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しのぶもぢずり~芭蕉の旅についての断片~

 私が小学一年生の終わりまで家族で住んでいた小さな家は、阿武隈川の土手がすぐ目の前にあった。近くには「文知摺(もちずり)橋」という大きな橋が架かっている。

 当時は近くに今もある福島競馬場のほか、福島大学馬術部の馬場があって、時折土手の上を人に引かれて馬が歩いてゆくのを見た。夏の夕暮れ、勝手に家を抜け出して土手を歩いていたら帰る方向がわからなくなったことがある。泣いていたところを探しに来た母に見つかって、こっぴどく叱られた。秋の朝には夜の間に大発生した蜉蝣が大量に橋の上に死んでいるのを、冬には白鳥たちが鳴き交わしながら川に舞い降りてゆく様を見た。
 この阿武隈川を、昔のひとはみんな舟で渡っていたんだよ、と大人たちが話すのを聴きながら、幼い私は橋の向こうをぼんやりと眺めていた。曾良の随行日記に記されている「岡部ノ渡リ」がそれである。ああそうか、と今ならば思う。あの時誰かが話して聞かせてくれた「昔のひと」のなかに、芭蕉も曾良もいたのだ。


 あくれば、しのぶもぢ摺(ずり)の石を尋(たずね)て、忍ぶのさとに行(ゆく)。遥(はるか)山陰(やまかげ)の小里(こさと)に石半(なかば)土に埋(うづもれ)てあり。里の童部(わらべ)の来(きた)りて教(をしへ)ける、「昔は此山(このやま)の上に侍(はべり)しを、往来(ゆきき)の人の麦(むぎ)草(くさ)をあらして、此(この)石(いし)を試(こころみ)侍(はべる)をにくみて、此(この)谷(たに)につき落(おと)せば、石の面(おもて)下ざまにふしたり」と云(いふ)。さもあるべき事にや。

    早苗(さなへ)とる手もとや昔(むかし)しのぶ摺(ずり)


 今から三三〇年前、彼らがはるばる江戸から訪れた「しのぶもぢ摺の石」は、この橋を渡ってそのまま1キロほどまっすぐに行ったところにある。
さっさと白状してしまおう。「しのぶもぢ摺の石」――私たちは「もちずり石」と呼んでいる――がある「文知摺観音」に、私は現在に至るまで、実は数えるほどしか訪れていない。今の家からも車を運転すれば十分ほどで着いてしまうのに、だ。
 芭蕉はやはり、「さもあるべきことにや」と嘆くだろうか。それとも、そんなもんだよね、と笑うだろうか。いずれにせよ、「近いからいつでも行ける」と思うとどんどん後回しにして帰って足が遠のいてしまうのは、人間の、というよりも、私自身の悪い癖だ。


* 
 その「文知摺観音」に初めて訪れたのは、小学校一年生の時の遠足だった。福島県の重要文化財に指定されている「文知摺観音」は境内とその周辺が公園にもなっていて、今でも小学校の遠足の行き先としてよく選ばれる。ここに子どもたちを連れていくときには、大人たちはそれぞれに、源融というひとと虎女というひとの悲しい伝説があってね、とか、百人一首にも歌があるんだよ、とか、松尾芭蕉や正岡子規っていう有名なひとも来たんだよ、とか一生懸命に話す。しかし、子どもたちには今一つそのすごさ、というか、ありがたさ、をわかってもらえない。それも、やはり当時と同じである。
 源融と長者の美しい娘、虎女との悲しい恋の伝説については、私は松尾芭蕉の「おくのほそ道」を知る以前に、「福島のむかし話」として聞いていて、よく覚えていた。「麦草で石を磨き続けたら人の顔が映った」という話の内容が、よほど不思議で印象深かったのだろう。何よりも当時の私にとって、これはそれまでに触れたことのある「むかしばなし」とはまったく異なる大人の恋の「物語」だったのである。融に会えないまま死んでしまった虎女がかわいそうだ、と心底思い、京に行ってしまった融を恨めしく思い、それでも子どもごころに、なんだか素敵だな、と思ったのだった。源融と虎女の物語には、大人になった今でも何か魅かれるものがある。
 今も覚えている。遠足に行く前、担任の先生がクラスの全員に向かってその話を始めたとき、私は「そのお話、しってる!」と叫んだ。あくまでも「むかしむかしのお話」の中にあったはずの大きくて不思議な石が、これから遠足に行く場所に本当にあるらしいと知って、大層びっくりしたのだ。「今もその石をみがいたら、人の顔がうつるの?」と尋ねると、先生は「齋藤さん。先生のお話は静かに聞こうね」と注意してから、「石が下向きになっちゃってて、今はわからないんだよ。石がすごく大きいから動かせない」と言った。なあんだ、と思ったし、また先生におこられちゃったな、と当時の私はがっかりしたのだけれど、思い返してみると、「石に人の顔が映るのか」という質問に対してきっぱり否定せずに「わからない」と答えた先生は、さりげなく私の心を気遣ってくれていたのだと思う。
 遠足当日、初めて対面した「もちずり石」は、想像以上に大きかった。表面に、大きくて丸くて白い染みのような苔がたくさん浮いている。目の前の崖の上から――おそらく芭蕉の記した「崖の上」から――石に覆いかぶさるようにたくさんの樹木が茂っていて、晴れているはずなのにそこだけ薄暗く、どんよりと空気が湿っている。こわいな、と思った。真夜中に、たった一人でこの石を磨きになんて来られるだろうか?……いやあ、とても無理だ。
 あの時石を見上げていた子どもたちは、私を含めてみんなぽかんと口をあけていたのではないかと思う。そうしてしばらく石を見上げたあと崖の上へと続く石段を登っていき、今度は上から「もちずり石」を見下ろした。石は、見下ろしてもやっぱり大きかった。「崖の上」には観音堂や多宝塔がある。その周辺で、お弁当を食べた。食べ終わると自由時間である。みんな一斉に鬼ごっこや探検ごっこをはじめ、あっという間に遊びに夢中になる。登ってきた石段を下りてもう一度「もちずり石」を見に行く子どもは、もういなかった。


陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに

     『古今集』恋四・七二四


 遠足の思い出とこの歌とがはっきりとつながるのは、大分後のことだ。遠足からほどなくして、私の家族は文知摺橋から三キロほど上流の、やはり川に近い、けれどもすこし奥まったところにある現在の家に転居した。将来自分が歌に出逢って夢中になることなど、想像もしていなかった頃の話である。



 私がこの「もちずり石」をようやく再訪したのは、東日本大震災と福島第一原発の事故の数年後、東京での仕事を辞めて福島市の実家に帰ってきてからのことだ。
 その日は梅雨入り前で天気がよく、少し蒸し暑かった。受付で拝観料を払うと、眼鏡をかけた年配の優しそうな女性が、リーフレットといっしょに「境内はもう蚊がでますし暑いですから、どうぞこれを使ってください」と言って、団扇を渡してくれた。そして、拝観料のお釣りを差し出しながら「ちゃんと除染していますから」と言い、微笑んで静かにお辞儀をした。
 境内に入ると、奥まで長く続く道の両脇の樹々の幹に白いひものようなものが一本一本巻かれている。除染というものは、地面の表土を剥ぐだけではない。そこに生えている木も伐ってしまうことが多かった。伐らずに残す場合は、木々の一本一本の表皮を隈なく高圧洗浄する。白いひものようなものは、おそらく「この木は高圧洗浄で除染済み」という目印だろうと思われた。むせかえるような木々の緑のなにあって、その白さがやけに目立つ。
除染のためだけではないだろう。新しく芝生が植えられていたり、歩道がバリアフリーになっていたりして、境内はあの遠足の頃よりもずっときれいに整備されていたけれども、「もちずり石」は数十年を経ても、変わらない薄暗さと湿りのなかにひっそりとあった。初めて見た時よりもすこし小さくなったような気がしたのは、私が大人になってしまったからだ。大きくて丸くて白い苔の染みがそのままだったのは、この「もちずり石」だけ除染しなかったのだろうか。それとも、除染をしても消えなかったのだろうか。



 さて大人になった現在の私は、かれこれもう六年ほど、福島市内の学習塾で国語を教えている。小学五・六年生の詩歌の単元の授業では、松尾芭蕉の「古池や蛙飛込む水の音」のところで毎年かなり時間をかけてしまう。カリキュラム上は、さっさと終わらせなければならないのだけれど。
 この句の季語は「蛙」だよね、切れ字は「や」だね、といった基本的なところを解説した後は、テキストを閉じるように言ってから、古池に飛び込んだ「蛙」は何匹だと思う?と子どもたちに考えさせる。それからおもむろに、「おくのほそ道」と「しのぶもぢずり」の話をするのだ。みんな、「文知摺観音」って、知ってる?行ったことある?
 子どもたちの反応はさまざまだが、概ね子どもの頃の私たちと変わらない。「ぜんぜんしらない」と首をふる子。「ああ、ずっと前に遠足で行ったことあるよ」と言う子。「もちずり石の話は、聞いたことあるかなあ」と首をかしげる子。「虎女さん、かわいそう……」とつぶやく子。そして、「その石って、今も草で磨いたら人の顔が映るんですか?」と尋ねる子。この「しのぶの里」の一節を簡単に現代語訳しながら読み聞かせてゆくと、「さもあるべきことにや」のところでいつも共感と同情の入り混じった笑いが起こる。私は毎年訪れるこの瞬間が、とても好きだ。



 芭蕉と曾良がこの「しのぶの里」に滞在したのは、たった一日にすぎない。芭蕉が「さもあるべきことにや」と嘆息した、その先に積み重ねられてきた一日一日の果てに、今なお「しのぶもぢ摺りの石」はある。そして、「しのぶの里」に生きる私たちの生活は続いてゆく。芭蕉と曾良が見ることのなかった「しのぶの里」を、私たちはこれからも生きていこう。それもまた、長い旅と呼ぶことができるのではないか。そう、私は思うのだ。

「現代短歌」2019年11月号 特集「旅のうた」

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