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『優しい』のトゲ

おはようございます、しましまです。

「しましまは優しい」

元職場でも何度も言われた言葉です。
だいたい、優しさって何なんでしょうね?


優しいと言われたシチュエーション

  1. 他人の仕事を助けた

  2. 他人の仕事がラクになるようなシステムを作った

  3. 失敗した後輩を叱らずに失敗しない方法を一緒に考えた

1番は、仕事全体を考えて
助けるほうがいいと判断したら
助けるのが仕事だと思う。

2番は、自分でも他人でも
仕事がラクになれば
ほかの仕事ができるので
会社にとっても損はない。

3番は、ぶっちゃけ
叱ってどうにかなるの??

失敗はリカバーすればいいし、
そもそも人間は失敗するもんだから
いかに失敗をしにくいシステムにするかが
大事なんじゃないの?

とまあ、こういう気持ちだったので
これらを「優しい」といわれると
すごく違和感だったんです。

そもそもどこに優しさが??


結果的に他人の得になったことは優しさ?

巷でよく使う「優しい」という言葉は、
実はあまり好きではありません。

自分(他人)がプラスの気持ちになることをしてくれた
  =優しさ

こんな風にとらえていることが多いからです。

だから、他人の仕事を手伝ったら
他人は助かるから「優しい」し
叱らなかったら
嫌な気分にならないから
(マイナスが0になるという意味で)「優しい」

でも、何だかなーって思います。
別にそういうのではないんですよね。

優しいと思ってくれる相手を否定はしないけれど、
私を褒めている言葉には聞こえないんです。
自分の思ってる『優しさ』とは違います。

優しいって、そんな浅いもんじゃないハズ。


優しいって、もっと深い

優しさって
相手に対する思いやりや
配慮ができることだと思うんです。

だから、相手の感情がプラスになろうが
マイナスになろうがあまり関係ない。
(おおむねプラスのことが多いけれど)

相手が落ち込んでても
そっとしてほしそうだったら
声をかけないのが優しさだし

嫌がるだろうなあ…
嫌われるだろうなあ…
と思っても、相手にとっては
耳の痛いことを指摘するのも優しさ。

(相手の役に立つだろうという考え自体が
発言者本人のエゴだと言われたら
反論はできないのですが)

優しいって、本当に難しいことだと思うんですよね。

だからこそ、本当に優しい行為をしている人が
『優しい』と言われることは
とても少ない気がします。


優しさは追及していきたい

困ってる人に手を差し伸べるだけが優しさじゃない。

そう思ってるからこそ、
優しさを発揮する場所、やり方は
ずっと追及していきたいです。

自分のエゴを『優しさ』だと
耳障りのいい言葉で正当化しないように。

本当の優しさを
ずっと考え続けていきたいです。



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