幼稚園の面接をノーパンで受けかける。

新居への引っ越しを機に近所の幼稚園の面接を受けることにした。

すこしは直前に練習でもしておこうかと「お名前は?」と聞くと、息子は自分の名前を元気よく答えたのち「ズボンは水色です!」となぜか本日のファッションポイントまでご丁寧に添えて教えてくれる。

次に「好きな食べものは?」とたずねると「うどんです!」とこれまたハキハキ答えたのち「好きな食べものは?」と逆質問まで返してくれる。

ただ、ここで「すごーい!」とほめてしまったせいだろうか。それから息子はなにを聞いても答えようとせず、すべての質問をそのまま逆に聞きかえすように。面接当日の朝になかなか先行きの明るい状況である。

でも、たしかにどうして面接は受けるほうが質問されるものと決まっているのだろうかと不意に思った。受けるほうが相手に見定められる場ではなく、受けるほうが相手を見定める場であってもいいはずだ。

まあ、肩の力を抜いて自分らしく自由にやればいいじゃないか。そう息子に教えられたような気がして、父として面接に臨む服装も肩肘張らないカジュアルなものを選んでみることに。ただ、ここで由々しき事態が発生する。

そもそもの服装の大前提ともいえる「パンツ」がないのである。タンスのなかをひっくりかえしても一枚も見当たらない。どうやら、わたしの下着類だけをうっかり溜めたまま洗いわすれてしまっていたようだ。

ということはつまり、まさかのパンツオフで父として面接に臨むことになるのだろうか。なんというカジュアルスタイル。わたしは焦る気持ちを落ちつかせるために息子の教えをふたたびくりかえす。まあ、肩の力を抜いて自分らしく自由にやればいいじゃないか。

いや、さすがにそれは自由にやりすぎだろう。でも、待てよ。ノーパンのほうが縁起はいいかもしれないぞ。風も面接も通りやすくて。そう血迷いかけた瞬間、部屋の片隅にトランクスの姿がよぎる。なんと一枚だけ洗ったままタンスにしまうのを忘れていたらしい。

わたしは前言をあっさり撤回し、「おお、神よ、感謝いたします」と無宗教のくせに心のなかで唱えながらその奇跡を抱きしめる。そして、「きっと神様も天から見てくれているんだね」と妻に笑いかける。すると、面接当日の朝にパンツも履かずに慌てふためく夫を眺めていた妻が冷静に告げる。

「神じゃなくて、わたしが洗ったんだろ」

その静かな殺気にわたしは心のなかで唱えた言葉を即座に差しかえる。

「おお、妻よ、感謝いたします」

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