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ちょっとニッチな児童文学③『透明な耳。』

 このnoteを開いてくださってありがとうございます。Maemichiと申します。約1年半ぶりの投稿になってしまいました。

 このnoteはわたくしMaemichiが世間様にあまり認知されていないであろう児童文学作品を、つらつらと紹介していく場でございます。
今回は『透明な耳。』をご紹介します。

ネタバレを含みます。物語の詳細な内容や結末を知りたくないという方はネタバレ部分を飛ばしてお読みください。

耳が聴こえなくなった由香


  由香は自転車事故によって両耳が聞こえなくなってしまう。ダンス部に所属し、全国大会を目指して活動していた由香だが、音が聞こえない世界に放り出され、生きる意味を無くして部屋に引きこもる。

母親の決意と由香の心境


  母親の裕子はそんな由香をどうにか立ち直らせようといくつもの解決法を探り、病院へ連れて行く。その内の一つの病院で医師の松尾と出会い、由香の治療に前向きになっていく。

  当事者である由香は松尾と出会った後も前向きになれません。由香にとって耳が聞こえない状態は「障害者」であり、事故以来、「あっち側」(健常者)と「こっち側」(障がい者)という風に境界線を引いてしまった。勧められた補聴器も手話も、自分を「こっち側」(障害者)としているようようで受け入れることはできない。

由香と友人と恋人

  ダンス部の友人である真由と亜紀、そして恋人である修一が由香の「聞こえ」や状況を少しずつ理解して寄り添ってくれる。由香とコミュニケートするために手話を習いに行ったり、筆談を駆使したり、手紙を書いてみたり……どうにかして元の関係に近づけようと奮闘する。心強い理解者である。

 中でも恋人の修一は由香の耳が聞こえなくなってしまったことに戸惑う。支えたいと思う反面、不器用で手話も覚えるスピードが遅い。
17歳の少年には重たい現実。恋人の耳が聞こえないことにどう向き合うべきか模索する。
大丈夫なのか、投げ出さないのか?と何度も自問自答しながら。


『透明な耳。』の結末……(最大のネタバレ注意)

 今までの世界と突如として切り離されてしまったら、日常が日常ではなくなる。由香は聞こえなくなることで、どんな新しい世界を感じたのか?
そしてダンスグループ「Blue hands」とのコラボレーションをきっかけに、改めて自分がダンスで表現したいことを強く感じる。
時が流れ大人になった由香は、耳が聞こえないことを自分のアイデンティティとして受け入れ、「私とは何なのか」「今の私は何で成り立っているのか」「私とあなたとの間にあるものは何だ?」と自分の存在の本質について考え始める。

 中途失聴から8年後、アメリカでパフォーマーとして舞台に立ちたいという夢を叶えるべく、修一が待つアメリカへ単身渡米し、オーディションを受けに行くシーンで物語が終幕になる。この先由香がどうなるのかは読者が想像できるような幕切れになっている。

ここからはMaemichiの感想になります。

 由香を支えようとする友人と恋人に感じたのは、
17歳でこんなに人間できているものなのか、ということ。それともそれぞれの由香との関係性がそうさせるのか。17歳ゆえに無鉄砲で、勢いがあって行動的で、フットワークが軽く、とにかくやってみる姿勢や純粋さが際立っていた。

 手話や筆談でコミュニケーションするのは、意外とハードルが高い。手話を覚えなければならないし、手話では細かいニュアンスが伝わりにくい。手話者同士でも行き違いがあることもあり、
心理的なハードルとしては、ファストフード店などで手話をするときは人の視線が気になる、という人も。「透明な耳。」では由香が真由や亜紀や修一と手話を交えて話しているときに他者の視線を気にしていた。
筆談するにしても、健聴者同士が音声で会話するようにはいかず、タイムラグが生まれる。タイムラグが生まれると、リアクションが取りにくくなり、なんとなくコミュニケーションを取ることに面倒くささを感じてしまうこともある。

 手話は英語でsign language(サインランゲージ)と言われています。つまり一つの言語です。その言語を使って自分の気持ちを伝えるのは自己表現と言っていい。
 私自身は週に6日、聴覚障がいをもっている人から手話を習っています。手の動きだけでなく、表情や、口の動きを見ながら、カタツムリよりもゆっくりとした速度で上達中です。このことについては別の記事を書きました。よろしければこちらも読んでみてください。


 



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