甲状腺がん+肺転移 術後職場復帰と病気になって気づいたこと

久しぶりの職場はみんな暖かく迎えてくれた。
最初の1週間は残業なし。
その後は通常勤務。
仕事後の勉強会も参加して発表にも当たって。
本当に普通に過ごしていた。


ただ、採血だけは普通じゃなかった。
カルシウム値の調整のために3週間入院していたけど、全く安定することなく低空飛行。
薬の調整のために最初は1週間おきか2週間おきに採血し、薬の調整をしていた。


そして、医師に言われた。


リンが高い。


え…
気づかなかったけど、確かにリンが5-6くらいをフラフラしている。
カルシウムは低いけど、リンは高い…


手術した病院の先生から調整方法の話も聞いていたし、もし、担当の先生がわからなかったら電話してくれていいって伝えてと言われていた。
戻ってきた病院の担当医にそのことは伝えたけど、薬の調整して様子を見たいと言われ、リンを上げる効果もあるアルファカルシドールを下げて、乳酸カルシウムをあげた。


そんな感じで1週間おきに採血して調整してを繰り返す。


もともとそんなに勢いのある血管ではなかったけど、さすがに毎週刺しているせいか、だんだんか細い血管になってきていた。

それでも肘でみんな採血してくれていたし、なるべく左右交互に場所を変えて刺してくれていた。


術後の創部も自分でなんとかテープの張り替えをできるようになったし、少し創部を見ることもできるようになった。


ある日、職場の同僚に創部を見せた時に可哀想と言われたのは悲しかった。
首を横に14センチくらい切っているので、かなり生々しかったんだとは思うけど…
自分としては勝利の勲章みたいな気分だったけど、元気な人からすると痛々しい傷でしか無いんだな…と気づいて、それからは創部は人には見せないことにした。

がんが見つかってすぐの頃、たまたま連絡が来た友達数人に病気のことを話してしまった。
自分としては元気?と聞かれたので、元気だけどがんが見つかったので元気ではないかな?と思って話したのだけど、がんの話をすると相手の方が落ち込むし、もう二度と会えないような雰囲気になるし、しっかり治して元気になってとか言われると違うんだよなと思ってしまっていた。


がんが見つかる前も見つかってからも体調は何も変わらなかった。
なんなら手術が終わってからもそれほど変わりは無かった。


早く元気になってって親切で言ってくれているのはよくわかっているんだけど…


体調は変わらなく元気だから、これ以上元気になれない。
がんは甲状腺は手術で無くすことはできるけど、肺は多発転移で手術もできないから無くならない。
しっかり治すことは無理なんだけど、それを伝えてもどうも伝わらないし、相手も困ってしまうのだろう。


元気になってという言葉が物凄く虚しく感じて、それ以降は連絡が来た人にも言わないことにしていた。

母ががんで入院、治療していた時に誰にも言いたくないと言って、亡くなるまで本当に近い人以外には病気のことを隠していた。
それを私はずっとなんで言わないんだろうと不思議に思っていた。
治療で長期間いない間、実家にいる家族はご近所さんから不審に思われる。その言い訳をしなくてはいけないのも大変そうだった。

言ってしまえば楽なんじゃないかと思ったけど、自分が病気になって、あの時の母の気持ちが少しわかった。

健康な人にはどんなにわかろうと思っても、わからない。
もしも、わかったと思っているなら、それはわかったつもりになっているだけだと思った。

自分がそうだったから。
わかったつもりになっていた。


私は病院で働いていて、病気の人に寄り添った看護をしたいと思っていた。
多くの病気の人を見てきたので、母ががんになったときも誰よりもわかっているつもりになっていた。
自分が病気になってから母の治療経過と自分の心情をブログに書いて残していたの思い出して、読んでみたけど、がんになった母の気持ちを理解できていないひどい娘だったな…と猛省する箇所が何個もあった。

だから、健康な人が病気の人の気持ちをわからずに傷つけてしまうのもわかるし、病気になって健康な人から言われて傷つく言葉の多さも知った。

もちろん人は皆、同じ考えではないので、わたしが言われた言葉で同じように傷つく人もいれば、全く傷つかない人がいるのもわかっている。

ただ、感情も時間の流れの中で変化するので、今は告知後や術後すぐに言われて嫌だった言葉も多少は受け流せるようになった。


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