見出し画像

【さんぽと本と】#夏目漱石「草枕」【#読了】

晴れた日は本の世界に浸ろう

※読書好きな作者の語りのせいでクソ長いです。面倒な人はここから先を読み飛ばしてください。

ひとことでいうと、この本は「20世紀のリトリート(※1)」。旅をしているかのような気分に浸れる本は少なくないけど、流石は夏目漱石、散歩だけではない学びがある。

※1 仕事など日常を離れ心身を癒やすこと。散歩はもちろん、自然の中や避暑地で過ごして、ストレスを解消するのは特に人気らしい。ヨガをする人もいる。

ここから先は筆者の考える見どころ二つを紹介。
「草枕」考察が読みたい人は他所へ行け

見所① 自然を楽しむ

主人公が画家だからだろうか、スケッチしたかのように綿密な風景描写はたまらない。
本を開けば見渡す限りの活字の海――ここで焦ってはいけない。1行1行を、時間をかけてでもいい、具体的にイメージできるまで読んでいくのがコツ。

ここで、『草枕』本文の一部を読んでいただこう。
熊本市西区役所 区民部西区総務企画課
「これならわかる!夏目漱石の『草枕』」
を引用元としています。

……立ち上がる時に向うを見ると、路から左の方にバケツを伏せたような峰が聳えている。
杉か檜か分からないが根元から頂きまでことごとく蒼黒い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引いて、続ぎ目が確と見えぬくらい靄が濃い。少し手前に禿山が一つ、群をぬきんでて眉に逼る。禿げた側面は巨人の斧で削り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に 埋めている。天辺に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義だ。
(中略)
……たちまち足の下で雲雀(ひばり)の声がし出した。谷を見下したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく鳴いている。方幾里 の空気が一面に蚤に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気 が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない。

夏目漱石『草枕』第一章より。
ふりがなは当記事の作者による

いかがだろうか。豊かな草木の緑、雲雀の鳴く声までもが、立ち現れてくるようではないか(※効果には個人差があります)。
本文中ではたびたび、さまざまな絵のイメージへの言及があり(※2)、「絵画の世界を文章に落とし込むとこうなるのか」と余計に面白く感じられる。

※2 例えば第四章では、刹那的な快楽を好み、謎めいた雰囲気をまとう女から、自殺したオフィーリアの肖像画を連想するシーンがある。
また第六章では「この気持ちを絵にしたいが、物質を抜きに、気持ちだけを描ききるのは難しい……」と画家が逡巡する姿も見られる。

可能な限りイメージを大切に読んでほしい本である。なんなら註釈つきのものや、大きな活字で読みやすいものを使ってもいい(特に引用元の「これならわかる!」版は、難しい言葉に注釈がついていて、文字も大きめで目が滑る感じは少ない)。

見所② 人間関係と運命を想う

「二人の間には、ある因果の細い糸で、この詩にあらわれた境遇の一部分が、事実となって、括りつけられている。」
「運命は卒然としてこの二人を一堂のうちに会したるのみにて、その他には何事をも語らぬ。」

夏目漱石『草枕』第四章・第八章より

これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関……とは蝉丸の詠める歌。
歌を知ってか知らずか、主人公は短い旅のなかで様々な人に出会う。通りがかった茶店のおばあさん、宿の主人、謎めいた宿屋の女、事情を知る近くの寺の住職……などなど。

「著者・漱石のお導き」というメタ的な要素を除けば、この縁すべては、ほんの少しの会話をきっかけに始まったもの。袖振り合うも多生の縁――同じ町へおさまっただけの仲だというのに!

彼らの過去や信条について深く掘り下げられることはない。本当に「袖振り合っただけ」の縁にすぎない。けれどまたそれが、旅先だけの縁らしくていいのだ。

漱石は作中で「汽車ほど個性を軽蔑したものはない(何百という人間を同じ箱へ詰めて轟と通る)」と書いたが、ほんの少しの会話があれば、その汽車でだって縁はできるはず。どこで誰と仲良くなるのもほんの偶然にすぎない。
これでお前とも縁ができたな!🍑

おわりに:本の中の散歩も悪くない?


このご時世、忙しくて予定を組むのが難しい人や、物価高のために旅行ひとつも躊躇する人は少なくないはず。
この休日は純文学をお供に、散歩なんていかがでしょうか。緑道や川沿いなんかをどこまでも歩いて、疲れたらひと息入れて本を読みましょう。
ちょっと難しいけど、暖かな日差しと気持ちのいい外の空気は精読が捗りますよ。

〈おしまい〉


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?