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ヒロトとマーシーの曲でシャニマスアイドルたちに歌って欲しい/聴いていて欲しい曲 〜アンティーカ編②〜




※注意!! 月岡恋鐘さんと白瀬咲耶さんに関するコミュの多少のネタバレが含まれます(true end含む)


前回からの続きです。


最近成したことといえば、シャニマス のアニメ(無い)の無い次回予告を考えたことと、田中摩美々さんの写真集(無い)の表紙をデザインしたくらいです。

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ある意味では万全ともいえます。




今回は前回に引き続きアンティーカから白瀬咲耶さんと月岡恋鐘さんに歌って欲しい/聴いていて欲しいヒロトとマーシーの歌の話です。いただいたご感想の中で使われていて気付いたんですが「イメソン」って言うと早いですね。今度からそうしたいと思います。


それでは白瀬咲耶さんから


白瀬咲耶さんのこじつけイメージソング 「歩く花」「チェインギャング」


白瀬咲耶さん


白瀬咲耶さんはいわゆる王子さま系というか、もっと言うなら宝塚の王子様系の性格です。アイドルとしてそういう売り方とかじゃなくて素でそれです。

それだけに一見完璧な聖人のように周りからも見られ、本人もそうあるべく立ち振る舞っています。そしてそれが良いことであると信じています。

それを支えているのは咲耶さんの博愛と献身の精神なんですが、そのアガペーが強すぎて見てて不安になる場面が多々あるんですよね。

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↑たまたま声をかけてくれただけのファンを交えてお茶しようとしたり

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↑ファンレターの返信にめちゃめちゃ長文を書いたり

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↑ファンを喜ばせるために頑張りすぎて体を壊してしまったり




この子はこれで大丈夫なのか、このままじゃいつかダメになってしまうのではって心配になってしまうところがあるんです。正直自分自身の就活より心配してます。


なので2曲選びました。
1曲は咲耶さんの幸せ観に合っているかなと思った「歩く花」
2曲目は咲耶さんの考え方と真逆も真逆。普通に考えたら絶対に当てはめないであろう「チェインギャング」という曲です。





まずは「歩く花」から


聞けるところ↓
https://youtu.be/tV5xep-47FQ

歌詞全文↓
http://j-lyric.net/artist/a00734c/l020206.html


知ってるかい 忘れてはいけないことが
何億年も昔 星になった
どんな時代の どんな場所でも
おんなじように 見えるように

作詞した甲本ヒロトさんは「永遠」や「神様」とかを嫌うんですが、少なくともこの歌詞の中では確固たる何か(恐らく尊いもの)が普遍性をもって存在していると歌っています。これは個人的な解釈なんですが真理とか何かの教えとか、そんな大袈裟なものではないと思うんですよね。ヒロトさんはそもそもそういったものを嫌うと思いますし。だからここで歌われているものは星を見て「いいなぁ」と思うとか誰かといて「楽しいなぁ」くらいの普遍的な何てことない感情だと思うんです。


覚えたり 教えられたり
勉強したりするんじゃなくて
ある日突然 ピンと来て
だんだん 分かることがある

「ピンと」来てるのに「だんだん分かる」んですよね。

月並みですが恋で例えるとある日突然好きになって、一緒にいるうちに好きになった理由が分かっていくとかそういうことなんでしょうか。

前述した「忘れてはいけないこと」の考察と絡めて考えてみると、「一緒にいたい」と思うのが「ピンと来た」ことで、一緒に星を見て浮かび上がってくる感情「忘れてはいけないこと」であり、「だんだん分かること」であると思います。

ところで白瀬咲耶さんのコミュには感情の共有の描写がよくあります。

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彼女がなぜ感情の共有を大事にするのか、そしてなぜそうなるに至ったのかの考察は後述する「チェインギャング」でお話ししますが、少なくとも現在の彼女が幸福を感じているであろう場面は「誰かに求められる・喜んでもらえている」場面や「誰かと一緒にいられる」場面であることが多いです。


ちょっと失礼なことを言ってしまうと、白瀬咲耶さんは他のアイドル達と比べて、トップアイドルを目指す理由があまり自分の中に無さそうなんですよね。プロデューサーに出会い、ファンが出来、ユニットメンバーにも出会えて、そんな彼女彼ら全員に喜んで貰えることが「トップアイドルになること」だったのでそれに対して全身全霊で向かい合っていますが、本質的な望みは「全員に喜んで貰えること」にあるので「トップアイドル」それ自体にはあまり拘りが無さそうに思えるんです。アイドルとしてはめちゃめちゃ正しいですし向いている性格ですが、いつかどうしても公平公正ではいられなくなる時が来たらと思うと…………………………、

ウワァァ~~~~~~!!!どうなっちゃうの~~~~~~!!!???(発作)


でも逆に言うなら「特別な人」になろうとはしていないという事なんですよね。咲耶さんの幸せは普遍性を持つものなんです。かなり踏み込んで考えてしまうとそれは生い立ちから来る「普通の家庭」への憧れともとれます(生い立ちについては「チェインギャング」にて後述します)。

一番のサビの後にある

普通の星の元に生まれ 普通の星の下を歩き
普通の街で 君と出会って 特別な恋をする

はまさにそんな普遍性のある幸せを描いています(恋を特別と表すところも含めて。




そしてサビでもあり最後の節でもある詩

今日からは 歩く花 根っこが消えて 足が生えて
野に咲かず 山に咲かず 愛する人の 庭に咲く


これは咲耶さんの凄まじいほどの献身性を持って普遍的な幸福を追い求める姿勢のように解釈できます。



愛する人の庭に咲く側に居れる幸せのために、自ら根をちぎり、今までの場所を捨て、慣れない足で歩き、愛する人の庭にたどり着く。その道のりは見ていて不安になる程危うい物ですが、野でも山でも咲かさなかった花を咲かすほどのものを、歩いた花は最終的には得ることが出来たのです………。






あと結局曲の締めが「咲く」なのが良い。これは普遍的な良さで合ってくれ。




それではお次を。

もう一つ咲耶さんの曲として選んだのは「チェインギャング」です。


聴けるところ↓
https://youtu.be/o2R9oVqOksA

歌詞全文↓
http://j-lyric.net/artist/a00734c/l000574.html


アイドルとチェインギャングと言えば!(この「と言えば」何人に伝わるんだ)SMAPの中井正弘さんがライブで歌っていたりしたみたいですが、アイドルを長らくやってきた方がこの歌を自ら選んで歌っているというのは何か特別な感情を感じさせます。というのもこの「チェインギャング」という歌は「他人に合わせてきた外向きの自分」を嘆いている歌だからです。


(二曲目はハイロウズの「青春」)

アイドルという職業は他人から求められなければ続けてゆくことはできない職業です。それだけに世間に求められている自分と、内向きの自分とのギャップに苦しむこともあるでしょう。それだけにアイドルの歌う「チェインギャング」は深い意味を持つのです。

ということはつまり前述したように 利他的他人から求められたいみんなを喜ばせたい!THE・アイドルマインドな白瀬咲耶さんにこの曲は 全っっっっっっっっっっ然!!!合いません。なんなら裏と面くらいの真逆です。



しかし本当にそうなのでしょうか? 彼女は生まれた時から献身、博愛の王子様だったのでしょうか?


そもそも白瀬咲耶さんがなぜ利他的な性格になったのかというのは、父子家庭でうんぬん~という風な事が期間限定として登場したカード【幸福のリズム】のコミュ内で匂わされていますが、そのなかで咲耶さんは一人きりの食卓の寂しさを「世界に私一人っきりになったような感覚」と語っています。この事から、彼女の行動原理の根幹となる部分には「寂しさ」から来る「他者を求める気持ち」があり、それが結果として「他者を思いやる気持ち(献身性)」「他者から求められたい気持ち」に繋がっていると思えます。

彼女の王子様然とした立ち振舞いも、恐らく他者から求められた故でしょう。アイドルマスターシリーズには、王子様然とした振る舞いをする菊地真さんというアイドルが初期からおり、女子校、王子様気質、父親に関するエピソードがあるなど、共通点が多く白瀬咲耶さんは菊地真さんを下敷きにして現代的にアップデートしたキャラクターなんじゃないかと言われています(菊地真さんが旧時代的というわけではなく、浸透してきたからこその再定義)。

しかし決定的な違いは菊地真さんは王子様的な振る舞いをなるべくならしたくないが求められれば演じる(本人の嗜好としてはお姫様になりたい)のに対して、白瀬咲耶さんは常に王子様な振る舞いで周囲に接しているということです。


恐らくそれは現在の彼女にとって自然体なのでしょうが【幸福のリズム】のコミュ内で言及された咲耶さんの幼少期は「活発だった」ということであまり現在の華やかで、背景にバラでも出しそうな彼女に真っ直ぐに繋がっているようにはなかなか思えません。


ではなぜ今の咲耶さんが出来上がったのか。それは他人に求められたからです。


小、中の環境は分かりませんが高校が女子高ということで彼女の周りには彼女をまるで「王子様のように」見ていた人たちは多いのではないでしょうか。実際女の子に好かれるというエピソードもあります。

そして彼女は求められたらあげてしまうのです。元々の容姿を見て周りの人が王子様と喜ぶのを見て、彼女はより「王子様」へと、周囲の人たちの求めるものになれるようにと、自分を律していったのではないでしょうか。そうして現在の性格になっていったという風に考えられます。


菊地真さんもそう言った振る舞いを求められがちな方ですが、それ以上に真さんには「本当は可愛いカッコがしたい」という本心(軸)がありました。なので王子様キャラを演じてもあくまで演技として終わらせて「可愛いカッコがしたいのにな」という軸に戻ってきていたのです(素のかっこよさはありますが)。

しかし咲耶さんは寂しさを原動力にしてしまっていたため(あくまで憶測です)彼女王子様になりました。王子様の分厚い仮面を被ったと言ってもいいかもしれません。 


さてここでやっとチェインギャングの歌詞を引用します。まずは出だしから。

僕の話を聞いてくれ 笑い飛ばしてもいいから
ブルースに取り憑かれたら チェインギャングは歌い出す
仮面をつけて生きるのは 息苦しくてしょうがない
どこでもいつも誰とでも 笑顔でなんかいられない

まずタイトルにもなっているチェインギャングというのは鎖に繋がれた囚人のことを指します。実際に囚人が歌っている歌というより、憂鬱やしがらみに縛られて息苦しくなっているこの歌の主人公のことを「鎖に繋がれた囚人のようだ」と揶揄しているのです。

人を騙したりするのは とってもいけないことです
ものを盗んだりするのは とってもいけないことです
それでも僕は騙したり ものを盗んだりしてきた
世界が歪んでいるのは 僕の仕業かもしれない

続く詩では今まで犯してきた罪を告白しています。いけないことですと自分で言っている通りこの主人公には善悪の区別はついています。それでもやってしまったんです。それは世界が歪んでいたせいなのか、自分が世界を歪ませてしまったのか。僕の仕業かもしれないという通り、主人公は罪悪感を抱えています。罪悪感もまた鎖なのでしょう。


もちろんここまでの歌詞が咲耶さんに合っているとは言いません。しかしこの歌詞中に登場する囚人たる主人公たちは、果たして悪人なのでしょうか?仮面をつけて生きたのは生きやすくするためでしょう、どこでもいつも誰とでも笑顔でいたのは幸せになるためでしょう。善悪の区別がついているのに盗みに手を染めてしまった理由は?


続く歌詞は

過ぎていく時間の中で ピーターパンにもなれずに
ひとりぼっちが怖いから ハンパに成長してきた

とあり、「なれずに〜」「〜してきた」から過去を振り返っているとわかります。この時もまた後悔の鎖に縛られているのでしょう。ピーターパンになれなかったというのは「ずっと子供のままではいられなかった」という意味で、大人になるために成長しているということが分かります。

しかしその成長の中で、主人公は孤立を恐れて(他人の目や意見を気にして)、自分の思うがままの成長を遂げることは叶わなかったようです。アイドルとして輝き始める前の咲耶さんを当てはめるならばおそらくこの成長期になるでしょう。


しかし別に自分は「ひとりぼっちが怖いから」半端にというか、求められるがままに成長してきた咲耶さんの行末が、前の歌詞に出てきた囚人の様になってしまうと言いたいわけではありません。ここから聴いていただければわかるのですが曲の歌い方が変わります。



なんだかとても苦しいよ ひとりぼっちで構わない
キリストを殺したものは  そんな僕の罪のせいだ

まるで叫びのような、それでいて清々しいような。


ひとりぼっちでいることに恐れを抱いていた主人公が、ひとりぼっちで構わないと意を新たにしており、これはつまり「ハンパに周りに合わせて成長してきた」から「なりたいものに周りを気にせずなる」という心構えに変化したということです。

しかし「なんだかとても苦しいよ」という言葉が表す通り、これは主人公のポジティブな決意から来るものではなく、周りに合わせてきたことですり減ってしまった心やあり得たかもしれない可能性、そういったものが積み重なってしまい「これ以上このままでいれば自分は世の中にいることに耐えきれず死を選んでしまうだろう」、という半ば自暴自棄のような決意ともいえます。


「キリストを殺したものは そんな僕の罪のせいだ」というのはその社会に合わせきれなかった罪のことを言っているのでしょう。キリストは人間たちの罪を背負って死んだと言いますが(あまり詳しくないです)、例えば人間が皆自分のやりたいことや欲しい気持ちを優先せず(まるで聖者のように?)生きていれば、キリストは死ななかった、よってキリストを殺したものは聖者のように生きれなかったこの僕のせいだ。という意味であると思います。


しかし作詞した真島昌利さんという人間をふまえると、この詩は「僕が社会に合わせられなかったばかりにキリストを殺してしまった」ではなく「キリスト(=聖者のように生きろという抑圧)なんて殺してしまって、罪と呼ばれようと自分のやりたいことをやる」ということであると思います。
(真島昌利さんの神様に言及している詩としては『青空』の「神様にワイロを贈り 天国へのパスポートを ねだるなんて 本気なのか?」や『TRAIN-TRAIN』の「聖者になんてなれないよ だけど生きてる方がいい」などがあります。また、ブルーハーツが解散に至った原因から見ても神様に否定的であることはたしかであると思われます。)


そして咲耶さんの献身さ、公平さはどちらかと言えばキリストの精神性に近いでしょう。そんな咲耶さんが自分の中のキリストを殺す様なこと=例え罪と呼ばれようと貫き通したいこととは、なんでしょうか?


自分は誰かを特別扱いする(してしまう)ことだと思います。


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上記はTrue end(特定の条件を達成すると見れる結末)の一部、つまり咲耶さんがトップアイドルの仲間入りを果たした後のコミュなのですがプロデューサーと二人きりの時間を特別に扱っていることが分かります。(もちろんアンティーカ含めた283アイドルたちのことも特別に思っているでしょうが)


少し前で自分は「なんだかとても苦しいよ」以前をアイドルとして輝き始める前の咲耶さんと書きましたが、「なんだかとても苦しいよ」以後については人気のアイドルになった咲耶さんであると考えています。


なぜならその間となる人気アイドルになる過程で咲耶さんには特別な人(達)が出来てしまったのです。

それゆえ寂しさから来ていた公平な献身性は、特別な人(達)に出会えて生まれた特別扱いしたい気持ちとぶつかり合い苦しみます。  

例を挙げるとファン感謝祭というユニットごとのコミュでは、咲耶さんはそれぞれがアイドルとして人気が出てきたアンティーカのメンバーがアンティーカから離れていってしまうのではないかという不安を抱き、しかしそれなら可能性ある彼女らをアンティーカに縛り付けることはないのではないかと思い詰めてしまいます。もちろん彼女にとってアンティーカは特別な場所で、メンバーは特別な人達です。しかしそれゆえ、そんな特別な彼女達を私の周りに留めておくのは世界に対して申し訳がたたないという気持ちになってしまい思い悩んでしまいます。

その結果が「ひとりぼっちで構わない」という寂しさと同居した決意だとしたら、寂しさから始まり寂しさに戻るというあんまりにもな展開になってしまいますが、人気アイドルへと至った咲耶さんには自分が特別に思うのと同じくらい、特別に思ってくれているメンバー達がいます。

感謝祭のコミュでも、思い悩む咲耶さんにアンティーカのメンバー達は同じくらいの思いでぶつかってひとりぼっちになんてさせませんでした。

例え咲耶さんが「ひとりぼっちで構わない」と思うほどの決意をしたとしても彼女はもうひとりぼっちにはならないのです。


チェインギャングの歌詞の終盤ではこのように語りかけてきます。

生きているっていうことは カッコ悪いかもしれない 死んでしまうということは とっても惨めなものだろう だから親愛なる人よ その間にほんの少し 人を愛するってことを しっかりとつかまえるんだ 

曲自体の解釈としては冒頭に「僕の話を聞いてくれ」といっているのでこれらは「僕」の語りであり、今まで通り咲耶さんを「僕」に重ねて解釈することも可能なんですが(親愛なる人という言い回しがもろに咲耶さんですし)、あえて咲耶さんにとって特別で大切な人達が咲耶さんに対して「親愛なる人」と語りかけてると言う解釈の仕方も良いなと思いました。


そして、その語りかけている内容である「人を愛するってことをしっかりとつかまえるんだ」って言い回しがとても好きなんですが、今まで溢れるほどの愛を世界に対して振りまいていた咲耶さんが、「人を愛するってことをしっかりとつかまえた時」。めちゃくちゃ良いと思いませんか。それが「歩く花」で書いた「特別な人の側にいること」によって結実した場合………。



見えませんか…?お花畑に囲まれた幸せな風景が………………(遠い目)。



最早解釈というより幸せになってくれという祈りになってしまいました(補足しておきますが今は幸せでは無いという意味ではなく未来永劫幸せであり続けてくれという意味)。かなり長くなってしまいましたし、内容も自分の推測や決めつけの様なものが多分に入り混じったものとなってしまい各方面で解釈違いを発生させている可能性もあり申し訳ないのですが………めちゃくちゃ楽しいです。これ。

なんでこんなに楽しいのか考えてみると白瀬咲耶さんの人生においてチェインギャングが流れ出してくる様な瞬間があったとしたら!!!エモくないはずが無いんですよね。ドデケェ事件が絶っっっ対に起こってからのチェインギャングのはずなんですよ。というわけで皆様も白瀬咲耶さんがチェインギャングへと至る帰結を考えてみてはいかがでしょうか。楽しいです。







月岡恋鐘さんのこじつけイメージソング 「キングオブルーキー」


月岡恋鐘さん


アンティーカの最後の一人、月岡恋鐘さんです。ここまでのご紹介の中でアンティーカのメンバーはそれぞれ危なげな一面を抱えていることを書いてきましたが、そんな彼女達アンティーカのリーダーであり、大黒柱たるのがこちらの月岡恋鐘さんです。



彼女は長崎出身でアイドルになるため一人上京してきていたりと、「アイドル」になることを最初から目標と据えています。

そして何より素晴らしいのが、彼女のそのポジティブさです。

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プロフィールもポジティブ一色。

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「可愛い」と「勝るとも劣らない」が文の繋がりとして出てくることあるんですね。


ではそんな恋鐘さんにはどんな曲をイメージソングとしてこじつけるかと言うと

ブルーハーツの「キング・オブ・ルーキー」という曲です。


↓聴けるところ

https://youtu.be/vDZABxlfe8Y

↓歌詞全文



キング・オブ・ルーキーという曲はその題の通り、未熟者(ルーキー)が主人公の曲です。曲の始まりは

選ばれなかった今日も レギュラーメンバーに
監督 コーチも まったく見る目がないなあ

と、所属する社会で(ここではおそらく少年野球のクラブなど)いまいち自分の思う様な評価を受けられていない人物の、尊大とも言える態度の愚痴っぽい一節から始まります。



しかしそれは裏返せば自分自身の無限の可能性を信じることができていると言うことでしょう。

こう言った「幼年期にありがちな全能感から抱いた身の程知らずの大きな夢」、そんな気持ちを持ち続けることをこの詩を書いた甲本ヒロトさんは常に肯定しています。


例を挙げるとハイロウズ「14才」では米作家リチャード・バックの、骨と皮のみになるまで飛ぶことを追求し続け、自らの信じる生き方を追求し続けたかもめ、ジョナサンを描いた小説「かもめのジョナサン」になぞらえて夢(=自分の理想とする生き方)を貫き続ける覚悟を歌っています。この曲の締まりが「あの日の僕の レコードプレーヤーは 少しだけいばってこう言ったんだ  いつでもどんな時でも スイッチを入れろよ その時は必ずおまえ 14才にしてやるぜ」とある様にこの頃に抱えた青臭い初期衝動こそが、夢を叶えるための原動力であると甲本ヒロトさんは考えていることが分かります。(他に初期衝動を歌った歌はクロマニヨンズの「突然バーン」など) 


また、余談になるのですがハイロウズ「不死身のエレキマン」では「自分が自分の世界の主人公になりたかった 子供の頃に憧れていたものに なれなかったんなら 大人のフリすんな 第一志望しか見えないぜ 不死身のエレキマン」と言う一節があり、これに対して「どうしてこんな残酷なことを言うんだ」と言うコメントがついていたのを見たことがありました。当時の自分はその意味が良く分からなかったのですが、なんとなく印象に残っており、徐々にその意味が分かってきました。

ブルーハーツを始めとするヒロトとマーシーの曲はよく「大人になったら真っ直ぐすぎて受け止めきれなくなってしまう」という風に言われています。

ブルーハーツの影響を受けた世代のバンドが「青春パンク」として括られていることからも、青臭い情動が曲の端々から溢れていることがその要因なのでしょう。(個人的には青春パンクという呼称は好きでないし、主に影響を受けたバンドのことをいうのでブルーハーツ自体はそこに含まれていないと考えていますが)


しかし「14才」「不死身のエレキマン」などからわかる様にヒロトとマーシーの曲は大人を拒んでいるわけではなく「夢追い人にしか関心がない」のです。その態度は夢を諦めた人間にとって残酷に映るでしょう。夢追い人にとっても覚悟を試してくるかの様な態度に思えるはずです。

(夢追い人じゃない側を描いたっぽい曲としてハイロウズ「見送り」があるが「なんでいつも見送る側は ただの風景になるんだ」って感じでやっぱり残酷)



しかしそれゆえ、無限の可能性を持つ子供にはめちゃめちゃ甘い。

「キング・オブ・ルーキー」自体はそんな感じの曲です。



ここからがなぜこの曲を恋鐘さんとしたかになります。

歌詞としてはサビの

OH キング・オブ・ルーキー
&クイーン・オブ・ビューティー
恐るべき未熟者
OH キング・オブ・ルーキー

の繰り返しがほとんどで、なんならここが一番の恋鐘さんポイントなんですが

(これはもう、そう。キングオブルーキーでクイーンオブビューティーなのは恋鐘さんしかいない。「クイーンオブビューティー」が指しているのは未熟者の少年の意中の少女という感じもするが、ここでは恋鐘さんこそがクイーン)

それ以外の歌詞の

宇宙は僕らが考えているよりずっと
透明でフワフワゴキゲンに続いているんだ
メビウスリングをちょんぎって見せてやるんだ
今こそ本当の無限を見せてやるんだ

ではなんかわかんないけどすごいことやれるだろという楽天的な感じが見てとれます。

「宇宙」も「メビウスリング」もどちらも無限の象徴なのですが、そのどちらに対しても大した事ないだろという態度です。

「宇宙は僕らが考えているよりずっと」の「僕らが考えている事」というのは科学者や研究者たちが今まで考えに考えて見つけ出した宇宙の定理や常識のことでしょう。または真っ黒で真空で恐ろしいと言った大人の考えでしょう。しかしそんなこと思わずにあるがまま見れば宇宙は確かに透明であるしふわふわしてます。

メビウスリング(メビウスの帯)https://ja.wikipedia.org/wiki/メビウスの帯

というのは裏も面もない形状をしている輪っかで、創作物などでは永遠の象徴だったり、その形の指輪は愛が永遠に続く象徴だとか言われています。しかし、未熟者からすればそんなものは先人たちの付けた勝手な意味付けで、「ちょんぎっちまえばただの帯だろ、もっとすごいものを見せてやるよ」ということなのでしょう。



気持ち良いほど自分本位で自惚れた態度でしょう。でもだからこそキング・オブ・ルーキーなのです。


人が夢を見始めるのは多くは憧れから始まります。圧倒的なパフォーマンスをするアイドルを見てアイドルに憧れたり、漫画を読んで自分もこんな漫画を描いてみたい!と思ったり。

それは「今は無理だけど自分にもそのうちこんな事ができる」という自惚れです。

多くの人間は時を経るにつれ、宇宙は様々な定理で成り立っていることや、メビウスリングをちょんぎったって何にもならないことを覚えていくかのように、現実を知り、自分の身の程を覚え、生活という面白味がなくとも重要なことに身を削ることになります。

そうなってはもう自惚れ続けてはいられないでしょう。いつまでも身の程を知らなければ、世間からは未熟者だと笑われます。

それに逆らい続け自惚れるのは大変なことでしょう。だからこそ、それでも自惚れさせんとする青臭さを持ったヒロトとマーシーの歌は夢を諦めたものにとって「残酷」と映るのです。


しかしそれでも残酷さに逆らい自惚れ続けようとする身の程知らずがヒロトとマーシーの歌う夢追い人であり、かつて憧れたひとたちであり、

キング・オブ・ルーキー(未熟者たちの頂点に立つもの)なのです。


恋鐘さんはオーディションに現れた時から自信でいっぱいの自惚れた未熟者でした。

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しかしそんな彼女にも「身の程」を知るような出来事や、「生活(家族)」に夢を削られる出来事があります。

↓恋鐘さんの迷いが見られるコミュ(共通コミュより)(失敗自体では無く理想からずれたということに悩んでいるのが夢追い人の恋鐘さんらしい)

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↓家族との不和が垣間見えるコミュ(「ばりうまかブルース」サポートコミュより)

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しかし恋鐘さんは自らの努力によってそれらをねじ伏せ、

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見事「自惚れた自分」のままでトップアイドルになる夢を叶えました。


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まさに彼女こそがキング・オブ・ルーキーなのです。








そりゃあこんな彼女の姿見たらね……。

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満ち溢れとうに決まっとんじゃないですか!!!!






みっちみちばい!!!!!!!







まとめ


これでアンティーカメンバー全員のこじつけイメソンが出揃いました。いかがでしょうか。全部伝わった方はいるのか。そもそもここまで読んでいただける方はいるのか。お読みいただいていたらありがとうございます。

前回の後にすぐ出そうと思っていたんですが、いや待てあのカードのTUREエンド見たら全部ひっくり返ってしまうのでは?という恐れからあれを見るまでは…を繰り返していたら結構立ってしまいました。これからも更新はしますがいつ頃とかは明言しないでおきます。


次はどのユニットにするか迷っているんですが、多分ストレイか放クラにします。理由は幸いにもほとんどのコミュを読めているからです。


シャニマスへの感情は高まるばかりなので何かしらで発散させてゆきたいです。

最後に「アンティーカ」としてのこじつけイメージソングだけ置いてゆきます。全員書き終わったらユニットごとのこじつけ曲解釈も書こうかな。


アンティーカは(今のところ)ブルーハーツ の「街」です。全然変わるかも。

https://youtu.be/WPjrBpmeeSE



お読みいただきありがとうございました!!(マガジン登録していただけると次回更新時に通知がいくかと思います)



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