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なんとなく学校に行かなくなった話

夏休みが終わりに近づくと、学校に行きたくない児童(生徒)が増える、というニュースを読みました。実は、私も遠い昔、2年ほど学校に行っていませんでした。そのことを書いてみようと思います。

小学校5年生と6年生、行かなかった

私が学校に行かなかったのは、小学校4年生の終わりぐらいだと思います。それから、ほとんど学校に行かず、6年生の時は公立のフリースクールに通いました。中学校からは学区が変わったので行くようになりました。ざっと書くとこんな感じです。

なぜ行かなくなったのか

私が学校に行かなくなったのは、色々理由があるんだと思いますが、明確に覚えているわけではありません。今思い返して考えれば、

・もともと学校がそんなに好きじゃなかった(集団行動が苦手、友達づくりもそんなに得意ではない、クラスでは目立たない小さなグループに属すタイプ)

・学校が遠かった(学校まで歩いて30分かかったので、大変だったんだと思います。特に重いものを持って帰ってこなければならない時は苦労しました)

・人前で話すのが苦手(発表が苦手で、小学校高学年になるとそういう機会も増えるので嫌になった)

多分、こんな感じだと思います。誰かに明確にいじめられた経験はなく(あまり馴染めなかった記憶はありますが、陰湿ないじめの対象になったことはないと思います)、なんとなーく嫌だから、休んでしまって、そのまま行きにくくなって行かなくなったんだと思います。

学校に戻れなかった理由は「先生」

まぁ、そんな理由だったので、学校に行こうと思えば行けたんだと思います。行かなかった理由で明確に覚えているのは、担任の先生です。

担任の先生は、比較的経験のある女性の先生でした。そういうこともあって、多分「不登校児がいるのは汚点」と思っていたようです。なんとか学校に来るように色々仕向けられました。ある日は、「いじめられてるんでしょ?」と詰め寄られ(誰か嫌な人はいる?みたいな表現だったかもしれませんが、先生はいじめを疑っていたはず)、クラスで気の強かった女子グループの名前を出されたので思わずうなづいてしまい、彼女らが謝ってくれたような事を覚えています。ちょっとうろ覚えなのですが、今思えば悪いことをしてしまいました。この頃、不登校といえばいじめが原因で、何も話さない私に先生が仮説を立てて接していたのだと思いますが、特に理由がない私は聞かれても困っていて、先生を納得させるために答えてしまったのかもしれません。そういう先生の態度が嫌で、頑として学校には戻りませんでした。

(なのに、巡り巡って自分が先生をしているというのは不思議な話です。あの時はあんなに先生も学校も嫌いだったのになぁ…)

謎を呼ぶ「修学旅行と卒業式参加」

そんな感じだったので、ちゃっかり修学旅行と卒業式は参加しています。修学旅行は「行かないと損だろう」ぐらいの気持ちでした。校長先生がわざわざ様子を見にきてくれたので嬉しかったです。友達もいないわけじゃなかったので、その友達と一緒にいました。他のグループの女子の圧は嫌いでしたが、まぁ、1泊2日は過ごせました。卒業式も、「一応参加しておかないと」ということで参加しました。ここで笑えるのが、「当日だけ参加してもわからないから、練習も参加した」という点です。先生は不可解きわまりなかったかもしれませんが、授業は出ずに練習だけ参加して早退したのを覚えています。先生から見れば、「修学旅行に来られるぐらいなら教室にも来られるだろう」と思ったかもしれませんが、私にはなんとなくの線引きがあったんです。その時は、それを説明できるような言葉は持ち合わせていませんでしたが。

一応悩んだ。でも死んだりしなかった。

学校に行かなくなって、一応悩みました。やっぱり、学校に行っていない=悪い子ども、という構図がありましたから。いじめ→不登校→自殺、みたいに考えていて、「うーん、でも死んだら親がかわいそうか…」ぐらいのことは考えました。多分、半年ぐらいはこんな感じだったと思います。家族から何か言われるかもとビクビクしていました。

周囲の対応がよかった

さて、学校に行かなくなって、周囲は困ったと思います。ただ、家族にはそんなに「学校に行け」とうるさく言われませんでした。言われたけど忘れてるのかも?ぐらい、そんなにうるさく言われたりはしなかったと思います。母と平日のお昼にファミレスでご飯を食べたのもいい思い出だし、おばあちゃんの家に遊びに行っても何も言われないし、自分なりになんとか生きていました。確か、数ヶ月たったころ、母は町の相談施設を紹介されて行くようになりました。そのあと私もついていくようになりました。たまたま相談を受けていた人が母の知り合いだったこともあり、私はその施設(教育関係の事務所)にお弁当を持って遊びに行くようになりました。今覚えているのは、3人ぐらいの大人がいるオフィスで、お昼になるとテレビでNHKニュースをいつも見ているのに、私は「笑っていいとも!」に勝手にチャンネルをかえてみていたことです。おじさんもびっくりしてました(笑)。その施設に公営のフリースクールがあって、そちらを紹介されて通い始めました。フリースクールなので基本的に自分がやりたいことができて、人数も少ないので意見も言いやすい。そういう環境なので馴染みやすかったです。

不登校の理由を問いただす「悪い人たち」

そのフリースクールでも嫌な人はいて、職員さんとカウンセリングみたいなことをするんですが、若い女性の職員さんが担当になり、「なんで行かなくなったのか」散々問い詰められ大号泣したことがあります。その当時はよくわかりませんでしたが、理由がはっきりしていなかったので、答えられなかったのだと思います。私も先生になり、たまに生徒の話を聞く立場になったのでなんとなくわかる気がしますが、その若い職員さんは「この子の不登校の理由を見つけ出さないと、次に進めない」みたいな使命感があったんじゃないかと思います。でも、自分のことを適切な言葉を当てはめて話せる小学生ばかりではありません。少なくとも私はそのタイプじゃなかった。その後担当は変わって、それ以降のカウンセリングではなぜ行かなくなったのか聞かれなかったと思います。最近の話をしたりとか。カウンセリングがそういうものだと安心できるようになって、その時間が楽しみになりました。大したことは話してなかったと思いますが、職員さんたちにとっては「大丈夫そうか」を確認する機会になっていたんだと思います。

フリースクールでの経験

そのフリースクールでは、イベントなども色々組まれていてとても楽しかったです。特に、中学生のお兄さん・お姉さんや、大学生のボランティアも来ていたので、年代の違う色々な人との交流は「小学校高学年女子の圧力」とは異なり、私には合いました。みんな「学校に行っていない」という共通点もありました。そこで、少人数の前で発表したり自分の意見や感想を述べるなどするようになり、自信をつけることができました。安心できる環境での挑戦って大切ですね。それ以外に、いろんな地域から集まっていたので、電車に乗って友達の家に遊びに行ったりしました。そんな経験も自信につながったと思います。私はそんな感じで楽しく過ごしていましたが、職員の方々は色々記録をとったり、接し方を考えたりなどしていたのだと思います。そうやって、一人一人の個性を見てくれたことも、私には合っていたようです。

あっさり中学に戻る

小学校を卒業して、「さすがにこれではまずいな」と思いました。不登校になってから、学校の勉強はほぼしていません。これから、高校に行ったり社会に出たりするのに、このまま学校に行かないのは良くなさそうだ。そう思いました。学区が変わったのもあり、中学校は入学式から行きました。入学式の時に、担任の先生が教室で「○○さん(フリースクールの職員さん)と知り合いなの?」と声をかけてくれ、「あ、先生は私のことを知っているんだ」と思って嬉しくなりました(公営のスクールだからできることかもしれません。私の情報はしっかり中学校にあげられていたようです)。その一言で、私は中学校に通えるようになりました。男子にからかわれたり辛いこともありましたし、全然数学がわからなくて泣きそうになったこともありますが(2年間算数やってなかったツケが…)、なんとか友達もでき(相変わらず教室の底辺でしたが)、3年間乗り切ることができました。落ち着いた生徒が多い中学で、雰囲気が良かったのも通えた理由の一つかもしれません。また、勉強自体は嫌いではなかったので、自分で勉強して成績も真ん中からちょっと上ぐらいになったこともあります。教科担任制だったので、いろんな先生から教えてもらえるのもよかったのかもしれませんね。嫌いな先生(そんないなかったと思いますが)がずっと教えるわけではないので、気持ちの切り替えもできますし。3年生の時は生徒会の下部組織に入ったりして、全校生徒の前で話す経験もしました。あんまりうまくできなかったけど、私の中では大きな一歩でした。

学校には行ったほうがいい。でも、行きたくなければ行かなくてもなんとかなる

私は、その後中学で「高校で留学」という夢を見つけ、高校の留学先で「日本語の先生」という夢を見つけ、大学に行き、日本語の先生になり、大学院で修士を取りました。結婚はできていませんが(これは問題)、自分の興味があることができて人生はなかなか楽しいです。もし、小学校5年生の私に今言うことがあるとすれば、「行きたくないなら行かなくてもいいから、その代わりにやりたいことをやれば?」かな…

当時、私は色々本を読んでいました。本は買ってもらえたので。椎名誠、群ようこ、原田宗典の文庫本をたくさん読みました。小学生が読むのに合っていたかはわかりませんが、とても面白かったです。(ホント、椎名誠がおじさんたちと焚き火を囲んでお酒を飲んでいるのが、小学5年生女子のどこに刺さったのかよくわかりません。)ポケモンもやったし、ラジオも聞いたし、好きなことを色々やっていました。学校に行かない時は、そういう生活をしていました。

現在の社会を考えると、学力がモノをいう社会になってしまっています。高校や大学は偏差値で測られてしまいます。それを考えると、学校に行って勉強しておいたほうがいいと思います。学校という共通の経験もできますし、遠足や芸術鑑賞といった様々な体験もできます。部活動や生徒会などもある面では面白いと思います。ただ、それが合わない・やりたくなくて悩むぐらいなら、一度離れてみてもいいと思うのです。その時に勉強したりやっておいたほうがいいけど、後から挽回できる可能性だって十分あります。私も、中学校で学力はなんとか挽回し、滑り止めだったけど行きたい高校に通えました。大学も、自分の偏差値よりちょっと低かったけど「いいな」と思った大学に入学できて、そこで頑張ったら奨学金も取れました(お金が大事じゃないけど、「奨学金もらったんだから頑張らなきゃ」というモチベーションにつながった)。大学の時の頑張りが就職に繋がったし、就職先で一生懸命やったら修士も取れました。今は修士が生かせる仕事ができています。修士って学力じゃないし、興味とセンスと忍耐力だと思うけど、それでも「不登校だったけど修士取れたよ」というのは、私の中では自信になっています(修士論文の質はどうであれ)。


いい人生=「楽しい」こと

私が小学生・中学生の頃はやっとコンピューターが身近になって、という時代でしたが、今はとんでもない速度で社会が変わってきています。今の小学生が、この先どんな職業につくかは想像しにくいかもしれません。親の時代のやり方も通用しなくなってきています。コロナウイルスが収束しても、また新たなウイルスや社会不安が起きるかもしれません。そんな不確実な社会でどんな人生を送るのかということですが、私は「いい人生」がいいと思っていて、それにはまず「楽しい」ことが大事だと考えています。「楽しい」は色々ありますが、私は「好きなもの」を見つけておくのが大事だと思います。私は、本を読むのが好きで、日本語が好きです。また、直接人の役に立つ仕事がしたいと思っています。そんな気持ちが今の仕事につながっています。ある友人は、仕事は仕事と割り切ってある程度お金が稼げる仕事をしており、趣味にたくさん時間とお金を使うのが好きです。このように必ずしも好きなことを仕事にしなくてもいいと思うのですが、自分が何が好きで何に興味があって、逆にしたくないことはあるのか、それを知ったり考えたりしておくことで、不確実な世界でも自分の軸を持って生きていけるのではないかと思います。

生きてればなんとかなる。環境を変えてもいい。

最後にとてもありきたりな言葉ですが、「生きていればなんとかなります」。私もあれ以降色々失敗したり問題を起こしたりしていますが、なんとか生きています。生きているから、楽しいこともたくさんありました。これからもしたいことが色々あります。今、私の至上命題は「死なないこと」です。海外で危ない経験をしても、お金は取られてもいいから死なないことが第一だと思っています(今のところそういう経験はありません)。そう思っているから夜は一人で出歩かないし、そんなに危ないこともしませんが…。生きていれば、なんとかなるんだと思います。

私の場合、フリースクールに行ったり、中学校で学区が変わったりと、環境が変わったことがチャンスになりました。もし、小学校の担任の先生が「隣のクラス行ってみる?」って言ってくれたら、もしかしたらホイホイ行ってみて、不登校じゃなくなっていたかもしれません(毎日違うクラスを回るとか、面白かったかも。色々な関係で難しいのはわかるけど)。そんな小さな変化でも、変わるチャンスになるかもしれません。私はたまたま自分に合う方向に進んだのですが、難しい場合は自分で探す方法もありますよね。離島留学なんて憧れます(笑)『西の魔女が死んだ』でも、不登校気味の主人公はおばあさんの家に行きます。長い人生、そんなことがあってもいいのだと思います。だって、社会人になると転職しますよね。子どもでも、できる限りの選択肢があっていいと思うのです。

「生きてればなんとかなる」と言うのは簡単ですが、ある時、誰かにとってはとても難しいことかもしれません。それでも、何かのヒントで生きるのが楽しい社会になってほしいと思っています。私の話も、誰かの参考になればと思います(なるのかなぁ…?)。

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