見出し画像

短編小説『落としもの』

 午後3時のデパ地下は、買い物客でごった返していた。円錐形に盛られた、色とりどりのサラダ。食欲をそそる、肉や魚のお惣菜。色と匂いの洪水。
 そんな混雑を横目に、フロアの隅にある健康食品売場へ小走りで入っていく。小さなトートバッグから黒いエプロンを取り出し、書類ケースの置いてある、腰の高さの机の後ろにバッグを置いて、エプロンの紐に腕を通した。
「一ノ瀬さん、どくだみ茶が切れてるから、発注しておいて」
20代半ばの女店長が、電卓を勢いよく叩きながら言った。
「はい」
休憩から戻ったら発注しようと思っていた、とは言えずに、エプロンの絡まった紐を直す。

 わたしは、30代後半。小学生の息子がいるシングルマザー。この春にパート入社して半年が経つ。沢山の商品を覚えられるか心配だったが、今ではだいたい説明できるようになった。
 商品の構成は、ビタミン剤にコラーゲン、酵母ドリンクなどの、美は健康から系。これが全体の8割。プロポリスやお茶などの、体調不良・病気予防系が1割。無添加を謳う、だしパックや黒ゴマきな粉などの食事系が、残りの1割だ。
 最初に、店長から言われたことは
「医薬品ではないので、効くと言ってはダメです」
それはそうかもしれないけれど、言ってはダメだけれど、効くと思って飲むと効く、プラシーボ効果というものがあるような気がしている。

 毎日過ごす休憩室では、文庫本を片手に、他の店員たちの噂話を聞いている。その日は、フルーツ売場の、ある男の店員にファンのお客様が多い、という話だった。なんでも『ヤンキーなのに、丁寧で優しい』そして『重たいフルーツギフトを、笑顔で運んでくれる』など、お客様の評判が上々のようだ。
 そんなの普通じゃん、と苦々しく思った。丁寧で優しい。笑顔を絶やさない。店員なら、誰もが心がけていることだよね。『ヤンキーなのに』が付くだけで価値が上がるなんて、ズルい。そもそもヤンキーの風貌で、よくデパートに採用されたな。会ったこともない彼に、こころの中で毒づいた。

 ある日、従業員用のバックヤードの通路に落ちていた、1万円札を拾った。休憩時間が減るなと思いながら、仕方なくデパートの事務所へ届けた。
 翌日の夕方、店長と商品の前出しをしていると
「一ノ瀬さんって人、いますか?」
と声がした。
振り返ると、20代前半とおぼしき男子3人組が、両手に白いビニール袋をぶら下げて立っていた。健康食品が似合わない、元気いっぱい男子の登場におののき
「わ、わたしですが?・・・」
と慌てて答えると、市原隼人似の硬派系男子が、ひとり進み出た。
「オレ、昨日1万円落として、給料前で落ち込んでて。もう戻ってこないと思っていたから!拾ってくれてありがとうございました!お礼にパン食べてください!」
3人の両手にぶら下がっていた袋の中身は、全部パンだった。
「あーそうですか。どうもありがとう」
予期しない出来事にびっくりしたわたしは、間の抜けた返事をして、パンの袋を、店長と一緒に受け取った。
「本当に、ありがとうございました!」
部活の後輩か! と突っ込みたくなるような90度のお辞儀をして、笑顔で去っていく男子たち。
 ボカンとしている私に、店長が笑いながら
「こんなに大量のパン、フツー買うか? っていうかフルーツじゃないんだ。まあ、あの店高いしね。あはは」
きょとん?としているわたしに
「あの人、フルーツ売場のヤンキー兄ちゃんだよ。ああ見えて、律儀なんだね~」
と言って、まだ温かい袋の中をチラッと見た。

 帰りの電車の中は満員だった。両手に抱えた袋から、パンのむせかえるような匂いがして、周りからジロジロと見られた。
(そんなにクロワッサン好きなの?!)
と思われているんじゃないかと、顔が熱くなる。
 降りる駅が近づくにつれ、だんだん冷静になってきた。
(拾ってくれてありがとうって、言っていたけど。どちらかというと、届けてくれてありがとう、じゃないかな)
そして、なんだか可笑しくなってきた。
(あのお兄さんのファンになる気持ちが、わかる気がする。・・・わたし、すごい拾いものをしたのかも!)

 家路を急ぐ人の群れに押され、駅のホームに降りた。初秋のひんやりとした風が、火照った体に心地よかった。


おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?