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【思い出してみる】モンゴル高校日本語教師の1日のルーティーン

海外の高校で日本語教師として働いていました。海外!?高校?日本語?謎ばかりの職業で、周りからはあまり理解されない仕事でした。
(いわゆる、第二外国語を教えるネイティブ教師ってやつです)
そんな仕事、どうやって過ごしていたんだろう…?モンゴルで働いていたのはかなり前ですが、思い出して書いてみます。


朝7時半 出勤

授業は朝8時から!早いですよね。8時の1時間目に間に合うよう、7時半ぐらいには学校に行きます。冬だと、コートを脱いで引っかけたりとか、靴を履き替えたりとか(外の靴は暑すぎて部屋の中では履いていられない)いうこともあるので。
自席について、他の先生とあいさつしたり、生徒の様子を聞いたりします。この時間に、「○○先生、今日休みだって!3時間目入ってくれる?」みたいな授業の依頼もきたりします。恐怖。
冬になると、1時間目が終わるぐらいまで暗いので朝早い出勤はちょっと辛いです。

8時〜 授業

モンゴルでは中高の先生は週19コマ(1コマ40分)以上教えるという決まりになっていたので、大体40分授業が1週間に20-22コマぐらいありました。私は午前中の授業が中心でしたが、2部制なので午後授業がある先生も。

多い日だと、8時から12時ぐらいまで、5コマ教えっぱなしという日も。40分で出席をとり、会話練習をして…と、結構バタバタします。いつもあと10分長かったらな〜と思ってました。
ネイティブは色々な学年のクラスに入るので、1年で生徒を300人ぐらいを受け持っていました。300人の名前と顔、よく覚えられたよなぁ〜

12時 授業終了・お昼

授業が終わると、お昼ご飯。私は基本お弁当組で、自席で食べていました。食堂で食べてもいいんですが、時間帯によっては混むし、生徒が来たり来客対応があって決まった時間に食べられないのが先生…というわけで、いつでも食べられるお弁当がありがたかったです。あと、モンゴル料理が続くとお腹を壊す(油の問題?お肉の問題?)ので。

午後 授業準備と生徒対応

午後は基本的に授業準備をしていました。その中でも選択授業を教えたり、会議に出たりなど急にいろいろな仕事が入って、慌てていました。
音読の課題を出すこともあって、生徒が変わるがわる来て音読や暗唱をして行きます。それを聞くのも先生の仕事。宿題チェックもします。
授業準備も大変で、最初の数年はコピー機も自由に使えず、「なんで教材コピーしてるの?」と怒られたことも。教科書を使って、教科書だけで教える文化のモンゴルにおいて、教科書も貸出制で。私は会話練習教材を自分で足して作ったりしていたので、「なんで印刷しちゃダメなの?」ってなりました。プロジェクターとかもなかったもんね。今は各クラスに大型モニターが設置されています。

午後 サボる(小学校のクラスに乱入)

モンゴルは、小学校〜高校が同じ建物にあることが多いです。私は高校を中心に教えていますが、仕事に疲れると小学校へ。子どもたちを見て癒されていました。たま〜にクラスに入っちゃうことがあるんですが、先生が「ほら、日本人の先生きたわよ」と言って、子どもたちをあいさつさせてくれます。かわいい〜(授業妨害)。
あとは、部活を見に行くことも。私は音楽が好きなので、モンゴルの民族音楽の練習を見たり、ダンスの練習をみたりしていました。
サボり…

午後 サボる(高校のクラスでだべる)

仕事に疲れたら、高校のクラスにお邪魔することも。クラスに残って勉強している生徒たちにちょっかいを出しに行きます。ほら、日本人が来たら日本語で話すから、勉強になるかなって思って!
時々、「次の授業どうしよう〜」と相談に行くことも。生徒が勉強したいことが一番だもんね!
ほぼサボり…

6時ごろ 帰宅

何もなければ、午後の授業が終わる夕方6時ごろに先生方も帰宅して行くので、それに合わせて帰っていました。
最初の1、2年目はそんな時間に帰れるわけもなく、夜遅くまで残って授業準備とかしてましたね〜懐かしい。
夜、高校生が「せんせ〜」って職員室に遊びに来て、よくおしゃべりしていたのも良い思い出です。あと、「先生〜一緒に帰ろ〜」と、学校裏の寮まで送ってくれた生徒もいました。

たまに入る仕事

教員会議
全部モンゴル語なんですけどね。眠かった〜

日本人の案内
「なんか日本人きたから対応してくれる?」という謎のミッションが課せられることも。お互い「誰ですか…?」というところからスタートすることもよくありました。鍛えられました。

受験指導
日本に留学するための受験指導もしていました。たまに入るっていうか、ガッツリやってましたけど。大変だけど、楽しい仕事でした。

最初の仕事、大変だったなぁ

実は、モンゴルの仕事は新卒すぐでした。新卒すぐだからただでさえ何もわからないのに、モンゴル語もわからないし文化もわからないし…大変だったんだと思いますが、何もわからなさすぎて適応してしまったという…
でも、後で振り返ってみると、やっぱり、結構大変だったと思います。それで、いろいろ私の常識は崩壊し、だいたいなんでも大丈夫〜な人になってしまったような気がします。大変だったので、午後サボってたのは大目に見てください(笑)

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