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母親の顔が見てみたいと言われているようなプレッシャーを感じて生きていませんか。

前職は職員室が仕事場だったので、私の隣の席は先生だった。児童の宿題の丸つけをしながら「家でもうちょっと見てあげてほしいなぁ。」とよく言っていた。「そうですねぇ…。」と言いながら内心は「仕事もってたら、その時間を取るのが難しいこともあるよ…。」と思っていた。

私の場合は、時々ランドセルの整理をした時にたまたまテストを見付けたら間違えたものに関して、何で間違えてしまったのか確認したり、もう一度考えさせたりすることはあったが、じっくり一緒に学習に付き合うというのはあまりしなかったと記憶している。よっぽど意識が高くない限り、子供との学習時間を確保できる親は少ないのではないかと思う(勝手な思いこみかな?)。

子育てのカリスマ的存在のママさんは、自身の子供が小さい頃にしてあげていた習慣などを公表して、話題になっている。優秀な子供の母親のすることを真似すれば、きっとわが子も…期待する親は沢山いるだろう。しかし、実際に真似するにはハードルが高いものもある。カリスマママは経済的にも余裕があるのだろう、所々一般家庭では無理では?と思うことをサラリと提案しているように見えるからである。すぐに取り入れられそうなこともあるが、なかなか思い通りにいかないのが子育てだ。

私の母は、読み聞かせをする代わりにレコードで物語を聴かせていたらしい。その時代、それが一般的だったかどうかはわからない。それがよい方法なのかもどうかもわからない。いつの時代も母親の子育て法には課題がありそうだ。

子供のなりふりを見て、注目されるのは父親より母親の方が多いと感じる。誰もが子育ては初めての経験であり、子供がどのように成長するかどうか研究したこともない。子供の成長の段階ごとに悩みは付きものだし、各家庭でその内容も違う。しかし子供の行動で、親を評価されてしまうのは実際にあると思う。

子供が産まれてから最低限、母親(父親)に時間と金銭的余裕がある世の中であればいい。誰もが平等で育てやすい環境を求む。


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