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守るものがある者と、守られている者と、守りたくても守れない者

  (約900字)

仕事をしていると、独身女性なら誰でも、
結婚して、子どものいるお母さんと比較をしてしまう。

アルバイトやパートで働く女性。

「旦那さんの扶養内で、限られた時間しか働けない」

「小さな子どもがいるから、お迎えの時間には帰らないといけない」

「一人親世帯だから、出世は難しい」

など、どこの家庭でも、それぞれの悩みを抱えていて、何かしらの難しい課題と向き合って暮らしている。

私は独身で、誰かの給料をあてにすることはできないので、仕事で嫌なことに直面しても、自分でなんとかするしかない。

引きこもっても、誰も助けてくれない。

百歩譲って、親はチカラになってくれるだろうが、いつまでもおんぶに抱っことはいかない。
親も老化する身体にムチ打って、自立して生活している。

両親が、介護保険を利用していないだけ、ありがたいと思う。

私が介護職に就いていたとき、自分の親より若い年齢の利用者さんのオムツを替えたり、入浴していただいたりしていた。

人間は、2種類に分けられる。

「世話をする側」と「世話をされる側」である。

ひとは、いつまでも、ずっと元気ではいられない。

介護サービスを受けていた利用者さんも、
まさか自分が寝たきりになるなんて、若い頃は
露ほども思わないで人生を謳歌していただろう。

他人にオムツを替えてもらう、とか。
お金を払って、食品を購入してもらう、とか。
他人に付き添ってもらって、病院に行くとか。
住む家を捨てて、高齢者施設に入る、とか。

そんな未来は、他人事だと思って、生活してきたにちがいない。

なぜか、人生は思うようにならない事が起きる。

自分に都合のいいようにしか、
ヒトは
未来を描かない。

実家に帰ると、父と母がいる。

帰省すれば、母の代わりに、
私がご飯を作り、掃除をして過ごす。

でも。
ものすごく、よく眠れる。

一人暮らしの部屋では、熟睡できないけれど、親がいる家では、熟睡できる。

気持ちは、守られていると満たされる。

守られている、という安心感は、相手を守っている、という自覚をも生む。

守るためには、強くならなければいけないし、賢くいきたいと願うことにもつながる。

世話をする側でいる時間が長くあるように、
守る側でいられるように、

いつでも片手をあけて、
誰かのちからになれるように。

ひとの幸せを願う人でいたい。




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