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選択肢

マスク着用に関する方針が厚労省から提示され、真っ先に思ったのは「ほっ…」だった。
正直、マスク云々より大切なのは衛生管理の意識やマナーなので自分のことだけ考えればどうでもいいのだが、子どものことだけが心配だった。

何度も言うが、マスクをしているしていないということはどうでもいい。なぜなら、マスクをつけさせられてかわいそう、というのは「これまで」を知っている大人たちの意見だし、子どもたちは必ずしも「自分たちはかわいそう」とは思っていないからだ。
そもそも比較する軸が違うのだ。

なのでそうした下らない話より、僕が安心した理由は、この方針を機会として子どもたちが「選択できる」ことだった。
例えばこれまで、給食は「黙食」であり、会話をしながら食べる経験はしてこなかった。
何度も何度も言うが、これ自体がかわいそうとは思っていない。大切なのは、「黙って食べる選択」に加え、「会話をしながら食べる選択」が与えられたことだ。
どちらを選択するかは子どもたちが選べばいいし、これが何よりも嬉しかった。

そして、後者を選択しやすくするためには、大人たちもマスクあり/マスクなし、と言う二元論ではなく、必要に応じて使い分けることが大事だと思う。

そしてそれを、未来の若い世代に見せる事が何よりも重要である。
同調圧力でマスクの選択をしている姿を未来の若者に見せることは、自分にとっても若者にとっても、何もプラスにならないし、恥ずべきだと思う。


もちろん、祖母と同居しているから感染リスクを最小化するために常時マスクをする、化粧が間に合わなかったからマスクをする、色んな理由はあるし、それは否定しないし、そんなことは全く論点ではない。

自分の行動が与える影響を自分で考えたうえで行動する、これは元来、島国民族である我々日本人がもっとも得意とするところだったりする。

そしてそれが、多様な個性が溢れ、それを尊重しあえる未来を作り出す小さな一歩になる、かもしれない。

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