見出し画像

この恋は別フォルダにすることにする

いくら美談で、いくら悲劇だったとして、それを引きずってわたしの20代の貴重な時間が消費されるのなんてごめんだ、という強い意志を持つことにした、4月23日。

わたしは今も多分、ポチと呼んでいた元彼のことがものすごく好きで、というか人生で一番で、きっとあの気持ちは今後どう生きたって超えないと思う。
それほどまでに彼は特別だったし、わたしの中のいろんな基準を作ったのが彼だった。
最後なので少々思い出を振り返るのを許してほしい。

彼は、テーマパークや雑踏のなかで、「見える?」といつでもどこでも抱き上げてくれる人で、背が小さいとはいえ大人が大人を抱き上げて広がる視界なんて30センチやそこらで、わたしの視力の悪さも相まって、大抵わたしは見えていないのに「見える〜」という嘘をついていた。あんなにあたたかい嘘をつくことはもう2度とないだろう。
「〇〇してくれるところが好き」という私に対して彼は常に「自由でわがままなところが好き」みたいに、私という存在を丸ごと好きだと伝えてくれた。
愛おしいものを見るような目で、わたしの一挙手一投足を見ていてくれる人だった。

スマートでかっこいい人も好きだったはずなのに、彼のおかげで(せいで?)、かわいくてがんばってくれる柔らかい人が好きになった。背伸びする恋も悪くないと思っていたはずなのに、私が私らしくいられる人を選びたいと思うようになった。

そんな人は、きっとこれから探せない。
学生時代に出会ってしまったのが運の尽きで、タイミングが違えば、きっと結末はもっといいものだったと強く信じる。
運命的だと互いに一生思える人に出会えたことは、それはそれは美しい美談で、それと同時に、どうがんばったってもう結ばれないことは悲劇だろう。
何度だって泣いたし、何度だって心を震わせた。これほど強く人を思ったことは無いし、別れの新幹線のホームで、何度だって私たちは、まるでドラマみたいに抱き合ってキスをした。

だけど、だからなんだっていうんだ。
それはそれ、なんだと思う。わたしの貴重な20代をこれ以上引きずるだけで無駄にするべきじゃない。
忘れられない恋の一つや二つ抱えていたって生きていけるように、きっと別の誰かと笑い合うことだってできるんだと思う。
そうしたくない気持ちがにょきにょきと顔を出さないうちに、アプリでもなんでも登録しようと思う。

私は彼を忘れることはないと思う。
だけど、特別な美談と悲劇の恋なんて一度で十分で、だからそれゆえ、そのフォルダは絶対に上書きなんかしない。脆くて儚くて、それでいて心をギュッとするフォルダは心の奥の方に一つで十分。

次の人とうまく行ったとして、行かなかったとして、それは全部、「ただの幸せな恋」のフォルダを塗り替えていくものにする。
でも別にその人たちとおざなりに付き合ったりするつもりもない、ちゃんと、私の中にできあがった基準は持ったまま、自由で自分を大事にする私のまま、2番目に幸せな時間を探すことにしよう。
それが気づいたら、1番幸せ、に変わってくれるかもしれないと思うと、これを書いているわたしは悲しくて、それでいてその時のわたしはめちゃくちゃ嬉しいと思う。

めちゃくちゃ嬉しい未来の自分へ。

この記事が参加している募集

忘れられない恋物語

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?