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息するために夢見ていた

本作はただの夢追い人による、23年間の今までの人生を「夢」というテーマで振り返る自伝のような作品です。夢のカタチは環境に大きく影響されました。当時の環境が大きく「小学校」「中学校」「高校」「大学」「現在」と各時代ごとに焦点を当て、私にとっての夢の在り方を言葉として綴ってみました。
「こんな考え方をする人がいるんだなぁ」と気軽に呼んでいただけると幸いでございます。


「博士」になりたくて、動物学者になることを目指していた幼少期


名称未設定のアートワーク 10

小さい頃からなぜか動物が好きでした。しかし動物を飼ったことも無く、動物とは身近な暮らしではありませんでした。今思えば動物に強い魅力を感じたきっかけは「ポケモンシリーズ」がきっかけでした。その中でもポケモン博士に憧れを抱いていました。探究心を生きがいにしている人ってかっこいいなと思ったのです。

そのため当時の夢は動物学者でした。自主勉強の一貫として「かがくる」という子供向けの化学漫画シリーズの動物の特集の内容を独自にまとめるのが趣味でした。A4のコピー用紙を半分に切り、学んだことや気づいたことを自分の言葉・イラストで独自にまとめ、百均でお小遣いで購入したクリアファイルにどんどん追加していく、という作業をほぼ毎日続けていました。

一緒に夢を語り合う仲間もいました。同じ塾に通う幼馴染がいたのですが、その子は星が大好きな女の子でした。彼女も「天体学者」になりたい!と豪語しており、二人で塾にいく前に各自自身で纏めたファイルを持ち寄り、学んだ情報を共有して楽しんでいました。

親に買ってもらった動物図鑑を一通り読み終えたら、次にわたしが読み始めたのは犬の飼育本でした。上記の幼馴染の家にはダックスがおり、犬についてもっと調べようと思い、パピヨンのしつけの本をお小遣いで購入しました。(なぜパピヨンなのかは覚えていないです…)その本の「犬種ごとになりやすい病気」のトピックが衝撃で、調べても勉強してもまだまだ知らないことはこんなにもあるんだと興奮をしたのを今でも覚えています。そして自然と夢は獣医師へと変わっていきました。

そして卒業文集には「将来の夢は獣医師になること」と書き残し、小学校を卒業しました。


表現するのが好きだと気付いた


小学校を卒業したと同時に長野県へ引っ越しました。

しかし中学校の入学の時期に引っ越したわたしは、地域のすでに形成されているコミュニティに中々馴染むことができず、次第に人前に出るのが苦手な臆病な子になっていきました。学校の勉強もあまり好きになれず、音楽も体育も苦手…わたしを気にかけてくれる子はたくさんいましたが、自分の本心をさらけ出すのは苦手でした。

そのような中、美術部の部長に任命されたことで少しずつ自信を取り戻していきます。部長として活動していくに連れ、次第に無くなってしまった自信を取り戻すことができました。そしてここで大きな変化がおきます。それは美術を通して様々な場面で評価されるようになったことで「自分は何かを表現すること」が好きだと改めて気づいたことです。

3年生になり進路に悩む時期、学校の先生や友達、家族や親戚から「将来画家の道に進むんでしょ?」と言われるようになりました。「わたしは将来画家になるのかな…」「そもそも画家ってなんぞや」と思う一方で何だかモヤモヤしていました。明確な答えを出せないまま、ぼんやりしている状態だったので、取り合いず受験勉強は続けている状態でした。

ある日当時の美術部の顧問であり、一番仲の良かった先生から「こういう学校もいいんじゃない?」と勧められたのが、翌年通うことになる高校でした。その高校の美術部の顧問の先生は地域では有名な方で、展覧会などで何度かお会いしたことのあり互いに面識のある関係でした。まだ浮ついた状態で「この高校興味あるかも」と呟いたところ、担任の先生と顧問の先生の計らいにより、授業中に中学の校長先生と一緒に高校に赴くことなるのです。

わたし一人のために多くの方が尽力して頂いたことが何より嬉しくて、感謝の気持ちで進路を決めてもいいかもと思いその高校に進学するのでした。


何でも表現できる芸術家になりたい


高校入学後、お世話になった美術部へ入部しました。今まで「絵を描くのがちょっとだけ得意」だったわたしは、気づけば美術の魅力にどっぷり浸かっていきました。油絵や水彩画、デッサンや模写など…もっと学びたい!という想いで家から1時間半ほどの距離にある美大受験の予備校へと通いました。

気付けば夢は芸術家でした。とても漠然とした括りですが、何でも表現できる芸術家になりたいと思っていました。その表現の手段は絵でも文章でも写真でも何でも良かったのです。自分の想いを何かに表現し誰かに伝えることって素敵なことだなと思い、表現できる術を磨こうと奮闘していました。

また自分が凄い欲張りだと気づきました。表現できる術もたくさん欲しい。大勢の人に評価してもらいたい。わたしのことをもっと見てほしい。もっと頑張りたい!数年前まで臆病で自分の意見をまともに喋れなかった子が、少しの環境を変えただけで、こんなにも自己表現を全面に出すようになるなんて環境の力は本当に大きいと思います。

また芸術に理解がある学校だったので、わたしの欲張りな欲求を解消してくれました。自分の作った作品を廊下ギャラリーに飾ってもらったり、展覧会も開催したりと、大勢の人に自分の取り組みを見て頂くことが有難いことにオープンにして大勢の人に「わたしはこういう人間なんです!」と大声をあげていました。

芸術家になりたくて、無我夢中で表現を続けている自分が何より好きでした。

名称未設定のアートワーク 9


父の死で気づく、理想と現実の隔たり


高校2年の春休み、親と一緒に東京の芸術系大学の卒展巡りをしに行った際にプロダクトデザインというものに出会いました。

芸術系の大学へ進学したいと話した時、父はあまり納得してくれませんでした。芸術はビジネスと繋がりが薄いもので、安定した職業に就くのが難しいと考えていたためです。(姉が医療系の安定した職業に就いている、という理由もあるかもしれません)しかし翌年進学することになる大学のプロダクトデザインの展示を見た際に、芸術系の中でもビジネス寄りな印象を感じ、それを材料に父を説得しました。その時は芸術分野へ進学するのに必死でした。

大学生活は本当にいろんなことに挑戦しました。北海道を自転車で半一周したり、屋久島に行ったり、動物関係の仕事をしたり…今まで知らなかったこと、会ったことのない人。


毎日がとにかく新鮮で、早く「デザイナー」になりたい、と思っていました。


しかし大学4年の初夏、父の死をきっかけに夢を語れなくなりました。

父死因は心筋梗塞と肝硬変。仕事に人生を捧げていた父の死は突然でした。人間はいつ死んでもおかしくない。わたしも明日突然死ぬかもしれない。寧ろ今こうやって生きていることの方が奇跡だ、と自宅に帰ってきた父の遺体の横でぼんやり考えていました。

また就活も同時進行しており、自分と会社(世間)の間にあるギャップのようなものを感じ、現実を突きつけられました。

どうせ死んでしまうのに生きるのか。
叶えられるか確証もないのに夢を見続けるのか。


この時から現実を目の当たりにし、いつの間にか夢を語ることが苦しくなっていきました。


無意識のうちに夢で生かされていた


名称未設定のアートワーク 8


今でも覚えている感覚があります。

大学を卒業し社会人になったしばらく経った頃、自分の背後に透明な何かで仕切られ「ここから先は今までの夢見ていた人生ではない。現実だけを見ろ」ともう一人の自分が脳内で囁いき、背中をぐいぐい押している感覚。

今まで夢をこの人生があと何十年続くのか…と絶望しました。実力もないわたし如きが何かを願ったところで叶うわけではないんだと、何だか悲しくなりました。

また新卒で入社した会社はいい環境であるのにも関わらず、社長とわたしの考えのズレが入社して3ヶ月経った辺りから強く感じるようになりました。次第に社長のわたしへの強い言葉が苦しく感じるようになり、会社に行くのが辛くなっていきました。

人身事故による電車の遅延に遭遇する度、死を選ぶ気持ちも理解できました。当時の状態のわたしに自殺へ繋がる決定打が降り掛かれば、わたしは死ぬ道を真っ先に選びそうな状態まで追い詰められていたように感じます。

休みの日、街中を歩いているとふと目に留まった5階建てのビル。屋上で遺書を置いて飛び降りたら…と一線先を超えたところまで考えたこともあります。

しかしそれは父の死を無碍にしているような気がして思い止まりました。

生きてても辛いなぁ、でも死ぬのもなんか違うなぁ…と毎日思い続けていました。

そしてある出来事がきっかけで「このままここにいたらわたしは死ぬ」と直感で感じ、机とロッカーの中のものを全てリュックに詰め込み、雨が降る中会社を飛び出しました。会社から駅までの間、母に泣きながら電話し、雨と涙と鼻水で濡れたマスクで顔面ぐちゃぐちゃの状態で家に帰りました。

そしてその会社に戻ることはありませんでした。


この状況になり、わたしの生きがいは夢を語ることだと気付いたのです。


しかし社会人になり、夢を叶えることの難しさ、理想と現実の隔たりに苦しみ、いつしかわたしは夢語ることが辛くなっていたのです。

無意識のうちにわたしは夢を語ることで生かされていたのです。


夢はわたしにとって水のようなものだった


名称未設定のアートワーク 4

夢って水のようなものだと思うのです。
水を体内に取り込まなければ、いずれ喉が乾い、死んでしまう。わたしは夢は生活必需品の一つだと考えています。水を得た魚という言葉があるように、夢を考える時間を得たわたしは人生に対して余裕を感じるのです。夢ばかり見ずに現実を見なさい、というお叱りのお言葉を頂く時もあります。しかしわたしにとって、夢見ることは水のように生きていく上で欠かせないものでした。

一度死を考えたことがきっかけで、死ぬまでに達成することリストを自己満足で書いてみました

🧸 死ぬまでに達成することリスト

・何でも表現できる芸術家になる
・絵画作品により個展を開く
・イラスト関係のお仕事をしたい
・デザイン関係のお仕事をしたい
・執筆(ブログや記事)
・誰かと一緒にラジオ配信をしたい
・写真
・家族で北海道へ行く
・プロダクト商品開発
・母の介護をする
・出身高校で長期休暇限定のデザイン関係のセミナーの講師を務める
・地元の展覧会の出展
・京都で禅を体験する
・陶芸教室へ行く
・犬を飼う
・実家のリフォームに携わる
・工房を持つ
・北極でペンギンを見たい
・楽器を弾けるようになりたい



随時更新予定…
このリストは随時更新予定で、内容の密度が薄いのはご愛嬌くださいませ。

このリストを達成できずに人生を終えてしまうかもしれないし、5年以内に達成してしまうかもしれない。このリストを達成するために本心とは違う道を歩んでしまうかもしれない…あくまでこのリストは今のわたしのための指針です。夢を見すぎるあまり、「今」を疎かにするのは何だかなぁ…と思っています。今までの人生を振り返ったとき、夢は見続けていたけれど、どの時もその瞬間思ったことを大事にしてきました。最高の今の積み重ねで、最高の未来があると思っています。


ここまでこんなにも長い文章を読んで頂き、誠にありがとうございました。

以上、まだ何者でもない1人の夢追い人のお話でした。


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