当らしく、そのための配慮が大学にはありました。

さまざまな学生

日本語の授業にもさまざまな学生がいました。適応障害、自閉症(今は自閉症と言いませんが、その時はこうでした)、ディスレクシア(読字障害)…
簡単にいうと、身体の障害ではないので一見しただけではわかりません。授業を教えていても、全くわからないケースもあれば、「もしかして?」と思うケースもありました。最初は戸惑いましたが、そう思ったかは関係なく学生には公平に接し、難しそうなところには手助けをしたり時間を伸ばしたりして、学生が学びやすい環境を考えるようになりました。
正規の先生には情報がいくようですが、私はTAなので学生個々の情報はないし、聞くのもちょっと違うし、たまに先生から「この学生は配慮してね」と言われて気づく、という感じでした。

自動的にテスト時間が伸びる

びっくりしたのは、定期テストの時。定期テストは授業内ではなく、テスト日程が別途設けられ、別の人(他の教員なのか、アルバイトを雇っているかはわかりませんでしたが)が試験監督をします。担当の教員はテストを取りに行くだけです。
テストは、障害に合わせて時間が設定されます。例えば、ディスレクシアの学生は1.2倍の時間、など、時間が伸びるのです。詳しくはわかりませんが大学で規定があり、その規定に沿って決まるようです。障害の申告については、入学時に自ら申告するのか、そもそも内申書のようなものに書かれているのか、国民番号に紐づけられているのかはわかりません。
テストの時間が伸びていることを知って、障害があると初めて知った学生もいます。その学生は「先生、日本語はおもしろいですからがんばります」と言って、ノートの取り方を工夫しながら普段の授業も人一倍がんばっていました。

カウンセラー現る

学内には、障害や学校への通いづらさを抱える学生を支援するカウンセラーがいます。私もその方と面談したことがあります(私はついて行っただけですが。今思うと、ただのTAなのについて行ったのよね…)。
ある学生への配慮について、どんなことができるか話し合ったり、そのカウンセラー同席で学生と話し合った記憶があります(もちろん、私は座っていただけ)。
できそうな配慮と難しいことを示しつつ、学生が学べるように考えるのは簡単なことではありませんが、規則や決まりがあり、カウンセラーがいるからこそ大学で学べるのだと思いました。
私が行っていた日本語の授業はペアワークや会話練習が多く、それを苦手とする学生もいます。性格的な問題だけではなく、もっと別のところに問題があった時、クラス活動を一緒にするのは難しいこともあるのかもしれません。私が聞いた限りでも、数名はドロップアウトしてしまったとのことで、何かもっとできることがあったのではないかと思いました。

「ADHDだったのよね〜」

このように、障害や生きづらさが普通のアイスランドでは、自分が持っている障害などについてオープンに話してもいいようです。私のお隣さんはお母さんと娘さんが住んでいましたが、お家にお呼ばれしてお茶をごちそうになった時、
「娘と一緒に病院に行って検査をしたら、私、ADHDだったのよね〜」と。
はあ、そうだったんですが、という感じでしたが(お隣さんはあまり英語が上手じゃなくて、私はアイスランド語は全くできないので意思疎通が怪しい)、診断が出て薬を飲むようになって、少し楽になったと話していました。納得感もあったのかもしれません。
お隣さんには度々お茶やご飯をごちそうになり、アイスランドのことを教えてもらいました。自分が持っている生きづらさを明るく話すお隣さんも、アイスランドの姿の一つなのかなと思います。

それが普通。

アイスランドの大学で見たのは「それが普通だから」ということでした。もう規則で決まっているし、そうしますから。それ以外は普通にしてください、ということでした。規則でテストの時間が伸びるのも、それ以上の配慮を求めなければないことも、カウンセラーに助けを求めたら配慮があることも、それのどれも普通でした。
もちろん私が見たのはほんの一部だし、大学で学ぶことができる学生だけでした。その中でも、試行錯誤しながら日本語を学ぶ学生の姿には学ぶべきことが多かったです。
私は日本語を教えながら、常に学習者にも教わっています。私自身が日本語を教える中で、学習者から学びたいという気持ち、学習者が学びやすいようにリクエストしてほしいという気持ちは、この体験から来ているのかもしれません。



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