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HSPの私が生きる道(12) - 悲観的な遺伝子、および日本人について

日本人の遺伝子

HSPの特徴に「不安を感じやすい」というものがあるが、かねてから日本人は全体的にその傾向が強いといわれる。

「日本人 不安 遺伝子」で検索すれば、以下のような記事が多数ヒットする。

SS型遺伝子という言葉がキーワードのように繰り返される。
どういう意味なのかは以下に記されている。

 セロトニンの分泌量を左右するのがセロトニントランスポーター。脳内に放出されたセロトニンをリサイクルする役割を果たす。セロトニントランスポーターの遺伝子タイプはSS型/SL型/LL型の3種類あり、ザックリ言うとSS型の方はセロトニンが働きにくく、LL型は働きやすい。脳科学的には、LL遺伝子を持つ人の方が楽観的、SS遺伝子を持つ人は悲観的となりやすいという。

 (中略)

米国ではおよそ3割の人がLL型を持ち、逆にSS型は2割程度。残りがSL型となる。

一方の日本人は、SS型が6割以上を占め、SL型が3割、LL型はなんと数%しかいないのだそうだ。これは世界的にも、アジアでもかなり特徴的な傾向なのだそうだ。
傾向としては、アフリカ > 欧米 > アジアの順番で、LL型が減る[要出典]。

セロトニントランスポーター遺伝子は、まだ科学的には解明されていない部分もあるようだが、「日本人は概して(外国人に比べ)悲観的で、それは生まれつきである」という話に異論のある人はそういないのではないか。(個人の気質の差はさておき)

ここで「日本人の悲観性」に関連しそうなキーワードを挙げるとすれば、NOといえない日本人、リーダー不在、決定力不足、社会的弱者、貧困、格差、差別、ハラスメント、いじめ、ブラック企業、うつ、自殺、過労死…
"Karoshi" は日本特有の言葉として英語圏でそのまま用いられているという現象はどこか示唆的である。

経験から人種を二分する

本節はデータではなく、筆者の経験に基づく主観を多分に含む内容である。

全人類の2割がHSPと言われているが、国や地域によって多少の偏りがあるのではないかと感じる。中国や欧米といった大陸文化圏の地を踏んだ時に肌で感じたのは、やはり人々の「大胆さ」である。

概して中国人・欧米人の声の大きさは特徴的であり、「彼らはそういう風に育ったのだ」というような前提を頭に入れていなければ辟易するレベルである。
日本と比べて「細かいことを意に介さない」ことが暗黙の常識となっているのを肌で感じたものである。

逆に、日本人に近い繊細な気質を感じさせた人々は、台湾人、フィリピン人、チャモロ人(グアムの先住民族)、シンガポールの住民(中国系を除く)であった。

もちろん、個人ごとの価値観の違いはある。ただ、ここであえてマクロな視点で極端なことを言わせていただくとすれば、「大陸人は楽観的で大胆、島人は悲観的で繊細」である。

繰り返すようだが、俗説の域を出ないレベルの話であることをご了承いただきたい。

島人 - 「なんくるないさ」の真実

島人といえば沖縄がお馴染みである。沖縄の「なんくるないさ」の精神は、繊細さとは無縁に聞こえるが、本来の意味は「挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る(だから大丈夫だよ)」ということらしい。

「なるようになる」を意味する「ケセラセラ / Que Sera, Sera (Whatever Will Be, Will Be)」や、「ライオン・キング」で有名なスワヒリ語「ハクナ・マタタ(どうにかなるさ、くよくよするな)」などとは微妙に異なるスタンスだと考えられる。

「なんくるないさ」の真意からは、南国のおおらかさというより、島国に特有の自然災害のリスクヘッジや閉鎖的コミュニティでうまくやることから逃れられないことへの悲哀や覚悟を感じ取ることができる。

ここで言う「なんくるないさ」の同義語としては「人事を尽くして天命を待つ」と言うことわざがある。類義語に「果報は寝て待て」があるが、これは「ケセラセラ」の精神に近く、日本においては稀有とされる豪胆な人物の形容に使われることが多いだろう。民話「三年寝太郎」はそのシンボルと言える。

臆病な日本人

沖縄を含めた日本人、ひいては島国に住む人々の「悲観的な側面」について語るには、途方もなく膨大な一次資料と統計、様々な角度からの考証が必要だろう。一端の学説に至るまでの道は険しい。

筆者は大学などでこの手の研究をしてきたわけでもなく、まともな論文を書いた経験もない、完全な門外漢であり、あくまでもこの文章は思うままに筆を走らせる随筆(エッセイ)のレベルとしてお読みいただきたい。
などと「予防線」を張ること自体、己の悲観性の現れだと思うのだが、多くの日本人が(大なり小なり)このような臆病さを抱えて生きていることは想像に難くない。

思うに、我々日本国民は、臆病さゆえに既得権益を「保守」する政権を批判こそすれ、嗤うことはできない。まして、政治への無関心は日本人としての自己理解の放棄にもつながる。

日本はどこへ向かうか

HSPが個人によってその特性が異なるように、悲観的な遺伝子がどの程度影響しているかも人それぞれだろう。現実には分子レベルで極めて多様なグラデーションが存在しており、さらにその色彩は時間の経過とともに変化していく。

ただ、悲観的なS型遺伝子と敏感なHSPの特性はセロトニンが生成されづらいという点においてオーバーラップしており、これらの説は今後の研究次第で歩み寄る可能性もあるだろう。

しかしながら、先に述べたように、米国人の8割が楽観的なL型遺伝子を持っているという説が本当なのだとしたら、ニューヨークのHSP提唱者、エレイン・アーロン博士の感じていた「生きづらさ」は幾許かと思う。

かたや、適合する遺伝子類型の全く異なる欧米型のシステムに詰め込まれ、不本意な生活をせざるを得ない日本人は多いのではないだろうか。
欧米追従の姿勢を崩そうとしない日本国の保守政権が本当に保守したい既得権益とは?そして安全保障とは?
隠蔽されている「不都合な真実」を含め、筆者自身知らないことがあまりにも多すぎるという現実を目の当たりにする場面が増えてきた。

災いに備える

アメリカ軍普天間基地の移設計画で、政府は14日、名護市辺野古の埋め立て予定地の海に土砂の投入を開始しました。

国家と国民との乖離は、もはや不可逆的に増大の一途をたどっているように見える。

2018年の日本、今年の漢字は「災」であった。

異常気象や天変地異は例年にも増して多く、一昨年に熊本地震で被災した身としては胸が痛むが、そればかりではない。防災不十分による二次災害や、無知がもたらす人災。これらはまだ防ぎようがあるがゆえに、由々しき問題である。

強い悲観性ゆえに、災害への備え、将来への備えに余念がない人が多いのも日本人の特徴とは言えないだろうか。国内の保険商材の多さがそれを物語っている。

備えは、まずは知ることから始まる。

辺野古の件は、食い止めるべきは住民側にとって重要な「米国の軍用機が生活圏に墜落してくること」なのか、それとも国際関係上重要な「米国との同盟関係そのものを失うこと」なのか、あちらを立てればこちらが立たないという状態に陥っているのだろう。

私個人としては、現政権の為すがままになっているのは気持ちが悪い。また、私にとって沖縄は何人もの友人が暮らす地でもある。さまざまな思考と感情が渾然一体となる中で、せめてもの意思表示として下記のサイトから反対署名をした次第である。

0と1から成るデジタルな情報を五感で感知し、知識に変えるのがヒトである。

同種族の中で生きながら、知識を行動に移すのが人間である。
(この行動の蓄積を、知恵、叡智、学問、道などと呼ぶ)

私は人間だ。そなたも、人間だ。
ー 宮崎駿(「もののけ姫」より)



ーー今回はだいぶ話がとっ散らかってしまいましたが、お読みくださりありがとうございました。

#エッセイ #HSP #日本 #日本人 #沖縄 #政治 #今年の漢字 #防災

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